call me! ~東金千秋の場合

千秋×かなで

 朝、かなでが目を覚まして寮のリビングに降りていくと、上質なソファに腰を下ろしているのは東金千秋ただ一人だった。
 全国アンサンブルコンクールも無事に終了し、後は皆残り少ない夏休みを満喫するのみだ。宿泊場所が確保されている安堵感もあるのか、せっかくコンクールが終わって落ち着いたのだからと、至誠館のメンバーも神南のメンバーも、時間が許されるぎりぎりまで、横浜観光に明け暮れるのだと言う。
 コンクールが終わってしまえば、賑やかだった菩提樹寮もまた閑散として寂しくなってしまうのだろうと思っていたから、ほんの少しの間とは言え、皆がまだここに滞在してくれるのはかなでもとても嬉しい。何よりすぐに神戸へ帰ってしまうのだろうと思っていた東金がまだ傍にいてくれるのは、願ってもいない事だった。
 だが、彼がかなでの日常の中に存在していてくれるのは嬉しくても、東金「しか」いないという状況は、いまだに少し緊張をしてしまう。両想いとはいえ、恋人同士としての振る舞いにかなでは慣れていない。
「あ、あのっ、おはようございます」
 こっそりと髪の乱れを気にしつつ、少し緊張を交えた声音で朝の挨拶をすると、ちらりとかなでに視線を寄越した東金は唇の端で小さく笑う。
「ようやくお目覚めか。コンクールが終わった途端、呑気なもんだな?」
 いつものように軽口を叩きつつ、東金は指先でちょいちょいとかなでを招く。戸惑いながら恐る恐る近付いていくと、手の届く範囲にかなでの身体が近付いた途端、東金は「捕獲」と呟いてかなでを強引に自分の腕の中に捕らえる。
 背後から抱き締める形でかなでを座らせて、かなでの頭に顎を置くと「相変わらず抱き心地のいいやつだ」と御満悦な様子だ。
「と……東金さん!」
 あわあわと狼狽えるかなでの様子に東金は頓着しない。
 逃れようと暴れてみても、かなでを抱きとめた強い腕はびくともしなかった。
「お前、寝起きのくせに無駄に元気だな」
「朝は別に弱くないんで……じゃなくて! この体勢はものすごく恥ずかしいです! 他の誰かに見られたらどうするんですか」
 焦るかなでがきょろきょろと他には誰もいないリビングを見渡す。
 煩いな、と東金は顔をしかめて額を押さえた。
「誰に見られたって別に構わねえだろ。……お前が俺の事を好きだってことは、周知の事実だぜ?」
「ええっ、そんなぁ! 何で皆が知ってるんですか!?」
 誰にも言ったことないのに!と、全く別のところに食い付いたかなでが青ざめて東金を振り返る。そんなかなでを面白そうに見下ろし、東金はにやりと笑った。
「ちなみに、俺がお前に惚れている事も周知の事実だぜ。俺がいないうちに余計な虫がつかないよう、さんざん周りに言い含めてやったからな」
「ああああ……」
 愕然とするかなでが思わず両手で顔を覆う。
 そんなかなでの反応は、東金にとっては予想通りでいて少々不本意な反応だったりするのだが、そこに頓着する事はやめておく。
 こうして東金がかなでを掴まえたのには、他に言いたい本題があったからだ。
「ところで……かなで」
 先程までとは声音を変えて、優しい声で東金はかなでの名を呼ぶ。
 顔を覆っていたかなでが、そろそろと上目遣いに東金を見上げた。ソファの背もたれに肘をついてこめかみを押さえる東金は、どこか面白そうな表情でそんなかなでを斜めに見下ろした。
「お前は、いつになったらその他人行儀な俺の呼び方を改める?」
「他人行儀……ですか?」
 東金とは知り合って間もないし、別の学校の年上の男性ということできちんと敬意を払った呼び方を心掛けていたつもりだった。
 だから今急に『他人行儀だ』と指摘されても、咄嗟に対応が出来ない。
「えっと、じゃあ東金先輩って呼んだ方がいいですか?」
 さん付けが他人行儀なのかなと思い立って、少しだけ親しみを増した呼び方を考えてみると、呆れたように息を付いた東金に、即答で却下された。
「馬鹿、それじゃ全く変わってないだろうが。……俺がお前を『かなで』と呼ぶなら、お前は俺を『千秋』と呼ばないと釣り合いが取れないだろ?」
「無理です!」
 今度はかなでが真顔で即答する。
 東金は肘からその場に崩れ落ちそうになった。
「……即断するやつがあるか。せめて少しくらいは迷えよ」
 苦虫を噛み潰したようなしかめっ面で東金が呟くと、頬を真っ赤に染めるかなでがふるふると何度も首を横に振った。
「だって無理です。恥ずかし過ぎます。よっ呼び捨てって……!」
 無理だ、駄目だと繰り返すかなでを、東金は呆れたように眺める。
「おかしなところで躊躇する女だな。自分からキスしてくるような意外に積極的で大胆な女だと思っていたが……」
「もう!それは蒸し返して言わないで下さい!」
 更に赤さを増したかなでが、大声で叫んで、えいやと両手で東金の口を塞ぐ。
 行き詰まり、どこにも行けなくなっていたかなでのヴァイオリンの突破口を開いてくれたのは、『「花」がない』と遠慮なくかなでの演奏を一蹴してくれた東金の言葉だ。
 だから、冥加との一騎討ちに臨む東金が勝利するために、自分が出来ることがあるのなら、何でもしてあげたいと思った。
 勝利のキスでもしてくれたら、と言った東金の冗談を鵜呑みにして、それで東金が勝てるならばと安易に行動に移してしまったのは、確かに浅慮な振る舞いだったとは思うけれど。
「あっ、あの時は、それで東金さんが頑張れるならって思っただけで、そんなに深い意味はなかったんです!」
「深い意味もないのに、簡単に男にキスをする女がいるか? それはそれで、相当に大胆だぞ」
 笑いを含んだからかう口調で言いながら、自分の口元に押し付けられたかなでの小さな手を取った東金は、その指先にキスをする。……自分を惹き付け魅了した、『あの』ヴァイオリンを弾く指先に。
「まあお前が俺の名前を呼ぶ気がないなら、俺はずっとこの体勢のままでも構わねえぜ。……予め言っておくが、名前で呼ぶまで俺はお前を逃がす気はないからな?」
 小さく笑い、東金が上目遣いにかなでを見つめる。
 冗談めかしているが、この言葉がおそらく本気であることはかなでにも分かる。
 普通の人間なら常識的にやらないであろうことを、平気でやるのがこの東金千秋という男だ。
 ……彼を名前で呼ぶまで、誰がこのリビングに足を踏み入れようと、この恥ずかしい体勢から自分が解放される事はない。律や八木沢にならあまり大事にすることなく、なかったことにしてもらえそうだが、他の人物であれば大騒ぎになるのが目に見えるようだった。
「…………………………ち」
 恥ずかしいのを我慢して、懸命に。
 小さな声で、かなでは口を開く。
 しっかりとかなでの腰を片腕で捉えて、もう片方の手でかなでの手を掴んでいる東金は、真顔でただ成り行きを見守っている。
「ち、あき………」

 ようやく、そこまで声を絞り出して。
 だけど、やっぱりそのままでは終われなくて。
 かなでは最後に「……先輩」と、おまけを付け足した。

「……だ、駄目ですか……?」
 恐る恐る、上目遣いに東金の様子を伺うと、しばらくの間表情を変えずにかなでを見下ろしていた東金は、ようやく唇の端を歪めるようにして笑う。
「……最初から俺の望むレベルをお前が満たしてくれるとは思っていなかったからな。段階をゆっくり踏んでいくのも悪かあない。及第点ってことでこの辺りで勘弁してやる」
 東金の言葉に、かなではほうっと安堵の息をついて、胸を撫で下ろす。
 その安堵の隙を狙って。
 東金の熱い唇が、そっとかなでの頬に触れた。
「なっ……!ななななな」
 何するんですか!と一瞬で真っ赤になって頬を押さえたかなでが、思わず飛び退いて東金から距離を取る。
 その反応を楽しそうに眺める東金は、小さく肩をすくめた。
「俺の名前を呼ぼうと頑張るお前は思いの外可愛かった。よって、ちょっとした御褒美だ」
 あっけらかんと言ってのけ、ふと何かを思い付いたように空に視線を巡らせ、東金は指先で自分の顎に触れた。
「そうだな。名前で俺を呼べるようになったら更に御褒美が必要だ。……次はきちんと唇にキスしてやる。せいぜい頑張れよ」
「いいい、いりません! それがご褒美なら頑張りません!」
 涙目で絶叫するかなでに、何故か自信満々に東金は言ってのける。
「いや、お前は頑張るさ。……そうすればお前に心底惚れている俺が喜ぶって事を、お前はちゃんと知っているからな」

 違う、と否定したかったけれど。
 それでも東金が喜んでくれるなら、きっと自分は彼の願いを叶えてしまうのだろうと、かなでにもちゃんと分かっている。

「後は、うっかり『東金さん』なんて愛想も何もない呼び方に戻らないように、せいぜい気を付ける事だな。もし後戻りしやがったら、ペナルティでそのたびに人前でキスするぞ」

 ……そんなふうに笑って告げられた東金の脅し文句も、その目の奥が笑ってはいないから、本当にやりかねない。

 とりあえず彼の願いをいつか叶えるためにも、まずは間違える事無くきちんと「千秋先輩」と呼べるようになろうと。
 かなでは心の奥で健気に誓うのだった。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:2011.10.23 加筆修正:2018.8.5】

おそらく最初のコルダ3創作じゃなかろうか……。会話の面で、3のキャラクターは結構書きやすいんですが、深い話を書けないという弊害が(苦笑)要するに、あんまり自分の中でキャラクターを消化させていないと言いますか。
手探り感満載ですけど、この千秋創作は割と評判良かったと思います。
ちなみに、人生の先輩なので年上は皆「先輩」呼びさせたという経緯有(笑)
最後になりましたが、これは3に名前呼びの変更イベントがなかったので書いてみたシリーズでした。

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