箒星別館

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001.世界

『夏目友人帳』夏目と先生

「夏目、みかん。みかんむいてくれ」
 短く太い、白い前脚が夏目の腕をばしばしと叩く。
 外見はただの不格好な招き猫のくせに随分ふてぶてしい態度だと嘆息しながら、夏目は塔子さんが几帳面にカゴに積み上げてくれたみかんを、一つ手に取った。
「全く、自分ではむけないくせに、何でそんなに態度がでかいんだか……」
 ぶつぶつ呟きながらも、夏目は丁寧にみかんの皮をむいてやる。筋もきちんと取れと横槍を入れられて、渋々ながら綺麗に白い筋をみかんの表面から引き剥がした。
「ほら、先生」
 綺麗にむき終わったみかんを豪快に半分に割り、夏目は半分を隣で待ちわびているニャンコ先生に放り投げる。慌ててそれをキャッチする姿に笑いながら、残りの半分を自分の前歯に引っ掛けた。
「私のみかんに何をする!」
「むいた人間の特権だろ。いいから先生はそっちを食べろよ」
 飛びかかってこようとするつるふわの額を片手で押さえると、しばらくじたばたと短い手足を振り回していたニャンコ先生は仕方なさそうに夏目が放ったみかんを両方の前足で押さえ込むと、もぞもぞと食べ始める。「後半分、必ずむかせてやる……!」と変に決意を固めるニャンコ先生から、テーブルに頬杖をついた夏目は笑って視線を離した。

(……おかしな気分だ)

 改めて、自分とニャンコ先生の会話を反芻して、夏目は小さな溜息を付く。
 その溜息は、孤独だった幼い日々にこっそりと零していたものと違い、ひどく穏やかな溜息だった。

 祖母譲りの高い妖力。それ故に人とそれ以外のモノの区別が付かない悪癖。
 自分が観ている世界を誰も理解してはくれない孤独に、幼い夏目はいつだって打ちのめされていた。
 だからこそ、沢山のものを恨んだ。
 自分の世界を理解してくれない周りの人間達を。
 自分の世界を他の人間達と同じにはしてくれない、異形の存在を。
 そして、どちらの世界にも溶け込めない、自分という人間を。
 いつも誰かに嘘を付いて、心は自由になれない世界で。
 ……きっと、寂しく生きて、死んで行くのだと。
 そんなふうに思っていたのに。

(きっかけは、ニャンコ先生との出会いと。……友人帳、か)
 あの時も、いつものように妖のごたごたに巻き込まれた。そして、祖母の唯一の形見、友人帳の存在を知った。
 あれほど敬遠していた『普通』とは違う世界へ、深く足を踏み入れた日。
 『名』を取り戻そうとする妖と、友人帳と呼ばれる強大な力を持つものを狙う者たちと、関わらざるを得なくなった、分岐点。
 忌み嫌っていたはずの異質な存在と、孤独だった幼い頃以上に関わりは深くなっているというのに、今の自分には大切なものが沢山出来た。
 こんな自分を理解してくれる、わずかだけれど確実に存在する『人間』の友人達と。
 確かに、何か暖かいものを教えてくれる、『妖』の友人達と。

 今の自分は、孤独じゃない。
 守りたいもの、大切にしたいものがある。
 幼い頃に比べて、別に何が好転したわけでもない。
 ……むしろ、あんなに忌み嫌っていた世界に、深く、深く足を踏み入れてしまったのに。

「おれ。……逃げてたんだろうな」
 最後の一房のみかんを口の中に放り込み、その微かな酸味を夏目は噛み締める。夢中でみかんを食べているニャンコ先生に気付かれないように、小さな呟きを落とした。

 妖を見ない、『普通』の人の世界も。
 人と交わらない『異質』な妖の世界も。
 どちらにも、夏目は純粋に溶け込めない、境界にいる存在だったから。
 あの頃の夏目には、どちらも夏目が存在していい世界には思えなかった。
 初めから、そんなふうに思い込んでいたから。
 溶け込めないと諦めて、直視することをしなかったから。
 ……背を向けて、逃げ続けていたから。
 その『世界』の素晴らしさも、夏目は気付かないままだったのだ。

 きっかけは、ニャンコ先生との馬鹿馬鹿しくも穏やかな生活と。
 祖母・レイコが遺してくれた『友人帳』。
 それらが否応なく夏目を、夏目が敬遠していた世界へと引きずり込んでくれて。
 真正面から向き直らざるを得なかったからこそ手に入れた、現在の夏目の『世界』。

(人も、妖も。……生きる世界は違っていても、やっぱり同じ存在なんだろう)

 異質なものを、同じように見る夏目だけが気付くことの出来たその真実。
 立ち位置は違っていても。
 大切にしたいと願うものは違っていても。
 何かを『大切にしたい』と願う、『心』は。
 『情』は。
 きっと、ヒトもアヤカシも同じもの。

「おいこら夏目。ぼうっとせずに、早く次のみかんをむかんか!」
 傍らで、短い前脚で遠慮なく夏目の腕をニャンコ先生がどつく。みかんみかんとうるさいニャンコ先生に再び苦笑しつつ、夏目はカゴのみかんに片手を伸ばす。

「はいはい。……筋もきちんと取るんだろ?」



 『世界』を否定していたのは、きっと。
 ずっと、自分自身の方だった。
 馴染まないから、異質だからと諦めて。
 まともにこの『世界』の良さを知ろうともしなかった。

 それでも、孤独だった祖母が。
 どんな形であろうとも、確かに祖母にできる方法で異質な『世界』と関わろうとしていたように。

 自分らしいスタンスで。
 まっすぐに、自分が立っている場所から世界を眺めてみれば。

 きっと自分の目に映る『世界』の色は。
 ひどく素晴らしいものになるのだろう。
001.世界

2015.08.09 転載


【あとがきという名の言い訳】
ある日ふと思いついた夏目話。盛り上がりも何もないですが、
ほのぼのな、書いていて心落ち着く話ではありました。
夏目は自分の能力を自分自身で受け入れて、
ようやく幸せになれる子だろうと思っています。
田沼くんたちとの何気ない日々も、いつか書けたらいいなと思ってます。
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