040.凶刃
『るろうに剣心』剣心→薫
凶刃を振り下ろした後に現れた世界は。
目を開いても、閉じていても。
ただ、一面の暗い闇。
知っていたつもりで、知らなかったことが多かったのだなと思う。
縁側で、柱に背を預け座り込み、庭の風景を眺める。
視線の先で、薫と弥彦がいつものように軽口を叩きながら、並んで洗濯物を干していた。二人は時折じゃれあいながら、弾けるように笑う。そのまるで本物の姉弟のような微笑ましいやりとりに、わずかに目を細め、離れた位置から剣心が見ている。
遠い位置から見ているのに、不思議と寂しさは感じなかった。心の中がほんのりと暖かい。
幸せとは、こういうことなのかと思う。
……今更そんなことを考えている自分に呆れながら、苦笑する。
闇雲に、全ての人の幸せを願って剣を振るっていたあの頃、目指していたものは本当に漠然としていたのだ。あの頃よりも少しは大人になった今ならば、それが如何に愚かな行為だったのか、良く分かる。
自分では、分かっていたつもりだったのだ。
そして……つもりでしかなかったのだと、思い知らされた。
幸せは、確実に形になるものではなくて。
些細な日常の、ほんの小さなことで。
漠然と感じる、曖昧なもの。
それまで生きてきた人生の中で、幸せだと感じることはほとんどなくて。
皆が欲しがる幸せがどんなものなのかも知らずに、分からないまま……曖昧なまま、剣を振るった。
……そのことが、今、重く心にのしかかる。
人を斬ったことでも、誰かの大切な人を奪ったことでもなく。
確固たる信念を持たないままで、愚かな剣を振るったことが、何よりも辛いのだ。
何も迷わずに、胸を張って振るえた凶刃であったなら。
もっと素直に、自分を誇ることが出来たのであろうに。
視線の先で、大切な人が輝くような笑顔を見せている。その笑顔が自分に向けられて、そして胸には甘く暖かい感情が広がっていくのに。
今、自分達のいる距離は、互いに触れられない場所に離れている。
これが、君と俺の差。
同じ陽光の中に身を置いていても。
君は全てを光の中に曝け出せるのに。
俺はいつだって。
どこかを闇の中に置いている。
幸せを感じるたびに。
心の中に、それのみに浸れない自分をも感じている。
……でも、それでいい。
それこそが俺だろう。
いつまでも過去を引きずらずにはいられない自分を、情けなくも、愚かにも思うのだけれど。
振り返る自分を失くしたら。
後悔する自分を失くしたら。
それはもう、本当に『緋村剣心』じゃない。
だけど長い長い人生を、『緋村抜刀斎』の影を引きずり続けることでなく。
いつか、本当に『緋村剣心』としてだけで生きていけたらと思うことがある。
忘れるのでなく、消すことでなく。
過去の愚かな、幼い自分をも許容して、更に上に行くことが出来たなら。
全てを乗り越えて、いけるのなら。
まだ、闇を引きずる心。
目を閉じても、開いていても。闇はいつしかそこにあって。
だけど、その闇を照らす光もある。
迷い振り返るこの自分を、少し離れた場所で待っていてくれる光。
光の当たる場所を教えてくれる笑顔。
屈託なく笑いながら、闇に捕われる俺がその暗闇から逃れる瞬間を、ただ待っていてくれるから。
いつの日か、自力でその闇から這い出して。
伸ばした手が、光の中で待っている君へ届くようにと願う。
040.凶刃
2015.08.9 転載
【あとがきという名の言い訳】
随分昔に別タイトルで書いた話だったんですが、お題消化に当たってサルベージしてみました。
重暗い話なんですが、自分らしい話だなあと振り返ってみて思います。
CP要素が薄い作品ですけども、ある意味剣心が薫を熱望する話だなあとも思いますよ。