箒星別館

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Flower Gift

『暁のヨナ』ハク←ヨナ

「よし、じゃあ今日はこの辺で休もっか」

 ユンの号令と共に、四龍たちが一斉に今夜の寝床づくりに取り掛かり始めた。
 出来るだけ地面が平らな箇所を探し、天幕を張り、拾い集めた枯れ木を積み上げ、火を熾す準備をする。
 ヨナが幾ら手伝いたいと思っても、力仕事が主になってくると、それこそ力だけが自慢の珍獣どもが雁首を揃えているので、さすがに出番はない。料理に関しても下手に手を出さず、ユンの手腕に任せるのが一番だと分かり切っているので、野宿の準備が始まるとヨナは傍観することを余儀なくされる。それでもせめて何か手助けになることをしようと、あまり遠くない範囲内で予備の枯れ木を拾いに行こうと踵を返したところで、珍しくユンに声をかけられた。
「ああ、待って。ヨナはこっちに来て、手伝ってよ」
 ヨナを名指しで手伝いを頼まれることは珍しかった。忙しく働く男たちを尻目に、ユンはヨナを手招いて、少し離れた沢の近くまでヨナを連れて行った。

「わ……すごい!」
 ユンに導かれて辿り着いた場所で、ヨナは思わず感嘆の声を上げた。
 そこは一面の花畑だった。
 目に鮮やかな白く小さな花々が、地面に這うような低い位置で咲き乱れている。おそらくこの花のものだろう、周囲には仄かな甘い芳香が満ちていた。
「じゃあ、これ持って」
 ユンは抱えていたカゴをヨナに差し出した。ヨナは素直に受け取ったものの、何故これを持たされるのかの意味が分からず、きょとんとして首を傾げる。そんなヨナに、ユンは笑ってその花々を指し示して見せた。
「実はこの花、薬草なんだよね。すり潰せば傷薬になるし、花ごと乾燥させて薬膳茶として飲むこともできる」
「そうなの?」
「うん。葉も花も薬になるから使い勝手はいいんだけど、花が咲く期間が限られてて短いのが難点なんだよね。そういう意味で入手が難しいものなんだけど、これだけ群生してたら多少思い切り摘んじゃって問題ないよ。珍獣たちの怪我の治療にも使えるし、市で売るのにも使えるからさ、悪いんだけどこのカゴいっぱいに集めてくれる?」
「ええ、分かったわ」
 それくらいの仕事なら自分にもできる。ヨナが頷いてカゴをしっかりと抱え直すと、ユンは真剣な顔で「くれぐれも怪我だけはしないようにね」と釘を刺し、皆のいる野営地へと戻って行った。


 ヨナはその場に座り込み、手近な場所からどんどん花を摘み取っていく。成程、ユンの言った通り、それは多少積み過ぎても問題がないくらいに辺りに密集して生えていた。
 根元から茎を手折ると、花は葉ごと容易く摘むことが出来る。だが、確かに気を付けていなければ同じ動作を繰り返す指が土や葉に擦れて傷を負ってしまう。摘み取る指先の角度を変えながら、慎重にヨナはカゴに花を集めていった。

「こんなものかな……」
 ふう、と息を付いてヨナは手の甲で額の汗を拭った。『集める』という行為は、時に妙な集中力を発揮させる。そんなに長い間摘んでいたつもりはなかったが、カゴには溢れんばかりに白い花と鮮やかな緑の葉が積み上げられ、空はいつの間にか夕闇の気配が忍び寄っていた。
 もうこれで最後にしようと一房の花を手折り、何気なくそれを目線の高さに持ち上げてみる。
 小さな小さな、星の形のような五枚の花弁を持つ花。それが幾つも幾つも重なり合い、丸っこい輪郭を作っている。まじまじとそれを見つめ「可愛い」とヨナは笑った。
 ……あの、今ではもう遠い城の中で暮らしていたころ、たくさんの花がヨナの周りにはあった。
 部屋に活けられたものや、与えられた手入れの行き届いた花壇で咲き誇っていた、大輪で色鮮やかな豪奢な花々。それらに比べたら、この小さな花は何と儚いものだろう。
 それでも、人を癒す力を持つこの小さな花を、今のヨナは綺麗だと素直に思える。
 そう思える自分になれたことを、ほんの少しだけヨナは誇らしく感じた。
(城の中にいたら、きっと知らなかった)
 見た目に華やかなものだけに、価値があるのではない。
 どんなちっぽけな存在にも、その身にふさわしい役割というものが存在するということを、今のヨナはきちんと理解していた。


「……姫さん?」
 聞き慣れた声に呼ばれ、背後を振り返ると、いつの間にかそこにはハクがいた。
「あら、ハク」
「『あら、ハク』じゃありませんて。……働くのは構いませんケド、日暮れ前にはこっちに戻ってきてくれませんか。暗くなって戻る道が分からなくなって、迷子にでもなったらどうするんですか」
「もう!子どもじゃないんだから、迷子になんかならないわよ。失礼ね、ハク」
 いつも通りの彼の軽口に膨れて答えるが、ヨナはもう、ハクがただ自分のことを案じてくれているだけなのだということを知っている。
 ……そう、それもまた、城を出るまでは分からなかった真実だ。
 憎まれ口を叩きながら、それでもハクは、その命を懸けていつもヨナのことを守ってくれている。ヨナの父であるイル前王に、忠誠を誓ったあの日から。
「……何ですか?」
 ハクが身を屈めるようにしてヨナの顔を覗き込み、問うた。
 いつの間にか、じいっとハクのことを見つめていた自分を自覚して、慌ててヨナは視線を反らす。
「な、何でもない……」
「……そうですか?」
 訝しげにしながらも、それ以上を追求することはなく、ハクはヨナが両手に抱えていた大きなカゴを取り上げ、片腕で軽々と抱えて、ヨナを促す。
「もう、夕飯の準備できてますよ。珍獣どもが腹空かせて待ってますから、早いとこ戻って食いましょう」
「う、うん」
 歩き出すハクの後を慌てて追いながら、ヨナはふと、自分の手に一つ残った白い花に気が付いた。
 小さな小さな、愛おしむべき可憐な花。
 その花を見ていて、ふとヨナの心に浮かんでくる一つの気持ち。
 先を行くハクの背中を見つめ、何度か迷いながら……それでも野営地に戻る前にと、ヨナは思い切ってその広い背中に向かって声を上げた。
「ハ……ハク!」
 ぴたりと歩みを止め、肩越しにハクが振り返る。踵を返してヨナの目の前まで戻り、「どうかしましたか?」とハクが尋ねた。
「あ、あの……あのっ」
 唐突すぎるだろうか。でも、花に触れ、かつての城での生活の記憶に付随して、別の思い出が蘇っていた。


 ヨナの世話をしていた女官に、ヨナがイル王から賜った花壇の花を、一輪分けてもらえないかと頼まれたことがあった。年老いて病に臥せっていた彼女の母に、見せたいのだと言っていた。
(気が沈むことも多くなりまして、何か心が晴れやかになるものがないかと思っていたのですが……ヨナ姫様の花壇の鮮やかな花を一輪、部屋に飾ると、いい気晴らしになるのではないかと思いまして)
 その頃のヨナは、花の価値なんてよく分からなかった。
 たかが花一輪で何が劇的に変わるものでもないとも思えたけれど、惜しむものですらなかったので、容易く与えてやった。
 だが、その時の嬉しそうな女官の笑顔は今でも覚えている。


 想いを込めて、花を贈る。
 その純粋な気持ちから生まれる行為を、無為なものだとは今は思えない。


「……これ」
 おずおず、とヨナがハクに花を差し出す。怪訝に眉根を寄せたハクが、指先でその花を受け取った。
「この花が、何ですか?」
「あの……ハクに、あげようと思って」
 日頃の労いとか感謝とか、……そういういろんな想いを込めて。
 ……心の中で呟いたその言葉の『そういう』想いの中に、他のどんな種類の想いが混ざっているのかをヨナはまだ自覚していない。
「俺に、花。……ですか?」
 ふーん、と無感動に呟きながら、ハクが指先で摘まんだ小さな花をくるくると回す。
 やはり唐突過ぎて、いろんなことを間違えたのだろうかと、ヨナの背中を冷たいものが流れる心地がする。
 表情を変えないままハクはしばらく指先で小さな花を弄び……やがて。
「……俺に花なんて、柄じゃないでしょうよ」
 笑い交じりのハクの声が降ってくる。いつの間にか、視線が落ちて足元を見つめていたヨナは、自分の肩が落胆で重くなっていくのを自覚した。
(……どんなに感謝してても、私が他にハクにあげられるものなんて、何もないんだから)
(理由なんて聞かずに、黙って受け取ってくれたらいいのに)
 理不尽な気持ちだと分かっていても、『想い』を受け取ってくれないハクに、苛立ちが募る。
 だが、そんなヨナの気持ちを余所に、ふとハクの指先がヨナの頬を掠めた。

「……俺よりも、姫さんの方が似合いますよ」

 花という形に込めた目に見えぬ『想い』を。
 そのままの姿で、ハクはヨナへと返す。

 ハクの無骨な指先が、ヨナの髪をかき上げ、その耳元に白く細やかな花々を飾る。
 少しだけヨナから離れ、まじまじとその顔を眺め。
 やがて満足げに、ハクはにやりと笑った。
「馬子にもナントカってやつじゃないですか?」
 ハクが頭の中で想像してみた通り。
 赤く癖の強い髪に細やかな白い花は、とてもよく映えた。

「あ……り、がと」
 半ば呆然としながらヨナが礼を告げると、目を細めるハクが、軽くヨナの頭上でその大きな掌を弾ませた。
「どういたしまして。……よく似合ってますよ、姫さん」

 夕闇に紛れて、この熱く火照った頬の色が、ハクに見えなければいい。
 歩調を合わせてゆっくりと前を行くその広い背中が、しばらくの間振り返らないでいてくれることを祈りながら、ヨナはハクの後について歩き出す。


 全てを失い、今は身一つの私が、変わらずに傍にいてくれるお前に与えられるものは、もう形のない不確かなものでしかなくて。
 それでも、少しでも目に見えるものとして、想いを託した花ですら。

 ……お前は、全て私に与えてくれるのね。



 ハクが与えてくれた、小さな小さな白い花から鼻腔に届いてくる仄かな香り。
 その心地良く、優しい甘さに。

 いつしかヨナは、酔わされるのだった。
Flower Gift

2015.01.25 執  筆
2015.07.25 加筆修正


【あとがきという名の言い訳】
その時がんがん聴いてた曲をベースに書き上げた、なかなか行き当たりばったりなお話。
話に出て来る花は架空のもので、イメージとしてはジャスミンっぽいものを考えていたんですが、
あとでよくよく原作を読み返してたら千樹草がまんまだったなあとちょっと後悔(笑)
あと、原作でスウォンがヨナにあげた簪が金だったと思うので、
何となくハクには白いものをプレゼントして欲しかったという変なこだわりアリ。
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