Anniversary Date

5月9日 告白の日
【衛藤桐也×日野香穗子】

Anniversary Date

『記念日』ということを理由に衛藤の方から誘ってくるというのは珍しい。
 ……正確に言えば、クリスマスやバレンタインデーなどの恋人同士の定番のイベント事ではない、語呂合わせ的なささやかな記念日に、わざわざ誘いをかけてくるのは珍しい。どちらかと言えば、普段は香穂子の方がそんな小さな記念日を発見しては、衛藤を誘い、彼はあからさまに呆れつつも香穂子の希望に渋々付き合ってくれるというのが定番のやりとりだ。
 しかも衛藤が指定した記念日がまた意外だ。5月9日、告白の日。見るからにベタな語呂合わせで、真っ先に衛藤が小馬鹿にしそうな記念日なのに、学年が変わって多忙極まりなかった4月を乗り切り、久しぶりに逢おうと約束を取り付けたのは何故かその日だった。
 単なる偶然かと思いきや、どうやら衛藤は意図してその日を選んだようだった。
「その日って何か『告白の日』って記念日らしいじゃん? ちょうどいいかと思ってさ」
 電話での「近々逢いたいね」という話の流れの中で、衛藤の方からそう言ったからだ。
(つまり、衛藤くんが私に対して何か告白したいことがあるってことだよね…)
 待ち合わせ当日の朝、あまり得意ではないメイクに励みながら、ふと香穂子はその事に気がつく。だが、衛藤と香穂子は既に付き合い始めて数年が経過している。一足先に大学に進学した香穂子と、母校の星奏学院高等部で高校生活を送る衛藤とでは、確かに共に過ごせる時間は同じ学校に通っていた頃よりも減ってしまったが、お互いに変わらずに相手を想いつつ、仲良くやっていると思う。今更愛の告白という間柄ではないはずなのに、衛藤は一体何を香穂子に告白するつもりなのだろう……。
(あ、ダメだ。何かへこむ)
 物事に予想がつかない時は、何故か思考がネガティヴに陥りやすい香穂子だ。
 今もあらぬ不安に苛まれて、気持ちが急降下しそうになった。
(いやいやいや。衛藤くんのことだし、言い難いことを記念日にかこつけて言おうとか、遠回しで面倒なことしないから)
 良くも悪くも、衛藤は言いたいこと・言わなければならないことは遠慮なく口に出すタイプだ。
 会う約束をした時の衛藤はいつも通りだったし、きっとこの不安は香穂子の杞憂に終わるだろう。
(とにかく、ようやく久しぶりに衛藤くんに逢えるんだから)
 メイクを終えて鏡を覗き、香穂子は一番大事な部分に立ち返る。
 そう、その目的がなんであれ、大好きな衛藤と久しぶりに逢える。
 それが香穂子にとって、最も重要なことなのだった。


 衛藤と逢う時は、目的がヴァイオリンの練習でなければショッピングか海でのレジャーということが多い。この日も待ち合わせたのはクィーンズスクエアの中にある二人が馴染んだ店の前だった。電車の時間のタイミングが上手く合い、予定時刻より少し早目に香穂子が到着し、5分も待たないうちに衛藤がやって来る。
「お、早いじゃん」
 感心感心、と笑う衛藤を、香穂子は思わずじっと見つめる。「何?」と首を傾げる衛藤はやはりいつも通りで、香穂子は心の中で少なからずほっとした。
(だから、悪いことを告白されるって決まったわけじゃないんだから!)
 ふるふると小さく首を振り、ネガティヴ思考に立ち返ろうとする自分の心に言い聞かせる。一連の香穂子の行動を面白そうに眺めていた衛藤が、片手を差し出した。
「ほら、気持ちの整理終わったんならさっさと移動するよ。せっかく久しぶりに逢えたんだからさ」
 色々、諸々衛藤くんのせいなんだけど!と責任転嫁しつつ、香穂子は躊躇いながらその大きな掌の上に自分の片手を預けた。
 
 何しろ、「逢いたい」というのが二人の共通した今日の約束の理由なので、特別行かなければならないところも間に合わなければならない期限も存在しない。「ちょっと早いけど、夏物見たいかも」と言った衛藤の希望からカジュアルな衣類のテナントから香穂子が好きな雑貨屋、本屋やキャラクターもののショップまで、隅から隅まで冷やかして歩き、ここを見終ったら休憩がてらカフェにでも入ろうかと言いつつ、立ち寄ったのはアクセサリーショップだった。
 人によっては敬遠しそうなのに、普段からちょっとしたアクセサリーを身に着けているからか、衛藤は大半が女性客のそのフロアに遠慮なく踏み込んでいく。数少ないながらもきちんと展示してあるメンズ物を物色するのかと思いきや、普通に女性客が取り囲んでいる、商品が陳列されたテーブルを覗き込んだ。
「香穂子ってさ、アクセサリー類嫌いなの? 俺がプレゼントしたものとかは一応してくれてるけど、あんまり自分で買ったのとかしてないよね?」
「あー、ううん。嫌いじゃないんだけど、アクセサリーっていろいろ危険じゃない?」
「危険?」
 香穂子の答えに、意外そうな表情で衛藤が尋ね返す。真面目な表情で香穂子が指折り数える。
「ほら、アクセサリーって壊れやすいし、失くしやすいし……、そもそもヴァイオリン弾く時は逆にそっちが気になっちゃうからあまり付けないんだよね。たまに付けてても、うっかりヴァイオリン傷つけたりしたら困るから、ちょっと外して置きっ放しにしたりして、失くしたりとか……」
「失くすって二回も言うなよ! どんだけ失くす気なの?」
 香穂子の物言いに衛藤が声を上げて笑う。どうせね、と拗ねる香穂子の顔を、衛藤が覗き込んだ。
「でも、俺がやったものは失くさず持ってんじゃん」
 そう言いながら香穂子と繋いだ手を衛藤が掲げる。乾いた音を立てて手首を滑ったブレスレットは、以前衛藤がくれたものだった。
「そりゃ大事だし……付ける時は壊さないよう、失くさないようめちゃめちゃ注意してるよ。衛藤くんと逢う時以外はあんまり付けないようにしてるし……」
「……ふーん? 偉いじゃん」
 嬉しそうに言い、衛藤が繋いだ手を強く引き寄せる。商品が並んだテーブルに目を向けて呟いた。
「ってことは、特にアクセサリー類に抵抗があるわけじゃないんだよね? 俺がプレゼントするなら喜んで大事にしてくれるわけだ」
「え、何? これプレゼントしてもらう流れ? 駄目だよ、衛藤くん。何か私貰ってばっかりな気がするから! そんなにプレゼント貰う理由ないからね!?」
 香穂子の方も衛藤の誕生日だったり、クリスマスだったり、バレンタインデーだったりと、お祝い事や記念日の際には同様に衛藤にプレゼントを渡しているのだが、衛藤の場合、記念日ではないときに不意にちょっとしたものをくれたりすることが多いので、『貰っている』という印象がやたらと強い。
「理由なら普通にあるだろ。合格祝い。……俺、卒業式以来あんたに逢ってないんだけど?」
 普通科所属から付属大学の音楽学部を受験するのは、なかなかに大変な事だった。実力的には担当教師の金澤や理事である吉羅から認めてもらえてはいたものの、高校時代の香穂子の努力を直接見たわけではない大学部の教授たちにそれが通用するはずもない。客観的な紙面に記された音楽的な実績と、実技・面接でしか香穂子の能力が判断されないことは当然で、ステージに上がるのであればそれなりに度胸が据わる香穂子なのだが、試験ともなればまた勝手が違うため、受験していた頃はとにかくテンパり過ぎていて、香穂子自身もどうにも当時の記憶が曖昧だ。
 受験とその結果発表の間に卒業式が行われたが、逢えないことが予め分かっていた衛藤の誕生日プレゼントは何とか渡したものの、正直燃え尽き症候群だった香穂子は、そこでも衛藤とまともに会話をした記憶がないほどだった。
「えっと、それなら私も衛藤くんに進級祝いしようか? 受験の時いろいろアドバイスもらったり、定期考査の合間に練習見てもらったりもしたのに、何かいっぱいいっぱいで、何もお礼できてないから……」
「あー、確かに。あの頃のあんたって、マイナス思考ここに極まれりって感じで、ホントに見てられなかったね」
 香穂子の性格上、衛藤に当たり散らしたりということはなかったのだが、とにかく思考がネガティブで「もー駄目! 絶対無理!」としょっちゅう弱音を吐いていた。どちらかといえば前向きな性格だと思っていた香穂子があれほど落ちるのは予想外だったが、それも相手が衛藤ゆえの甘えだと思えば可愛らしさすら覚えたのだから、全く恋は盲目とはよく言ったものだ。
 そして何だかんだ言いつつも、無事に香穂子は星奏学院大学部音楽学科ヴァイオリン専攻へ進学を見事決めたのだから、結果オーライといえる。
「まあ、プレゼント交換も魅力的な申し出だけど、それはまた後で考えるとして。ぼちぼちどっかで休憩しない? 腹減ってきた」
「うん、いいよ。……あ、でも、アクセサリーはいいの? 話してて、あんまりじっくり見てない」
「ああ。どうしても買いたいって思ったら、また後で来ればいいし」
 衛藤の答えに香穂子は素直に納得し、じゃあ何を食べようか?とフロアガイドが掲示されている壁際へと爪先を向ける。そんな香穂子の華奢な背中を見つめながら、「あんたがアクセサリーがダメじゃないって分かれば、それでいいし」と衛藤が香穂子に聞こえない声で呟いた。
 
 
 カフェで軽く食事をした後、二人は電車を乗り継ぎ、海沿いの公園へやって来る。観光名所でもあるそこは、休日ともなればさすがに観光客から親子連れまで人で溢れていたが、少し海から離れた庭園はのんびりと咲き誇る花を愛でて歩く人が行き交うだけで、思いのほか静かで落ち着いていた。
「あんまりこっちの方来たことなかったけど、案外こっちでヴァイオリン練習してもいいかもね。海風からちょっと離れるし」
「ホントの『練習』ってことならそれもありじゃない? 聴衆集めようと思うなら、あっちの人が多い方からこっちに引っ張って来るには相当の魅力的な音じゃないと無理だと思うけど」
 こちら側ではまばらな観光客に倣って、花々を眺めながら緩く手を繋ぎ、ゆっくりと歩きながら他愛ない話をする。しばらく歩いて、周囲に人の気配が絶えて。そこで、衛藤が不意に足を止めた。
「……あのさ、香穂子。少し真面目な話、していい?」
 つられるように足を止め、衛藤を見上げた香穂子が軽く目を見開く。
 朝からうっすら感じていた、漠然とした不安。今日が『告白の日』だからちょうどいいと、この日に逢うことを決めた衛藤の決断の意味。
 多分、それをこれから告げられる。
 これまでいつも通りだった衛藤の様子が、急に真面目に少し緊張した雰囲気になる。……どう見ても、明るく楽しい話題を告げられる気配ではない。
(……「別れよう」って話になったら、どうしたら)
 だって、香穂子は今でも変わらず、衛藤のことが大好きだ。
 衛藤も、香穂子のことを嫌いになったそぶりは見せていないと思う。
 辛かった受験も、衛藤のおかげで乗り越えられた。香穂子が落ち込むときも、肝心なところは厳しくて容赦がなかったけれど、見捨てることはなく根気よく付き合ってくれていた。
(ああ、でも。だから面倒になったってことも……)
 合格を決めてお礼を言った時も、「あんたが一番頑張ったからじゃん? 結果が出て何より」と笑ってくれたけれど、我に返ってあの時期を顧みれば、何かにつけてどん底に沈む自分自身は、我が事ながら実に面倒くさい生き物だった。
(本当はもっと前に愛想尽かしてたのに、私が受験で、しかもものすごいネガティブ思考だったから、気を使って我慢してくれてたんじゃ……)
 そんな風に考え始めれば、別れを告げられる心当たりは、意外にも有り過ぎる。本来なら二つも年上の香穂子の方が、いろいろと衛藤を支えなければならない立場のはずなのに、ヴァイオリンの実力の差的なものもあり、逆に衛藤から支えられて、彼に甘えっぱなしだったことも否定が出来ない。
 もし。……もし、衛藤がそんな不甲斐ない自分に嫌気が差して、別れたいと望むなら。
 香穂子は、辛い。受験の失敗への不安なんて比じゃない。……多分、しばらくの間は立ち直れないほど。
 衛藤にこれまでのように逢えないこと。笑いかけてもらえないこと。触れ合えないこと。……いつか、衛藤が自分じゃない誰かと幸せになってしまうこと。
 衛藤と別れることで現実になる全てが、香穂子を貫く凶器になる。
 だけど。
(そうして私が我儘言うことで、衛藤くんを苦しめる方が嫌だ)
 衛藤には充分支えてもらった。衛藤と一緒でなければ味わえなかった幸せを、彼からたくさん貰った。
 別れたいと望む彼の気持ちに応えることが香穂子に出来る唯一のことであるならば、頑張ってその辛さに耐えてみよう。
(耐えられるかな?)
 彼に貰った幸せが大きい分、その幸せの喪失に耐えられるかは、香穂子にも自信がないけれど。
「……大丈夫。衛藤くんが望むんなら、衛藤くんが幸せになってくれるなら、私はこれから一人でも、ちゃんと頑張れるから……」
「ねえ、ちょっと待って? 香穂子、何か勝手に俺たちが別れる前提で話してない?」
 涙声でぽつぽつと呟く香穂子に、思い切り衛藤が眉間に皺を寄せた。
 

「何でそこで、別れ話とかネガティブな方向に話が行くわけ!?」
 改めて近くにあったベンチに並んで腰かけ、気が抜けた香穂子は先程からひたすらに身を縮め、溢れてくる涙を衛藤に差し出されたハンカチで押さえている。真面目な話をすると言った自分の言葉をきっかけに、脳内でとんでもない方向へ思考を向かわせた香穂子に衛藤は憤慨しているが、思わせぶりに話をもったいぶった衛藤も悪いと香穂子は思う。何せ、普段はそんなことに気を使わないキャラクターであるがゆえに。
「だって、衛藤くんが改めて真面目に話って……何か言い辛い話なんだろうなって思っちゃったんだもん」
「まあ、言い辛いって言えば言い辛かったけど。そういう記念日が近々あるって聞いたから、その勢いに乗っかろうと思ったのも事実だけど……でも俺、前に言ったよね。あんたと別れる気はないって」
 「告白の日」という記念日にかこつけて切り出しにくい話をしようとした後ろめたさはあるのだろう。珍しく衛藤の言い方も歯切れが悪い。
 だが、衛藤の方からしてみれば、自分と香穂子の関係が維持されたままであることが前提で告げようとしていた話だ。まさかそっち方向に曲解されるとは思ってもみなかった。
「そもそも『告白の日』って、恋人同士の記念日じゃん。そういう記念日をチョイスして別れ話切り出すのって、俺がどんだけ鬼畜なのって話!」
 本当に別れ話をするのであれば、記念日を理由にしようなどと衛藤は思いつかない。この関係がもう続かないと判断できた時に、それこそ面と向かって、真摯に伝えるべきものだ。
「じゃあ、真面目な話って一体……?」
 まだその目に涙を浮かべたままの香穂子が、じっと衛藤の顔を見つめる。こういう時ばかり真っ直ぐに見てくるかな、と大きく溜息を付き、衛藤が口を開いた。
「……俺さ。今年の秋に、留学することに決めたんだ」
 思いがけない話に、香穂子は目を見開く。
 元々、留学志望だということは衛藤から告げられていた。ヨーロッパは自分の系統じゃないと思うから、おそらくアメリカの方へ。
 そう言われているから、いつかはと思っていたけれど、こんなに早いとは考えていなかった。
「2年生で、高校途中なのに? 早くない?」
「まあ、ちゃんと高校卒業してから進学を機に留学って言うのが順当かもしれないけど、早いに越したことはないし……。実際、蓮さんだって高2の時だったろ?」
 香穂子が常々目標にしている月森蓮がウィーンへ留学したのも、そう言えば高2から高3に進級する前の冬だった。そう考えれば、衛藤の留学というのも随分と現実的なものに思えてくる。
「一応、暁彦さんにも相談して、いろいろ調べたり準備したりで。……本当は、もっと後に知らせても良かったんだけど、今年の末に留学するって知ってるのと知らないのとじゃ、これから留学までの俺たちの過ごし方ってもんが違ってくるかと思ってさ」
「え、そんな準備してるの、全然気づかなかった……」
「そりゃそうだ。あんたが受験で一番テンパってる時期だもん」
 肩をすくめる衛藤に、成程、と香穂子が納得する。確かにあの自分の事で精一杯だった時期に、衛藤が何をやっていても気付くことは出来なかっただろう。
「受験終わったし、もうぼちぼちあんたに言っておいてもいいかと思って。……まさか、別れ話と誤解されるなんて思ってもみなかったけど!」
「ご、ごめんなさい」
 恐縮して、香穂子が頭を下げる。そこで、はたと気が付いた。
「……でも、だったら、あんなに緊張して話そうとしなくてもよかったんじゃ……」
 留学は、衛藤の中の決定事項で、揺るぎないものだ。時期がそんなに早いとは思ってもみなかったものの、香穂子もそれなりに彼が留学するという覚悟はきちんとしていたのに。
「……そりゃ緊張は、するよ。俺はあんたと別れる気なんてこれっぽっちもないけど、あんたの方が遠距離になるのは嫌って俺のこと切っちゃったら、手の打ちようがないじゃん?」
 衛藤の言葉に香穂子は一瞬きょとんとし、それから、ゆっくりと破顔する。
 香穂子が衛藤からの別れ話が不安で仕方がなかったように、衛藤も香穂子からの別れを怖がっていてくれたのなら、それは巡り巡ってお互いがまだ強く想い合っていることの、その証だ。
「……大丈夫」
 先ほど同じ言葉を告げたときとは、違う気持ちで。香穂子は噛みしめるように呟いた。
「衛藤くんが留学するのは分かってたし、覚悟してたし。それでも絶対衛藤くんへの気持ちは変わらないって思ったから、今衛藤くんの隣に私がいるんだし。……衛藤くんが私のこと好きでいてくれるなら。彼女って思ってくれてるなら、私は大丈夫」
「……あんたって、変なところで急に前向きになるから、ちょっと扱い難しくて、困る」
 ふいと視線を背けた衛藤の目尻がほんのりと赤く色づいていて、香穂子はそれが嬉しくて増々笑顔になる。
 満面の香穂子の笑みを、どことなく悔しそうに横目で見やり、衛藤が溜息を付いた。きょろきょろと辺りを見渡し、そして徐に香穂子の方へと向き直る。
「……一応、周囲は確認したし。そもそもそういう可愛いことを不意打ちで言うあんたが一番悪いよね」
「何のこと……」
 尋ね返す香穂子の頬に手を添えて、香穂子の言葉を塞ぐように衛藤が口付ける。
 すぐに唇を離すと、驚いたように目を丸くした香穂子と目が合う。楽しげに笑う衛藤に、少し困ったそぶりを見せながらも、香穂子が目を閉じて、軽く唇を開くので。
 遠慮なく、衛藤は久しぶりの深い口付けを存分に味わったのだった。
 
 
「……それでさ、俺、ひとつ香穂子に頼みたいことがあって」
 ぎゅっと腕の中に香穂子を抱き締めて、出逢った頃より少し長くなった彼女の背中で跳ねる毛先を指先で弄びながら衛藤が言う。
 衛藤の胸に顔を埋める香穂子が小さく頷いた。
「うん、何?」
「俺がいない間、ちゃんと虫除け付けて欲しいんだよね。あんた、自分が可愛いってことホント自覚してないから、心配しかないし。……アクセサリー、俺からプレゼントしたものなら、付けるの抵抗ないんでしょ?」
「……虫除け?」
 身を起こした香穂子が尋ね返すと、衛藤が頷く。
「『ここ』に、虫除け付けて。合格祝いにプレゼントするから」
 香穂子の左手を片手に取り、衛藤は親指と人差し指で香穂子の薬指を撫でる。その意味に気付いた香穂子が、まじまじと衛藤の顔を仰ぎ見る。
「もちろん、本物は留学から戻ってから渡すけど。安物であろうと、ここにモノがあるのが重要だからさ」
「えっ、あっ、じゃあ、あの! わ、私もプレゼントしていい? 虫除け! 進級祝いと留学祝い!」
「留学祝いには早いけどね、いいんじゃない?」
「ホント!? ……あ、そっか。だから衛藤くん、さっきのお店で何も買わなかったんだね。じゃあ、これからペアリング見に行く?」
「……あと」
 香穂子がはしゃぐのは無視して、衛藤は香穂子の耳元にぼそりと二言、三言告げる。
 一瞬、ぴたりと動きを止めた香穂子が、見る見るうちに真っ赤になった。
「頼みたいこと、一つじゃないじゃない! 贅沢!」
「どうしても今日は一つじゃないと聞けないっていうなら、ペアリングの件保留して、こっち優先にしてよ。あんたが受験の間、こっちがどんだけあんたに逢えないのを我慢してやってたと思ってるの」
「それを言うのって卑怯!」

 ぶつぶつ言いながらも、香穂子は衛藤と繋いだ手を離さない。
 ベンチから立ち上がって、せっかくだからやっぱりペアリングの物色には行ってみようと、駅の方角に歩き出しても、それでも尚。
 だから、衛藤には分かっていた。
 香穂子が衛藤のお願いを、きちんと聞いてくれるつもりであることを。
 
 
 ねえ、香穂子。
 今日は帰らないで。
 俺と朝まで、ずっと一緒にいて。


あとがきという名の言い訳

恋愛物書くのに「告白の日」ってベタな記念日ですけど、両想いならば特に必要ない記念日ですよね。まあ、衛藤なら留学ネタかな、と。割とあっさり結論が出ましたが。 月森と違って留学が悲恋にならないところが衛藤らしさかなとも思います。要るもんは要る!って感じで。
実はもうちょっと文章量を増やしたかったんですが、ここの二人、全てをさくさく決断してしまうので、特にエピソードが思い浮かばなかったという…(笑)

記念創作は裏頁に続くように作成していますが、それを読まないと話が完結しないということもありません。続きのみを配布することはありませんので、希望される方は基本の裏頁アドレス申請の規定を遵守してください。
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執筆日:2018.11.04

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