箒星別館

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12.鐘の音と君の笑顔

『暁のヨナ』ハク←ヨナ

 ふと、最後尾を歩いていたシンアの歩が止まった。
 ヨナの肩に乗っかっていたアオが、その柔らかな曲線を滑り降り、後方へ走り出したことでヨナもそのことに気付き、駆け足で数十歩の距離を戻る。
「シンア、どうしたの? 具合でも悪い?」
 ヨナの声に我に返ったように小さく身を震わせたシンアは、ふるふると無言で首を横に振り、ゆっくりと空へと立てた指先を掲げて見せた。
「え? 何?」
 慌ててヨナがその指先が示す空間に視線を上げるが、変わったものは何もない。訝しげに眉根を寄せ、首を傾げるヨナに、ぽつりとシンアが呟いた。
「何か、音……聴こえる」
「え……」
 注意するべきは指先ではなかった。耳を澄ませてみると、乾いた風の中に含まれる微かな音色がヨナの鼓膜を震わせた。
「あら、鐘の音ね。きっと、この近くに塔があるんだわ」
「……鐘?」
 今度はシンアが首を傾げる。仮面で表情はよく分からないけれど、きっと美しい金色の瞳が好奇心に満ちて輝いているのだろう。それを想像してヨナが小さく笑ったところで、ヨナとシンアが追随していないことに気付いた一行が駆け戻ってきた。
「もう、ヨナとシンア! 立ち止まる時には一声かけてよ! いきなりいなくなるとびっくりするじゃん!」
「ごめんなさい、ユン」
 強い口調の割に、心配そうに表情を曇らせているユンを振り返り、ヨナが申し訳なさそうに両手を合わせる。シンアも「……ごめんなさい」と素直に頭を下げた。
「……何事もないなら別にいいんだけど。そんなことより、急に立ち止まっちゃって、どうかしたの?」
 照れ隠しなのか、ぶっきらぼうな口調でユンが答え、それから気を取り直したように真面目な顔で二人の顔を見比べつつ問うた。
「ううん、何でもないのだけれど……シンアが、この鐘の音に興味があったみたい」
 先ほどのシンアと同じように空に指先を向け、ヨナが笑う。言われて一行が、ふと黙り込んで耳を澄ます。先ほどヨナが聞いたように、等間隔で打ち鳴らされる鐘の音が、乾いた風の中に微かに混ざり込んでいることに気付いた。
「へえ、珍しい。今から向かう街にあるのかな」
「……珍しいものなの?」
 感心したように呟いたユンに、今度はヨナが驚いて目を丸くする。ヨナが暮らしていた空都では、朝昼夕と賓客の到着と出立の際には鐘を鳴らす慣習があった。よって、このところご無沙汰だったとはいえ、鐘の音は決してヨナにとって物珍しい音色ではなかったのだ。
「地方の民にとっては、特に生活に必要なものではないですからね。多少羽振りのいい土地では設置されていることが多いですケド」
 ユンが説明をする前に、ハクが口を開く。戸惑うように視線を向けたヨナに、小さく笑って見せた。
「……今なら姫さんも分かるでしょう? 要するに鐘の音っつーのは、生活状況の切り替えに使われるんですよ。朝なら『これから仕事』、昼なら『昼メシ』、夕方は『夕メシ』ってね。地方に暮らす民衆に、そういう切り替えが必要ですかね?」
「あ……」
 これまでに目にしてきたいろいろな村や町の民衆たちの生活を思い、ヨナは言葉を失くす。
 貧しい民たちは、その日生きることが精いっぱいだ。三食きちんと食事を取ることもままならず、働き盛りの男衆はほとんどが兵士として駆り出され、残されているのは女子どもに、老人たちだ。働きたくとも働くための農地は干上がっていて、土を耕すほどの体力もない。
 そこに食事や勤労を促す鐘の音が鳴り響いても、それは痩せた土地にひどく空しく響くに違いない。
「そういえば、我が里にも鐘はなかったな」
 それなりに裕福であった故郷の里を思いながら、キジャが呟く。「そもそも隠匿生活だから仕方ねえだろ」とハクが呆れたように溜息を付いた。
「シンアは……いえ、シンアも初めて聴いたのね」
 尋ねかけて、先ほどのシンアの反応を思い返し、ヨナは言い直す。素直にシンアがこくんと頷いた。
「俺も聴いたことないよ。キジャじゃないけど、イクスと一緒に隠匿生活だったからさ。……ジェハはあるんじゃないの?」
 ユンがジェハに矛先を向けると、ジェハはあっさりと頷いた。
「あるよ。阿波の街はクムジによって圧政を敷かれてはいたけれど、決して貧しい土地ではなかったからね」
 むしろ、己の権威を象徴したいクムジは事あるごとに鐘を高らかに鳴らしていた。よって、ジェハにとってはあまり鐘の音は心穏やかなものではなかったが、初めて聴いた鐘の音にどこかそわそわとしている初体験の連中の期待に、水をかけるような真似はしなかった。
「ゼノくんはどう?」
「あるよー。ゼノはいろんなところに行ったことあるから」
 ジェハの問いに、いつものようににこにこと笑ってゼノが答える。
 そして、ヨナとハクは言わずもがな。

 そして初めてのものを見てみたいというユンや、そわそわしっぱなしの若い龍達のために、一行は少しだけ進路を反れて音の発生源を確かめるべく、鐘の設置されている街外れの塔へと向かうことにしたのだ。


「あれかー」
 ユンが感心したように声を上げる。
 賑やかな街の喧騒を少し離れた広場のようなところに、鐘が設置されている塔があった。日暮れが近づくと自由に鐘を鳴らしていいらしく、塔の周りには数人の子どもたちが群がり、歓声をあげながら交互に鐘を鳴らすための紐を引き合っていた。
 子どもたちに近づき、二、三言会話を交わしたゼノが、こちらを振り返って大きく両手を広げた。
「今日はあと5回、鐘を鳴らしていいってよーっ、皆で鳴らそーっ」
「そうか!ではシンア、共に鐘を鳴らそうではないか!」
 実は一番興味津々のキジャが、シンアを伴ってゼノのところへ走っていく。「もー、恥ずかしいんだから」と呆れ気味のユンが、それでも足取り軽く、二人の後を追って行った。
「ヨナちゃんは?」
 ジェハに尋ねられ、ヨナは笑って首を横に振る。
 皆を見ていると楽しそうだが、せっかくの初めての体験を、『珍しい事』なのだと認識しないまま、何気なくその音色を聴いていた自分が入り込んで邪魔をしたくない。
 ジェハは何も言わず、ただ「そう」と呟いて、労わるようにヨナの髪をそっと撫でた。
 途端、背後から鋭く空を切り裂く音が響き、ジェハの肩に重い感覚が弾んだ。
「……ハク、ちょっとヨナちゃんを労わっただけじゃないか」
「てめーの場合、労わり以外のどす黒い感情が混じってるのが丸わかりなんだよ」
「だからといって、これはあまりにもひどい仕打ち……」
 大刀で打たれた肩を押さえ、ジェハが呻く。……実際のところ、ハクが本気でジェハの肩を打ち据えたわけではないし、ジェハもある程度ハクの行動を読んでいる。何となく身についている他愛ないやり取りだった。
「あまりヨナちゃんの傍にいると、ハクの怒りを買ってしまうしね。僕も皆に混じって来るとしようか」
「あら、どうしてハクの怒りを買うことになるの?」
「いいから行くならさっさと行けタレ目」
 今度は容赦なく大刀の石突でその背中を押しやると、楽しげに笑いながらジェハは皆の楽しげな輪の中に入って行った。
「……ったく、いちいち余計な一言が多いんだよ」
 がしがし、と乱暴に頭を掻き、ハクが溜息交じりに嘆く。
 そんなハクと肩を並べ、二人きりになり……ようやくヨナは重い溜息を付くのだった。

 楽しげにしている仲間たちにこの暗い感情を気付かれなくてよかった。
 ヨナにとってこの鐘の音は、今ではもう懐かしくすらあるあの生まれ育った城に、日常的に響いていた音であり。
 賓客を出迎える……つまりヨナにとっては、過去に想いを寄せたあの従兄の来訪を告げる鐘の音でもある。
 何も知らなかったあの頃は、大好きな従兄の来訪が嬉しくて、この鐘の音と同調するように、胸の音を高鳴らせていた。それなのに、今ではもうこの鐘の音はただ哀しいばかりの音色をヨナの胸に響かせる。
「……姫さん?」
 静かな声で、傍らに佇むハクが、声をかける。大丈夫ですか?と、言葉にはしなくても、その伺うような低い声がすべてを物語っている。
 ……きっと、ハクの記憶も過去の同じ場面を紐解いているのだろう。
 かつての親友の面影をなぞるたび、ハクもヨナと同じように傷つくはずなのに、彼はいつもそれを押し殺し、そしてヨナのことを気遣う。
 ヨナがその事実に気付いたのは、そんなに昔の事ではない。
「……ねえ、ハク。風牙の都にも鐘はあった?」
 ヨナのぎこちない気遣いが届いたのか、一瞬虚を突かれたような顔をしたハクが、ふと表情を緩めて頷いた。
「ありましたよ。ガキの頃は皆がよってたかって鐘鳴らしたがって、塔の下に人だかりが出来るんですよね。今のアイツらみたいに」
 気安く好奇心旺盛な風牙の都の人たちを思い返せば、ハクの言う光景が容易く瞼の裏に浮かんでくる。思わず笑うヨナを見つめていたハクが、軽く瞬きをし、そして穏やかに笑んで目を細めた。

 その瞬間、ヨナの胸の鐘を鳴らす。
 もうとうに失ってしまったはずの甘く切ない感情。

「ハ……ハクもっ、はしゃいで鐘を鳴らしたり、してたの?」
 慌ててハクから視線を反らし、少し裏返る声にひやりとしながら、ヨナは誤魔化すように言葉を紡ぐ。そんなヨナの焦りに気付いているのかいないのか、いつもの飄々とした口調でハクが答えた。
「いやいや俺は冷静なもんでしたよ。ヘンデやテウが競い合って鐘打ち鳴らしてんのを、背後から生温く見守ってました」
「可愛げがないわね」
 ついヨナがそう言うと、どうせねえ、と苦笑交じりに嘆いたハクが、軽くその大きな掌をヨナの頭の上に弾ませた。
「さて、白蛇辺りが興奮して鐘を打ち壊さないうちに、合流して戒めてきましょーかね」
 ゆっくりとした歩調で皆の方へ歩いていくハクの広い背中を、ハクの掌の温もりが残る髪に触れながら、ヨナは見送った。




 乾いた風に微かに混じり込んだ鐘の音に、失った愛しい面影を揺り起こされ、ひどく胸が痛んだ。
 でも今度。ふとした場所でこの鐘の音を耳にした時に、思い出す残像は。


 懐かしい故郷を思い出し、久しぶりに穏やかに、柔らかく笑んだ、君の笑顔。
 そして、その辛い記憶を上書きした仄かな面影が。

 きっと、高らかにヨナの胸の鼓動を鳴り響かせる。
12.鐘の音と君の笑顔

2015.04.27 執  筆
2015.07.05 加筆修正


【あとがきという名の言い訳】
渡瀬主催の『姫と従者の恋愛戯曲』でどなたも選択しなかったお題を告知用に書かせていただきました。
鐘の音というと結婚式!と考えつくところかなと思ったので、それを裏切りたくて頑張って考えました(笑)
鐘の音は高鳴る鼓動に引っかけてあるんですけど、影響は某バンドの曲からだったりします。
鼓動を鐘の音と置き換えた曲は2曲あって、これ以上は話し出すと止まらなくなるので控えます(笑)
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