箒星別館

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007.指先

『遥かなる時空の中で3』景時×望美

 昼間の悲惨な争乱が嘘のように、日が暮れた陣営内は明るい喧噪に満ちていた。それでも戦場の最中にあるためか、談笑する人々の表情には微かな疲労が見え隠れし、望美は小さく胸を痛めながら、静寂を求めてその喧噪から離れ、陣の裏側へと回り込んだ。
 剣を振るうことには慣れた。だが、戦うことにはいつまで経っても慣れることは出来ない。怨霊相手ならばともかく、それ以外はただの、人を傷つけるだけの行為だからだ。
 それでも、何もせずに逃げ出す卑怯者にもなりたくない。皆、同じ気持ちで戦っているのに。
 微力でも、大切な人達を守れる力になれるのなら。
 少しでも誰かの命を救う手助けが出来るのなら。
 そこに、白龍の神子としての自分が、前線に出る意味がある。

(……あれ?)
 陣に灯された松明から離れると、電気もネオンもない京の夜は途端に何も見えない漆黒の闇になる。微かな明かりのみが届く陣の裏側、真っ暗な木々の隙間に、先客の姿が見えた。
(景時さんだ)
 源氏の軍奉行。総大将である頼朝公の信を一身に受ける人。
 ……出逢い方が出逢い方だから、望美が彼に抱くのは、どちらかといえば穏やかでのんびりとした、優しい人という印象だ。だが、平家との小競り合いの中で見せる景時の手腕は、確かに軍奉行という肩書きに相応しいものだった。
(……どっちが、『本当』なのかな?)
 望美が心の中でイメージする景時と、目の前で軍を率いる景時が、随分と異なった姿を形作るから。
 ……ふと、そんなことを望美は思った。

「……景時さん?」
「うわっ!」
 樹の根元に座り込んで項垂れていた景時に、小声で望美が声をかけると、景時は驚いたように身体を震わせ、顔を上げた。緊張を伴った表情でこちらに視線を向けた景時は、暗がりの中に望美の姿を認め、「……望美ちゃんかあ」と安堵の溜息と共に表情を和らげた。
「ごめんなさい。びっくりさせちゃいました?」
「うん、ちょっとね。うとうとしてたから」
 申し訳なさそうに望美が言うと、再度小さな溜息を付いた景時が応じる。
 ……確かに、陣営から漏れて来る微かな明かりに照らされる横顔には、はっきりとした陰影と共に疲労の色が見て取れる。
 手が届くか届かないかの微妙な位置に身を屈めた望美は、地に両膝を付いた。ちらりと視線を寄越した景時の顔を上目遣いに見つめ、望美は陣営の方を振り返る。
「辛いなら、ちゃんと向こうで横になってた方が良くないですか? 明日も戦い、続くのに」
「……うん、そうだね」
 軽く応じる景時に、その気がないのはすぐに分かった。後で戻るよ、と言った景時の言葉に嘘を見抜いて、望美はその場に「よいしょ」と、本格的に腰を据える。
「望美ちゃん?」
「景時さんが戻るまで、私もここにいます。本当に休みたいのなら、きちんと陣営に戻って、横になって休んで下さい。……ここではどうせ芯からは休めないんだから、私がいても大丈夫でしょ?」
 望美の言葉に目を丸くした景時は、「参ったなあ」と苦笑しつつ、樹の幹に背中を預ける。どうやら、それでも陣営の方に戻る気はないらしい。呆れたように溜息を付きながらも、望美は景時と肩を並べて、明るい陣営の方へ視線を向けた。

 明るい松明の下で人々の談笑する声。ぱちぱちと木が爆ぜる音は、何だかとても遠くて、別世界の風景のように思えた。
 しばらくの間、お互いに黙ったままそんな仄かな橙の明かりの下の風景を見つめていた望美と景時だが、やがて望美の方が、そのいつ終わるともしれない沈黙に耐え切れなくなる。
「……あの、景時さん?」
「ん?」
 おそるおそる、小声で呼びかけてみると、すぐに景時から声が返ってきた。……あまりに静かだから、もしかしたら寝てしまったのかもと思ったのに。
 だが、そうして実際に簡単に返事をもらえると、今度は続きに何を話していいのか分からない。「ええと、ええと」と頭の中で、望美は懸命に話題を探す。
「あの!……景時さんってやっぱり凄い人なんですね!」
 結局、特に場を凌げる適切な話題なんて見つけることが出来ずに、望美はふと、先程考えていたことを思い出した。
 『軍奉行』としての、景時のこと。
「……凄い? オレが?」
 景時は驚いたように自分を指差して尋ねる。望美がこくこくと頷いた。
「私、九郎さんたちとずっと行動してたから、良く考えれば景時さんと一緒の陣営にいるのって、今回が初めてなんですよね。何となく、景時さんが戦う姿って、想像出来なくって」
「ああ、そうだね~。オレ、考えてみたら情けないところばっか、君には見られてるんだよね……」
 出逢いからしてアレだしね、と景時は苦笑いする。
「あの……私、景時さんを見くびってるわけじゃなくて」
「……うん、分かってるよ」
 慌てて望美が弁明すると、景時は薄く笑って双眸を伏せる。……どこか哀しそうな笑顔だなと気付きながらも、望美はそこを言及しようとはしなかった。
「……でも、いざ戦いになると、やっぱり軍奉行って言われる人なんだなって。指示も的確だし、咄嗟の判断もきちんと筋が通ってるし」
 どちらかと言えば、勢いを大事にする九郎の戦略とは違い、景時の戦い方は綿密な計算に裏打ちされているような気がする。戦に関しては素人の望美の判断だから、大雑把なことしか言えないが。
「指示されたことに、ちゃんと戦全体を有利に進めるための意味があることに、後から気付いたり。……私は、目の前に現れた敵を退けることで精一杯だから、やっぱり凄いなって」
「……凄くないよ」
 ぽつりと景時が、低い声で答える。
 ちらりと視線を向けてみても、空の一点を見据えている景時の表情は、暗くてよく分からなかったけれど。
 ……それでも、その声が景時の『真実』なんだと。
 望美は、何となく気付いてしまった。
「九郎のように味方の勝利のために真摯に戦うことなんて、オレには出来ない。……傷付けないように、傷付かないように、足掻くので精一杯だよ」
「……でも」
 景時の気持ちが、少しでも上向くように。
 望美は、努めて明るい声音で言う。
「それが一番、大事なことなんじゃないですか?」
「……え?」
 戸惑うように望美を見つめた景時の瞳が不安に揺れる。望美は、その不安を払拭するように、ただにっこりと笑ってみせた。
「傷付けたい人も、傷付きたい人も、いません。だったら、景時さんの戦い方は、一番正しい戦い方なんじゃないですか? だから、やっぱり景時さんは凄いんです」


 何も知らない、無垢な少女だ。
 この地に降り立つまで戦いを、血の色を知らず、平和に生きてきた、清らかな神子。
 彼女は知らない。
 景時が戦いを厭う意味を。
 穢れを洗い流さずにはおれない意味を。
(だって、この手はたくさんの罪なき人の血に穢れているんだ)
 血の染みはどんなに洗い流そうとしてもなかなか清められないのと同じように。
 見ない振りをしても染み付いていくその色と匂い。
 だから、せめて。
 無闇に余計な血を浴びないよう。
 ……これ以上、自分が罪の色に染まらないよう。
 ただ、無様に足掻いているだけなのに。
(それを、凄いと君は笑うんだね)
 その無邪気さは、時に酷く景時の心を痛めつけ。
 ……そして、どうしようもない絶望に、ほんの少しの光を与える。


「……望美ちゃん」
「はい?」
 名を呼ぶと、鈴を転がすような軽やかな声が応じる。真面目な顔で、景時は自分で自分を指差して望美に尋ねた。
「……オレ、凄いのかな?」
「はい」
 望美が躊躇いなく答え、屈託なく笑う。
 ……それが、嬉しいと素直に思えたから。
「……じゃあ、望美ちゃん。オレのこと、誉めてくれる?」
「はい。……っていうか、誉めるってどうやって?」
 もう誉めてますけど、と首を傾げた望美に向かって、景時は身を乗り出してみる。

「……頭、撫でて」

 綺麗な、綺麗な。
 君のその指先で。
 ……怨霊という名の哀れな穢れを浄化するその指先で。
 オレに触れて。
 ……オレの穢れを。どうか。

「……子どもみたいですね、景時さん」
 呆れたように言いながら、楽しそうに笑う望美の指先が、そっと景時の髪に触れる。「景時さん、えらいえらい」と本当に子どもをあやすみたいに、望美の指先が景時を優しく撫でて、心の奥を、そっと暖めるから。


 オレの穢れを。
 血の匂いを、染みを。
 ……この身を蝕む罪を。
 清めて、癒して。
 そうして、暖めてくれたなら。


 そんな、途方もなく贅沢な願いを呟きながら。
 景時は撫でる指先の心地よさに。

 ……そっと、目を閉じた。
007.指先

2015.08.09 転載


【あとがきという名の言い訳】
実は渡瀬は『遥か3』は九望推しだったりしますけど(笑)、
景時は苦悩する部分が分かりやすいので、
創作として書く時には書きやすいキャラです。
でも何で景望書いたかって言ったら、
友人がこのCP最推しだったせいなんですけどね(笑)
需要があればとりあえず書いてみる。
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