キミがボクのかえる場所

東雲さなえ様 律×かなで

 おせち料理の材料を買いたいからと、律に付き合ってもらい、二人で買い出しに出かけた。

「思ったよりも遅くなっちゃったね」
 菩提樹寮を出た時にはまだ明るかったのに、店を出た頃にはすでに辺りは暗くなっていた。
 時計を見ると文字盤は17時半を示している。
「すっかり日がくれるのが早くなったな」
「冬って感じだね」
 買い物袋を片手にひとつずつ持ち、たわいのない会話を楽しみながら帰路を辿る。
 冷えた外気がかなでの頬をするりと撫でた。
 小さく身震いをして、はぁっと空いた手に暖かい息を吐きかけると、白く曇った吐息が宙を舞った。
「手を繋いで行かないか?」
 それを見ていた律が空いている手をかなでに差し出してくる。
「うん!」
 笑顔で応え、差し出された手をしっかりと握った。
 律の手の温もりはかなでの心も温めてくれる。自然と笑みが深くなった。
「もうすぐ今年も終わっちゃうね」
「早いものだな」
 嘆息しながら呟かれた律の言葉に頷いて、かなでは今年を振り返った。

 この夏は特に鮮烈に記憶に焼き付いている。
 全国学生コンクールのアンサンブルメンバーに選ばれて優勝したこと。
 たくさんの人々との出会い。
 変わっていったヴァイオリンの音色。
 星奏学院に転入してからの日々は怒涛のように通り過ぎていった。
 今まで田舎で暮らしてきた十数年間をはるかに凌駕するほどの濃密さで。
 それに伴い、隣を歩く律との関係も大きく変化した。
 かなでの中で幼馴染みであり初恋の相手だった律は、アンサンブルを率いるオケ部の部長になり、そして恋人となった。
 律と過ごす日々はとても幸せで。
 かなでにとってはキラキラ光る宝物だ。
 だから、余計に寂しくなる。
 年が明けて、春になったら。
 律は星奏学院を卒業してしまうから。
 もうこんな風に律と並んで菩提樹寮に帰ることもなくなるのだ。
 そう思うとふいに胸の中を冷たい風が吹き抜けるような感覚がして、唐突に寂しさが襲ってきた。
 どんどん足が前に出なくなって、かなではその場に立ち尽くしてしまう。繋いだ手に引っ張られ、律もすぐに歩みを止めた。
「かなで?」
 律はかなでに近づくと、俯く彼女に声をかけた。
「どうした?」
 促されるように顔を上げたかなでの瞳にはうっすらと涙が滲んでいる。
「律くんが卒業しちゃったら、この道をもうこんな風に歩くこともなくなるんだなぁと思ったら、急に寂しくなったの」
 迷子の子供のような頼りない気持ちが、かなでの胸に満ちる。
「やっと昔みたいに傍にいられるようになったのに。毎日会っておはようとおやすみを言ったり、一緒にご飯食べたりすることもなくなるんだよね。律くん。私、律くんと離れたくないよ」
 再び俯いて、かなでは震える唇でぽつぽつと本音をこぼした。
「ごめんね。私、子供みたいなワガママ言ってるよね」
 本当はよく分かっている。そんなことできるわけがないということは。
 どんなに願っても時間は止まってはくれない。
 それは律が星奏学院に入学するために田舎を出た時にも痛感したことだから。

 律は手にした荷物をその場に下ろすと、空いた手でかなでの頭を何度も撫でた。
 昔もよく我が儘を言って泣いては律を困らせていたことを思い出す。
 律はかなでが泣き止むまで、今みたいに頭を撫でて慰めてくれていたのだ。
「大丈夫だ」
 撫でる手を止めずに穏やかな声で律が言葉を紡ぐ。
「我が儘なんかじゃない。俺もお前と同じ気持ちだ。だから……」
 律は握った手に力を込めた。
「いつかまた、俺と暮らしてくれないか?」
 律の口から発せられた驚きの言葉に、かなでの瞳が大きく見開かれる。
「これから俺たちは別々の道を歩むことになるだろう。けれど、帰ってくる場所は同じでありたい」
 律はかなでの手を引くと、その華奢な体を抱き締めた。
「かなで」
 耳元に吹き込むように言葉を紡ぐ。
「昔も今も。俺の帰る場所は、いつだってお前のもとなんだ」
 囁かれた言葉に胸が震える。かなでの瞳からはいく筋もの涙がこぼれ落ちた。
 律の背に腕を回し、すがるようにぎゅうっと力を込める。
「嫌か?」
「嫌なわけがないよ!」
 首を勢いよく左右に振る。月明かりに照らされ、かなでの涙がキラキラと散った。
「私だって律くんと同じ気持ちなんだから!」
「そうか」
 律はほっと息を吐き、かなでの冷えた頬を両手で覆うと、額に自分のそれをこつんと押し当てる。
 かなでの体にじわじわと律の熱が伝わってくる。それがとても心地好くて安心できた。

 卒業は悲しい。その場になったらきっと泣いてしまうだろう。
 それでも大丈夫だと信じられる。
 律はかなでの寂しさを埋めてくれた。
 かなでとの未来を人生の設計図に入れてくれたのだから。
(もう、寂しくなんかない)

 頬に触れた律の手に己の手を重ね、ふふっとかなでが笑みをこぼす。
「かなで?」
 不思議そうな顔をする律を上目遣いで見上げて、かなでは悪戯っぽく微笑む。
「さっきの律くんの言葉。まるでプロポーズみたいだなって思って」
「いや。プロポーズではないが」
「うん。分かってる」
 ばっさり切り捨てられても、今さらショックは受けない。
 律相手に過度な期待はしない方が賢明であると、さすがに何回も繰り返しているうちにかなでは学んだのだ。
(でも良いの。律くんが一緒に暮らそうって言ってくれただけで十分幸せだから)
 かなでは幸福に胸がいっぱいだった。
 だからうっかり聞き逃すところだったのだ。
「プロポーズはいずれ言うから待っていてくれ」
 律の口からさらりと零れ出た言葉を。
「え?」
「ん?」
「い、今、プロポーズって」
「ああ。いずれ……その時がきたらするつもりだが、何かまずかったか?」
「全然まずくないよ!」
 律はずるい。無自覚でかなでを喜ばせることを口にするのだから。
「ならば良かった」
 頬を真っ赤に染めたかなでの顔を覗きこむようにして、律が微笑む。
 その笑顔にまた胸がいっぱいになって。
 かなでは律の頬を両手で挟み込むと、背伸びをして律の唇に己のそれを重ね合わせた。




2014.11.26 お預かり
【管理人より】
律かならしい話ですよね!(笑)さなえさんちのかなでちゃんは結構押せ押せ(笑)
幸せそうな律かながほっこりします。最後の諸々のやり取りもね!

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