箒星別館

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17.言葉にはできないけど

『暁のヨナ』ハク×ヨナ

 今日は、朝から日差しが強い。
 出来るだけ木陰が多く、人通りの少ない道を歩いてはいるものの、その分道は険しく足場が悪い。緩急の激しい山道も相まって、木々の間から差し込む強い日差しが、元々乏しいヨナの体力を容赦なく奪う。
 辛いのは皆同じなのだろうが、仲間の中で唯一性別が異なるヨナ以外は、それなりに余力がある。暑さと足場の悪さに、ところどころ愚痴めいた抗議が生まれているが、皆足を休めようとはしない。辛い道であるだけに、早々に抜け出してしまいたいという欲求の方が、まだ休息を取りたいという欲求を上回っているのだろう。
 ヨナが一言「休みたい」と言えば、皆が気遣って休憩を取ってくれることは分かっている。分かっているからこそ、ヨナはどれだけ辛くてもその言葉を口にしない。
 ……自分の我儘で、皆を危険なことに巻き込んでいるのは重々承知している。自分のために力を振るってくれる仲間たちのことを思えば、少し我慢をすれば頑張れるであろうことを、簡単に「出来ない」と言ってしまいたくはなかった。
 仲間たちには気づかれないよう、ヨナはそっと重い溜息を吐く。意識がどこか遠い場所にあるようで、四肢の先が冷たい。軽い貧血を起こしているのだろう。
 いつものように殿にシンアがいれば、ヨナの不調はすぐに気付かれたであろうが、幸か不幸か、先の見えない獣道を進むため、遠目の効くシンアは列の先頭で仲間を率いていた。ヨナの背後にはハクがいたが、歩調は緩めずにいたし、ハクの位置からはヨナの顔色は伺えない。このまま足取りを崩さずにいれば、やがて皆が休憩を取る時刻になるだろう。
 そう思いながら、とにかく一歩一歩を確実に進めるヨナの背後で、突然ハクの声が響いた。
「おーい、ユンくん、腹減った。休憩にしよーぜ」
「はあっ!?」
 ヨナの数十歩先の坂を登っていたユンが、間髪入れずに抗議の声をあげながら振り返る。
「いきなり何なの!? ……あのねえ、こんな辺鄙なとこで野宿するわけにはいかないんだよ? シンアが見たところによれば先はまだまだこんな険しい道が続いてるっていうし、日が暮れる前にここを抜けてしまわなきゃなんないの! お腹すくたびにいちいち休憩してたら大変なことになっちゃうんだから!」
「早く抜けないと大変だから、そもそもの体力付けねえと駄目だろうが。余力があるうちに休んでおかないと、体力が枯渇してから休憩しても大して回復しねえぞ」
 言いながら、ハクはヨナの脇をすり抜け、ユンの傍に歩み寄る。その耳元に何事か二言三言告げると、ユンが不意に押し黙った。
「……仕方ないなあ、もう!」
 困ったような諦めたような、何とも言えない口調で吐き捨て、ユンは先を行く四龍たちに呼びかけた。
「珍獣ども、ちょっと早いけどお昼にするよ! シンア、悪いけど休憩取れそうな場所見つけて」
 列の前方から安堵と歓喜の声が上がった。
 やがて、シンアが見つけた獣道から少し入った広い場所に、仲間たちは各々腰を落ち着けた。


 ヨナは、仲間たちから少し離れた木の根元にそろそろと座り込む。
 仲間たちもそれぞれにユンが持たせてくれていた簡単なお弁当を広げ、食事を取り始めた。あまり食欲はわかなかったが、それでも口にしなければしないで皆に心配をかけてしまう。のろのろと荷物の中からお弁当を取り出しかけたところで、何事かユンと話をしていたハクが、ヨナのところへ歩み寄ってきた。
「姫さん、ちょっと付き合ってくださいよ」
「え……」
「ユンくんに水汲んでこいって命令されたんで」
 幾つかの水筒を掲げて見せ、ハクが溜息交じりに吐き捨てる。一度腰を下ろした状態から立ち上がるのは辛かったが、ここで正直にそう言えば、皆に不調が分かってしまう。木の幹を支えにして、ヨナはゆっくりと立ち上がった。
「こっちです」
 ハクがヨナの手を取り、繁みの奥へと入って行く。「ごゆっくりー」と、何故か呆れたようなユンの声が二人の背中を追いたてた。


「ねえ、ハク。本当にこっちに水辺があるの?」
 背の高い生い茂る草の中、水を汲んでこいと言われても、この先に水辺があるようにはヨナには思えない。だが、ハクは揺るぎない足取りでヨナの手を引いて繁みを掻き分けていく。
「ありますよ。こっちから吹いてくる風に、微かですけど水の匂いが混じってます。……まあ、そんなことよりも」
 仲間たちの気配が届かなくなったところで、ハクは突然足を止めてヨナを振り返ると、身を屈めてヨナの膝裏に片腕を挿し入れる。あれよあれよという間に、ヨナはハクの両腕に抱き上げられていた。
「な、な、な、な」
 あまりの出来事にヨナは言葉も出ない。
 疲れ切った両足は宙に浮き、あわあわと空を掻いた両腕は他に収まりようがなく、ハクの首に縋り付く形になる。いつもは見上げるだけの背の高いハクの顔が、息がかかるほど近い場所にあった。
「何をするのよ!」
「姫さん、調子悪いんでしょう? 皆に気付かれずに休めるとこに連れて行きますから、黙って担がれててくださいよ」
 ヨナは息を呑む。
 気付かれているとは思わなかった。
 体調が優れないことも……そして、仲間たちを気遣って、それを言い出せなかったことも。
「……まさか、休憩を言い出したのって……」
 ユンの怒りを買いつつも、唐突に空腹を告げた先程のハクを思い出す。思わずハクを見下ろすと、いつもの飄々とした態度でハクはヨナから視線を反らした。
「俺が言い出さなくても、そのうち白蛇か黄色が言い出してたとは思いますけどね。アイツらもかなりへばってましたし。まあ、ユンくんの言い分も分からんじゃないんで、どこで声をかけるか様子を伺ってたんですが、さっきも言ったような理由で近くに水辺があるのに気付いたんで、頃合いかと」
 言いながら、ハクはたどり着いた繁みの上にそっとヨナの身体を下ろす。背の高い木々が涼しい木陰を形成している。その脇、数歩ほど離れた場所に、細い沢が流れていた。
「本当に、水辺があった……」
「心外な。嘘なんか言いませんよ」
 呆然と呟いたヨナにハクが言い返す。ユンから預かった水筒とは別に荷物の中から器を見つけ、冷たい沢の水を汲むと、ヨナの鼻先に突き付けた。
 反射的に器を受け取ったヨナは、無言で促され、おずおずとその水に口を付ける。自分で思っているよりも喉が渇いていたのだろう。一気に飲み干してしまった。
「まだいりますか?」
 ハクに問われ、ヨナは小さく首を横に振る。一つ頷き返し、ハクは空の水筒を沢の水で洗い始めた。
 身を屈めたハクの広い背中を見つめていると、休息出来た安堵感も相まって、急に血の気が引き出すのが分かった。あのまま強行軍を貫いていたら、きっと倒れてしまっていただろう。そうなれば、仲間たちにもっと余計な心配をかけていたに違いない。

 おそらくハクは、ユンにはヨナの不調を告げたのだ。だからこそユンは渋々ながらもハクの提案を受けいれ、休息を取ることを承諾した。
 だが、他の四龍たちには分からないよう、ハクは気遣ってくれた。休憩の理由がヨナの不調にならないよう、自分の空腹を理由にしてくれたのだと今更ながら気付いた。
「……ねえ、ハク。どうして私の具合が悪いことが分かったの?」
 水を汲み終えたハクがヨナの傍らに戻って来る。ヨナに並ぶようにして腰を下ろしながら、小さく笑って見せた。
「さあ? 専属護衛ですから、何となく」
 ……体調が悪い理由は、強い日差しでも、険しい山道でもなく。
 ヨナが女性であるから故の原因がある。
 そして多分、ハクはそのことに気付いている。
 だからこそ、ヨナが不調だと言えば誰も休息を取ることを反対しないと分かっているのに、その理由を皆の目から隠してくれたのだ。
「ユンには少しの間戻らないって言っときましたんで、きついなら少し眠った方がいいですよ。今日のうちにもうちょっと歩かなきゃならないのは違いないんで、時間を見計らって起こしますが。まあ、最悪の場合は俺がアンタを担いで移動しても問題はないので、ご心配なく」
 にっと力強く笑うハクに、張りつめていた気持ちがふと解けるのをヨナは自覚した。
「……うん」
 眠いわけではないが、安堵した身体が少しだけ意識を手放すことを要求しているのが分かる。ハクの身体に寄り掛かり、ヨナはそっと目を閉じる。


 ありがとう、と感謝を告げることは簡単だ。
 だけど、言葉ですべてを伝えることが難しいことを、ヨナは痛感する。

 今日の事だけじゃない。
 ハクがヨナを守るために失ったすべてのもの。
 そして今も惜しみなく彼が与えてくれるもの。
 その全てに対して、感謝したい。
 だが、ヨナがハクに伝えたい想いは、「ありがとう」の言葉一つに収めることが出来ない。

 暖かく、時折意地悪なこともあるけれど、優しく。
 もう何も持ってはいないヨナの傍に、変わらずにいてくれるハクに、自分は何を返せるだろう。

 唯一、返せるものであったはずの。
 『自由』すら、与えられなくなった今の自分に。


「……姫さん?」
 気遣わしげに呼びかけるハクの頬に、ヨナが細い指先をゆるゆると伸ばす。意識を手放す寸前のぼんやりとした眼差しが、まっすぐにハクを見つめ返した。
 ふと身を起こしたヨナの柔らかな唇が、ハクの精悍な頬に触れる。
 小さな口づけの音と、肌をくすぐる吐息。
 思わず息を呑んだハクに、ふにゃ、とした笑顔で、ヨナは笑いかけた。

 溢れる感謝と想いとを。
 言葉にすることはできないけれど。
 ほんの少しだけ、分かりやすい形で。
 ハクに、与えられるならいい。


 そのまま、ヨナはまるで気絶するかのように急激に意識を手放す。
 かくん、と力を失くした崩れた身体を、反射的にハクは片腕で抱き留めた。

「……それで、俺にいったいあんたをどーしろと……」

 額を掌で押さえつつ、ハクは誰も聞かない呟きを吐いた。
 己の主が容赦なく振り撒く天然さは理解しているつもりだが、たまに想像の限界を超える。

(まあ、仕方ねえか)

 そう、ハクもまた、この主へ抱く想いを言葉にする術を持たないけれど。
 この腕の中の小さな存在を守り抜くことが、己の使命であることを知っている。


 とりあえずは、また一歩、前へ踏み出すため。
 主の僅かな浅い眠りを守るべく、ハクの大きな掌は。

 ヨナの顔に降り注ぐ、強い日差しを遮った。
17.言葉にはできないけど

2015.05.17 執  筆
2015.07.05 加筆修正


【あとがきという名の言い訳】
渡瀬主催の『姫と従者の恋愛戯曲』で書かせていただいた作品です。
ヨナの体調不良の原因は推して知るべし。
その辺の事情はどうなってるんだと思いはするものの、突っ込むところでもないかと(笑)
それらしい描写はありませんが、一応お互いにお互いの気持ちを知っているという前提で書いています。
自分のあの行動が感謝を伝える手段になっているとヨナが思っている時点でもう、ね!(笑)
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