この胸の苦しみは
『暁のヨナ』ハク×ヨナ
過去には分からなかったことが、振り返ってみて改めて分かることがある。
ハクがいつも全てを冗談にして終わらせてきたこと。
……ただ、世間知らずな自分をからかって楽しんでいるだけなんだろうと思っていた、彼が自分に対して見せてきた態度、仕草、その全て。
彼の自分への想いと自分の彼への想いを自覚した今、改めて二人で歩んできた日々のあれこれを振り返り、ヨナが気付いたこと。
それは、ただからかわれているだけだと思っていた彼の戯言の中に、いつも彼の本当の想いが垣間見えていたこと。
「ねえハク。……ハクは、いつか言っていたわよね『私の事ばかりで苦しい』って」
それは、漠然とヨナが抱き続けていた不安を、彼のはっきりとした言葉で突き付けられた瞬間。
「……それって、もしかして本当は、私が思っていたような意味ではなかったの?」
ヨナから視線を外し、表情を陰らせてそう告げたハク。
ヨナがヨナとして生きるために、彼が持っていたものを全て捨てさせて、命令という名の切実な願いで彼の行動を縛り付けていることは自覚していた。
申し訳ないという気持ちは常にあったし、ハクはいつもヨナを最優先して、自分の望みを上手にヨナの目から隠してしまうから、もしも本当はヨナの知らない願いをハクが持っていて、それを自分のために我慢しているのなら、その本心を教えて欲しかった。
でもそう願いながらも、ヨナは心の奥底で、ハクが「そんなことはない」と言ってくれるのを待っていたのかもしれない。
実際にハクの言葉で「苦しい」と告げられて、頭を鈍器で殴られるくらいの衝撃を受けたのを覚えている。
だがハクはあろうことか、そんなヨナの瞼に口付け、「お言葉に甘えて好きな事させてもらいました」と飄々と言ってのけたのだ。当然のことながらハクの気持ちを知らなかったその頃のヨナは、男女間のそういうやり取りに疎い自分のことをハクがからかって遊んでいるのだと信じて疑わなかった。
「……あーあー、確かに。……んなこと言ったこともありましたかねえ……」
がしがし、と片手で頭を掻き、幾分苦々しげな口調でハクが呟く。
いろんな意味で、ハク自身の心が揺らいでいたころだ。ヨナを鍛えながらも、ヨナが力を持つことを恐れていた時期。
人を傷つける術を学べば、人から傷つけられる機会が増える。それを知っているからこそ、ヨナに自身を守る術を与えるべきだと知っていながら、彼女に武器を持たせることを、ハクはずっと躊躇していた。
……それも、今ではハクの想像よりもずっと『強い』ヨナの心根に、その躊躇いはなりを潜めているのだが。
「ちなみに。……その時の姫さんの考えていたとおりの意味じゃないとしたら、いったいどういう意味だと思ったんですか?」
にやりと唇の端を歪めるようにして笑うハクに、ヨナは反射的に頬を膨らませる。結局のところ、この男のからかい癖はいつになっても治らない。
……からかわれた後のヨナの素直な反応こそが、ハクにとって何よりも愛でるべきものであることを、ヨナはいまだに気付かぬままだ。
「……今の私と同じなんじゃないかと思ったの!」
頬を膨らませ、そしてその頬を桜色に仄かに染めて。
負け惜しみのようにヨナが言う。
「今の私が、ハクのことが好き過ぎて、とても胸が苦しいから。もしかしたら、ハクが苦しかったのもこういうことなのかなって思ったの!」
……ああ、本当に。
ハクが愛すべきこの姫君は。
自分が放つ言葉の威力を知らな過ぎる。
それでも、ハクが一方的に彼女のことを想っていた過去に、その威力絶大の思わせぶりな言葉で、淡く生まれていたハクの期待を容赦なく叩き潰していたあの頃を思えば。
確実に意図を持って自分へと向けられる、彼女の放つ言葉の刃は、随分と甘い媚薬に変わったけれど。
「……よくできました」
溜息混じりに呟き、ハクが目の前に立つヨナの両腕を掴んで引き寄せる。
恥ずかしさのためか、頬を染めた上にあまつさえその菫色の瞳を潤ませているヨナのその目の中を、じっと覗き込んだ。
「姫さんの答えの通り、俺のこの胸の苦しみは全部姫さんのせいですよ。……だから、責任取ってください」
「せ、責任って……」
どうすればいいの?
真面目に悩んで首を傾げるヨナに、ハクは小さく。
……甘く、笑う。
「姫さんも同じように苦しいなら、どうすればそれが消えるか。……分かるだろ?」
胸を締め付ける程の。
抑えられないほどに溢れそうな。
その狂おしい愛しさを、少しでも胸の中から昇華してしまうために必要なことは。
(……ああ、だから)
(あの時、ハクは『そう』したのね)
ハクがヨナ以外の前で見せることはない、甘く柔らかな笑みが。
胸が苦しくなるほどに好きで。
……とても、好きで。
その想いの行き場がなくて。
持て余してしまうから。
その頬に。
瞼に。
……唇に。
否応なく、触れてしまいたくなるんだ。
ヨナは睫毛を震わせて、そっと目を閉じる。
まるで蜜に誘われる蝶のように、とても自然にハクの唇に自分の唇を重ねてみる。
ふと、重ねた唇の隙間でハクが嬉しそうに吐息をつく気配がして。
そしてその口付けは、互いの胸の苦しみを呑み込むように。
容赦なく深まった。
この胸の苦しみは
2015.06.10 執 筆
2015.07.11 加筆修正
【あとがきという名の言い訳】
ツイッターの診断メーカーで出てきた『7RTされたら「俺のこの胸の苦しみは、お前のせいだ…責任、取れよ?」
の台詞を使ってハクヨナを書け』というお題に沿って書いてみました。
基本的に私SNSでは友人以外の人に反応されることはないと信じているので、
ざかざかRT来たときには逆に慄きました(笑)ハクヨナ好きさんいっぱいいるんだなあ……
特にこだわりも何もなく、上記のお題に合うようにと思いながら書いてみたものです。
おかげでこのお話に対しての自分の印象が薄いこと薄いこと(笑)