035.喪失
『暁のヨナ』スウォン
幼い頃から、長い時間を共に過ごしてきたはずなのに。
それはこれまでに一度も見たこともない、憎悪と、そして深い哀しみに満ちた瞳だった。
「何だか、ひどく疲れてしまったなぁ……」
侍従たちが退き、一人残された自室の寝台に横たわり、スウォンは小さな声を漏らす。もちろん、灯も落とされたこの国の王の私室で、他愛ない呟きを拾い上げてくれる者はいない。
目を閉じて、片腕をその上に置くと、ここ数日の記憶が蘇る。
麻薬に侵された水辺の街の寂れた風景。
気が強いが、性根はまっすぐな水の部族長の一人娘。
わずかな兵力で沈められた他国の船団。
……死ぬ気だったのかと問うて叱責した家臣の声。
そして、この城の主であったころの朗らかさと無垢な笑顔を失くした代わりに、城にいる兵士と比べても引けを取らない正確な矢の技術と、凪いだ水のような静かな瞳を得た少女と。
まるで紅蓮の炎のような憎悪をまとい、自分を殺すために目の前に対峙した幼馴染み。
「……ちゃんと、分かってたつもりなんですけどねえ……」
スウォンにも、譲れない願いがあった。
その願いを叶えることは、大切な人たちの守るべきものを奪うということで、彼らよりもその願いを選ぶことは、彼らを失うことなのだと、理解していたつもりだ。
現に、あの頃この城に絶えず響いていた明るい笑い声は、もう蘇らない。
まるで陽だまりのように暖かだった彼らと過ごした幸福な日々は、今更何をしたって戻ることはない。
だが、後悔もしていない。
スウォンはただ、不当に奪われたものを取り返しただけだ。そしてこの道を選ぶことが、この高華国にとって最善であり、必然だったのだと信じて疑わない。
それでも、頭では理解しているつもりだった喪失の痛みを。
今になって、スウォンはようやく実感している。
ヨナたちが城を追われてすぐ、ヨナたちは火の部族の追跡を受け、崖から転落し、死亡したと報告を受けた。
その時に、スウォンは確かにヨナとハクを失った。動揺は少なからずあったし、哀しくもあったが、それでも直にその瞬間を目にしなかっただけ、スウォンは救われていた。
仕方ない、と割り切ることが出来た。
だが、実際はヨナとハクは生きていて。
この国をいい方向へ導くために訪れる先々で、その面影をちらつかせる。
そのたびに、心の奥底に沈めていたはずの思慕と罪悪感が、一瞬だけ浮かび上がるのだ。
今更、許されようとは思わない。
理由がどうであれ、スウォンは自分のことを信頼してくれていた……好きでいてくれたヨナから最愛の父を奪い、この城を簒奪した。そしてあれほど憧れていたハクに、王殺しの汚名を着せた。
そして、この茨道を自分自身で選び取ってしまった以上、歩みを邪魔するものがあれば、容赦なく斬り捨てる。……その覚悟がある。
それでも、記憶に焼き付いてしまった、あの静かで大人びた彼女の眼差しと。
明確に殺す意思を持って、自分へと伸ばされた指先とが。
スウォンが失ってしまったものを、痛烈に思い知らされる。
辛いことも哀しいことも知らない、無垢で可愛らしい、大切な従妹も。
いつだって自分を見守っていてくれた、誰よりも優しく誰よりも強い、幼馴染みも。
暖かな陽だまりのような幸福を自分に与えてくれた大好きな人たちは。
……もう、いない。
暗い闇に沈んだ城の中で。
声に応えてくれる人のいない、静寂の中で。
今、自分は。
たった独り。
035.喪失
2015.01.18 執筆
【あとがきという名の言い訳】
ヨナ創作を書いていくにあたって、スウォン側の
心情もまとめておきたいと思って書いてみた話です。
どのジャンルでも言えることかもしれませんが、
敵キャラでもそのキャラなりの信念を持って生きているんだよね……とか(笑)
スウォンにとってヨナとハクが大切な幼馴染だったことは
変わりないと思うので、現状にはスウォンなりの苦悩があるんでしょうね……。