箒星別館

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036.鳥籠

『暁のヨナ』ハク×ヨナ ※未来捏造

 部屋に一歩踏み込んで、ヨナは自分の赤く癖の強い髪を彩っていた重い装飾品を溜息と共に剥ぎ取る。寝台の傍の磨き清められた卓上にそれらを散らばして、思わず天井を仰いだ。
「……つかれたぁ」
 気の抜けきった呟きは、女官らの耳に入れば眉を顰められること請け合いだ。
 飾り立てられて大人しく従順を装い、愛らしく微笑んでいればそれでいい。
 それは、過去『緋龍城の深窓の姫君』だった時のヨナの、唯一の仕事だった。
だが紆余曲折を経て再び……今度はこの緋龍城を統べる女王としてこの場にいるヨナは、ただ愛でられて綺麗に鳴いていればそれでいい鳥籠の鳥ではない。今日成すべき仕事をすべて終えて、ようやく迎えたわずかな安息の時だ。少々気を抜くくらい、許されて然るべきだ。
「お疲れ様でしたー」
 そんなヨナの背後で、失礼なことに小さく笑いながら、何とも気の抜けた声で労いの言葉を放った人物がいる。慌ててヨナが振り返ると、開け放った窓の枠にもたれ掛るようにして、ハクがそこにいた。
 専属護衛の地位にふさわしく、気配を殺していつの間にかヨナの領域に入り込んでいた彼に、一瞬緊張を張り巡らせたヨナはほうっと安堵の息を吐いた。
「もうハク、脅かさないでよ」
「別にそこまで驚くことでもないでしょうに。……あの頃と違って、この城に不審者が侵入すればシンアが気付きますし、あんたに害するような輩は珍獣どもが排除しちまいますよ」
 冗談めかした口調の中に、わずかに真剣な色を含ませてハクが窓の外へ視線を送る。
 ……そう、今なら。
 本当に信頼のおける仲間がこの城に揃っている今ならば、ヨナはきっと何も失わずに済んだはずだ。
「……そういう問題じゃないわよ」
「そうっスね」
 苦笑しながら告げたヨナに、あっさりと肩をすくめたハクが応じる。
 ……今はこの城の中でそれぞれに合った地位を約束された彼らは、ヨナが彼らに出逢うまでに大切にしていたものを失ったからこそ手に入れた存在だ。
 喪失を難なく受け入れられるわけではない。
 だが、その分岐点を通らなければ得られなかったものがあるのも真実だろう。
「……じゃあ、俺もぼちぼち部屋に戻りますかね。明日も早いんですから姫さ……いえ、陛下も早く休んでくださいよ」
「え?」
 両腕を空に伸ばし、ふう、と息を付きながらハクが暇の意を告げる。ヨナの菫色の瞳が微かに見開かれた。
 ヨナの王としての勤務が終わる時、専属護衛としてのハクの勤務も終わる。
 城を追われ、追っ手の気配に身をひそめながら暮らしていたあの頃と違い、ハクはもう誰にも脅かされることのないはずのヨナの身を、一日中守る必要はない。
 彼が彼自身の時間を持てないことは申し訳なく思っていたから、限られた時間であるとはいえ、自由な時間をハクに与えられるのは喜ばしいことだ。
 だが、一日の中の大半を占める王としてヨナが過ごす時間は、ハクがヨナにとって『専属護衛』としての立場を貫く時間でもある。お互いに想い合うはずの自分たちがただのヨナとして、ただのハクとして傍にいられる時間は、そのわずかばかりのハクの自由な時間を侵食してしまう。
 自分の我儘で、ようやく与えられるようになった彼の『自由』を奪いたくはない。
 何よりも、彼の主であり、この国の頂点にいるものとしてのヨナの『我儘』は、『勅命』となってしまうのだ。
(お前も、もう少しだけ私と一緒にいたいと願っていて欲しいと思うのは、やっぱり我儘かしら?)
 苦く笑い、ヨナは俯く。
 ハクの言うとおり、明日も仕事は山積みだ。もう少し全てのことが落ち着いて生活に余裕が出来るまで、余計なことはあまり考えない方がいいのかもしれない。
 自分の心に折り合いをつけ、ヨナは一つ息を付く。ただ黙って自分の返事を待っているハクをまっすぐに見つめ、ふわりと微笑んで見せた。
「……ハクも、ゆっくり休んで。おやすみなさい。また明日」
 ヨナの返事に、すぐに自室に引き上げると思ったハクは、ふうん、といった不満げな表情でヨナを見下ろす。
 あまりにじいっと長い間冷めた目で見つめて来るので、ヨナの額に冷や汗が浮かんだ。
 ……まるで全てを見透かされているようだ。
「……そういえば。ユン参謀に命じられてたことがあったんスよね」
「え?あ?何?……ユン?」
 突然ユンの名前を出され、訳が分からずヨナが激しく瞬く。ハクが手を伸ばし、ヨナの片手を掴んで持ち上げる。
 緩く指先を丸めたヨナの掌に、ハクがゆっくりと口付けた。
「ハク……?」
「……『早く、世継ぎを作るように』」
 悪戯っぽく笑い、目を細めるハクにヨナは一瞬ぽかんと呆けて。
 それから、彼が告げた意味を理解して、見る間にその頬に朱を昇らせた。
「ハクっ、お前……っ!」
 からかってるの?と問いかけたヨナの開きかけた唇に、ハクが強引に自分の唇を押し当てた。舌先を挿し入れ、口内を味わい尽くし、反射的に逃げようとするヨナの小さな舌に絡め、唾液ごと吸い上げる。
 力強い両腕がヨナの華奢な身体を抱き寄せ、長い指先が癖の強いヨナの赤髪に埋められ、ぐちゃぐちゃに掻き乱した。
「……んう……っ」
 呼吸する隙間すら塞がれて、苦しげにヨナが呻く。力の入らない拳で何度かハクの腕を叩くと、存分に濃い口付けを堪能したハクが、ほんの少しだけ腕の力を緩めてヨナにわずかな自由をくれた。
「ユ、ユンが、そんなこと、言うはず、ない」
 容赦なく乱れた呼吸のせいで、途切れ途切れにヨナが言葉を紡ぐ。唇を濡らしたものを舌先で舐め取り、ハクがヨナを上目遣いに見つめた。
「そうでもないだろ? 厳しいように見えて、ユンはあんたには結構甘い。……国を背負う重責も理解してるから、あんた一人の肩に責任を乗っけておきたくねえんだろうよ」
 ……そう、だろうか。
 それなりに辛辣だから見過ごしてしまうけれど、普段のユンの言動を思えば、それもそうなのかもしれないと、ヨナは素直に納得する。
 そこまで考えて、ヨナはふと我に返った。
「万が一、そう思ってくれてるにしても、ユンがハクに『世継ぎを作れ』なんて命令するのが可笑しいじゃない!」
「おや、バレましたか」
「ハク!」
 唇の端を歪めて、全く悪びれる気配もなく、ハクはあっさりと嘘を白状した。抗議の色を含めて自分を睨むヨナの柔らかな頬の輪郭を確かめるように、ハクの硬い指先がなぞる。
「……あんな表情をする、あんたが悪い」
「え……?」

 ……少しだけ、名残を惜しんでくれればいいと思った。
 だから、二人だけの時間の余韻を残すことなく、ハクはこの場をすぐに退くと言った。
 そして、ハクがそう告げた後のヨナは、ひどく物欲しげな顔をして。
 それでもそれをハクのために懸命に隠して。
 今にも泣きそうな微笑みで、「また明日」と告げたのだ。

「俺と居たいんだろ? だったらそう言えばいい。あんたがそう望むなら、望むだけ俺はあんたの傍にいる」
「で、でも」
 上手くやり過ごしたいのに、身体はまだハクの両腕に囚われたまま。
 本心を隠すことも誤魔化すこともできず、この至近距離ではただ、曝け出すしかない。
「お前を望んだら……それは命令になってしまうもの」
 今や高華国を統べる立場にいるヨナの願いを退けることは、命令に背くこと。
 ……もし、女王であるヨナを手に入れることをハクが足枷だと思うのなら、ヨナはハクを自由にしてやりたい。
 だが、ハクが欲しいと願う気持ちも真実で。
 矛盾した不安や希望や想いが、何度も何度も胸に浮かんでは沈んでいく。

「……姫さん、あんた……馬鹿か?」
 いや、馬鹿だ。とハクは疑いを確信に変えて一人納得したように頷く。
 あんまりな言い様に反射的に頭に血を昇らせたヨナは、今度こそ渾身の力を込めてハクの筋肉質な腕に自分の拳を叩きつけた。
「どうせ馬鹿よ!もう、いいから離しなさい!ハク!」
「馬鹿、離すかよ!」
 三度目の馬鹿呼ばわりに、とうとうヨナが涙ぐむ。
 ハクの着物の袖を掴んで、懸命に引きはがそうとするヨナの抵抗にならない抵抗を受け、ハクはヨナの頬に置いた指先でヨナの顔をぐいっと自分の方に強引に向けさせた。
「ちょっと落ち着いて、俺の話を聞いてくださいよ」
「……っ」
 涙に潤む目で、ヨナがハクを見つめる。
 呆れたような小さな溜息を付き、ハクは一度切り替えるように視線を伏せ、それからもう一度、ヨナの目の中を覗き込んだ。

「……鳥籠の中の鳥が、皆不幸だってあんたは思うのか?」
「……え?」

 ハクの言いたいことが分からない。
 ヨナが小さく首を傾げる。
「……それさえあれば何もいらないって思ってるものが手の中にあるのに、それを蹴ってまで自由になりたいと、みんながみんな思うのかって聞いてるんです」
「ええと……そうね」
 涙はまだその目に湛えたまま、生真面目にヨナは考え込む。
 ハクの言葉に自分の身を置き換えて……遠い過去の幸せな記憶に行き当たった。

 さまざまな紆余曲折を乗り越え、今ここにいるからこそ、何も知らなかったあの頃の自分を恥じることが出来る。
 だが、もし今でも変わらず何も知らないままならば。
 この緋龍城の中だけで息づくことを、ヨナは不幸だと思っただろうか。

 昔、どこかの家臣から贈られた、綺麗な鳥籠の中の、澄んだ声で歌う鳥を思い出す。
 あの色彩豊かな羽根を持つ、歌うことだけを許されていた鳥は、おそらく野に放てば生きられない。

「……俺だって、同じです」
 曇りなく笑い、ハクが言う。

 たった一つ、どうしても欲しいと願って。
 でもどうしても、手に入らないことを知っていて。
 ただ、その幸福だけを祈っていた宝物が、今はハクの手の中にある。

 それを放り出してまで。
 自由に生きることを、ハクは望まない。

「……あんたがいるならいいんだ」

 もう、二度と逃れることの許されない。
 牢獄のような鳥籠の中で、命を終えたとしても。


 ハクの言葉に、ヨナは大きく目を見開いて。
 そして、もう一度。……今度は悔しさからではない涙をその瞳に浮かべる。
 必死に抗おうとハクの着物を握り締めていた指先から力を抜いて、ハクが自分にしているのと同じように、精悍な頬に指先を滑らせた。
「……命令じゃないって、分かってくれている? お前が嫌なら嫌で、拒んでくれても構わないのよ」
「そこで俺が拒むと思ってる時点で、救いようのない馬鹿確定なんですけどねえ」
「一言多いわ」
「いてっ」
 ヨナの指先がハクの頬をつねり上げる。反射的に悲鳴を上げた、ほんのりと赤くなったハクの頬に、今度はヨナの方から口付ける。

「……お前と一緒にいたい。……ハク」
 甘い音色を含ませてヨナが囁く。

「仰せのままに。……と答えたんじゃ、陛下はお気に召さないんでしょうから」
 心得ているハクは、同じように甘い響きを持って。
 ヨナの髪を掻き上げ、剥き出しになった耳元で低く囁き返す。

「……俺の気が済むまで、あんたを離さねえよ」



 吐息まで呑み込むような。
 深い口付けを交わしながら。

 艶やかな声で歌う鳥たちは。
 互いの望むまま。

 永遠に鳥籠の中で。

036.鳥籠

2015.06.13 執筆


【あとがきという名の言い訳】
ツイッターで「渾身のエロを書け」(ん?)みたいなことになって、
それを書くための前振りのために書いた話です。
ぼんやりと、話の続きは考えてますけど、書くのかなー。
ホントに書くのかなー(笑)
……そのうち。またいつか(笑)
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