箒星別館

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01.次に目覚めたときは

『暁のヨナ』ハク×ヨナ

 重い瞼を押し開くと、そこには優美な花の絵をあしらった天井が視界一杯に開けて見えた。軽く瞬きをし、ヨナは妙な違和感に襲われる。
 緋龍城の奥の一室。幼い頃から慣れ親しんだ、ヨナの寝台。知らず覚えてしまった花の絵の配置も寸分違わず、何もおかしなところはないはずなのに。
 ゆっくりとした動作で、ヨナは身を起こす。さらさらと肩を滑り落ちてくる赤く長い癖髪にまた違和感を覚え、指先で曲線を描く毛先をなぞりながら首を傾げた。
 ……私の髪は、こんなに長かったかしら。
 深く考えるまでもない。毎朝あんなに髪をまとめるのに苦労をしているのに。
 浮かんだきた根拠のない疑惑に軽く苦笑したところで、部屋の扉が軽く打ち鳴らされた。
「ヨナ……目が覚めましたか?」
「えっ……ス、スウォン!?」
 扉の向こうで響いた声に、ヨナは目を丸くする。
 聞き間違えるはずがない、大好きな従兄の優しい声だ。
「何でスウォンが……ちょ、ちょっと待ってて!すぐに支度をするから!」
 今日は来訪の予定があった日だったろうか。いまだ寝起きではっきりしない思考を整理しつつ慌てて扉に向かって声を上げる。早く呼び鈴を鳴らして、女官に着替えと化粧と整髪を頼まなければ、と寝台から両足を下ろしたところで、あろうことに、スウォンがそのまま扉を押し開き、ヨナの自室へと足を踏み入れた。
「スウォン……!」
「おはようございます、ヨナ。とても気持ちのいい朝ですね」
 にっこりと邪気なく笑うスウォンは、既に身支度を整えていて、ヨナの抗議を含んだ呼び掛けに構わず、慣れた様子で寝台の傍に歩み寄ってくる。そのままの状態でスウォンと向き合う勇気はさすがになく、ヨナは下ろした両足をまた寝台の掛布の中に突っ込み、それを胸元に抱え込むようにして壁際へ背中を押しつけた。
「起きるんじゃないんですか? 支度に女官を呼びましょうか。それとも先に朝食を済ませてしまいます?」
 ヨナの寝台に躊躇いなく腰かけ、スウォンが微笑みかける。ぱくぱくと水から上がった魚のようにしばしの間口を動かし、あまりの恥ずかしさにヨナは抱きしめた掛布に顔を伏せた。
「ど、どうしてそんなに堂々と私の部屋に入って来るのよ! こんな、寝起きのぼさぼさの髪で、恥ずかしいじゃない!」
 専属護衛兼幼馴染みの雷獣と呼ばれる男がこの場にいれば「恥ずかしいのは髪だけですかね?」と冷静な指摘を受けるところだが、この状況を変えてくれそうなその男は、生憎この場にいなかった。
「ええ~~、別に今更恥ずかしい事なんかないでしょう? だって私とヨナは、もう夫婦なんですから」
 さらりと告げたスウォンの言葉に、ヨナが一瞬動きを止める。
 そろそろと顔を上げ、にこにこと奥底の分からない笑顔の目の前の従兄を見つめた。
「夫婦?……私と、スウォンが?」
「そうですよ。イル陛下に結婚の許可をいただいて、先月式を挙げたばかりじゃないですか」
 ……そう、だったろうか。
 ヨナにとって夢のような、そんなひとときがあったのだろうかと、記憶の中を探るが、霞がかかったようにぼんやりとしていて、何も思い出せない。
 そして、スウォンが発したイル陛下という言葉に、ヨナははっと我に返った。
「父上は、ここにいるの?」
 自分でも何故そんなことを口走ったのか分からない。
 緋龍城は父であるイル王が治める城だ。父がいて、当たり前のはずなのに。
「いらっしゃいますよ。……ほら」
 スウォンが開いたままだった自室の扉。
 もう夜が明けているのに、夜の闇の中のように異様なほど暗い。
 寝台から立ち上がったスウォンが、扉の方へ近づく。部屋の光を放つため、更に大きく扉を開いた。
「見えますか?……ヨナ」
 先ほどまで笑いを含んでいた穏やかな声は、口調そのものは変わらないのに、酷く乾いて、冷たい音になる。ヨナの部屋の暖かな光を放たれ、扉の向こうの暗闇が彩りを取り戻す。
 おびただしく、鮮烈な赤が床一面に広がっている。
「……ちち、うえ……」
 思わず寝台から乗り出し、そのまま降りることも戻ることもできず、ヨナはただ動けなくなる。指先から血の気が引いていき、細かく震えだすのが自分でも分かった。

 赤い血だまりの中に倒れ伏す、父王の姿がそこにはあった。

「……ハク、……ハク、は……?」

 今はヨナの傍にいない専属護衛の青年の名をヨナはつい呟いてしまう。
 ハクがここにいたならば、父をこんな目に合わせるはずがない。
 そんなヨナの不安を見透かすように、スウォンはこの場に似つかわしくない邪気のない笑みで、扉の向こうを指し示す。

「ハクもいますよ、ちゃんと」

 横たわる父の身体の向こうに、さらに一回り大きな身体が折り重なるように倒れ伏している。
 血だまりに放り出された大刀、漆黒の髪と衣服。
 見間違えるはずがないほどに、幼い頃から共に時間を過ごしてきた存在が、そこで微動だにもしなくなっていた。
 ヨナは恐怖に大きく身を震わせ、夢中で首を横に振った。
 声にならない声で、懸命に叫ぶ。

 ……そんなわけがない!
 信じない、……絶対に、認めない!!




「姫さん!」
 激しく身体を揺さぶられ、ヨナははっと目を開く。
 すうっと溜まった涙がこめかみを伝って頬に流れ落ちていく。焦点の合わない視線を彷徨わせ、ヨナはようやく自分を覗き込む人影に視線を止めた。
「……ハ、ク」
「大丈夫ですか?」
 心配そうに眉根を寄せて尋ねるハクに、数度深く息を吸って、吐いて……それからヨナは小さな震える声で「大丈夫よ」と答えた。
 夢だったのだ。
 安堵の息を付き、ヨナは片手で心臓の上を押さえ、その掌に激しい自分の心臓の音を感じる。身を起こして周りを見渡せば、ぱちぱちと弱く爆ぜる焚火の周りで四龍やユンが眠りについているのが分かった。
「起こしてスミマセン。……ひどくうなされてたんで、つい」
 周りに気を使ってか、押さえた低い声でハクが言う。ヨナは額の冷や汗を拭いながら、小さく頷いた。
「……怖い夢でも見ましたか?」
 小さな声で尋ねるハクに視線を向け、手の甲で目元を覆いながら、ヨナがもう一度頷く。
 それ以上、詳しく聞き出すことはせず、ハクは労わるようにヨナの髪を数度撫でた。

 その掌が、優しく、暖かく。
 ヨナはその撫でる手の動きに合わせて深く呼吸をし、目を閉じた。

 最初に夢の中で目覚めた時、長い時間を過ごしてきた部屋の中にいたというのに、ひどい違和感を覚えた。
 ……あれほどまでに好きだと思っていたスウォンの存在も。
 もう、ただ無邪気に愛おしいとは思えなかった。
 城の中で、スウォンと共に暮らす。……それは確かに、ヨナの夢であったはずなのに。
 戻れないと分かっていたからこそ、城を追われてすぐの頃は、何度も懐かしい場所を夢に見た。最後にはやはり父を失い、スウォンに裏切られて目覚めるのだけれど、それでもそこに辿り着くまでは、ただただ懐かしく、幸せな夢だった。
 久しぶりに夢に見た、生まれた場所。
 だがもう、そこはヨナにとって幸せな場所ではなくなっていた。

(……皆がいるからだわ)

 日々体に積もっている疲労が、もう一度ヨナを眠りの奥底へと引きずり込もうとする。懸命にそれに抗いながら、ヨナは手を伸ばし、傍らの存在を探る。
 当たり前のように暖かく大きな手がヨナの手を捕らえ、優しく握り締める。

 ……スウォンと共に、豪奢な城で過ごす夢の中よりも。
 スウォンを失っても、仲間と共に……大切な専属護衛とともに、過酷な旅を続ける今の方が、ヨナは幸せだ。

「……お願い、握っていて」

 次に目覚めたときには、間違いなくこちらにいられるように。
 ハクを失う迷路の中に、二度と迷い込まないように。

「……姫君の、仰せのままに」

 少しだけ、笑いを含んだようなハクの声。
 そして強く握り返された掌に安堵して、ヨナはまた、深い眠りに落ちていく。


 次に目覚めたときには。
 変わりなく、自分の隣に大切なハクの存在があることを。

 ただ、心の底から祈って。
01.次に目覚めたときは

2015.05.2 執筆


【あとがきという名の言い訳】
渡瀬主催の『姫と従者の恋愛戯曲』で書かせていただいたものです。
最初に思いついたのがこの話だったんですが、恋愛についての創作と
限定した途端その要素が少ないものを書き上げてしまう自分がどうもね(笑)
書いてる時には原作程度の関係性で……と思っていましたが、
いざ書き上げて読み直してみると、両想いとしてもしっくりくるのかなと思ったりします。
コンセプトとしては自然に甘えるヨナと甘えさせるハクだったんですけどねー。
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