いつも場を明るく穏やかにする存在がそこには欠けていた。律は手前のソファにだらしなく横になって雑誌を眺めている実弟に声を掛けた。
「……響也、小日向はどうした?」
律の声に反応して、響也が掲げた雑誌をずらして律を見る。煩げに顔をしかめると、響也の視線はまた雑誌へと戻ってしまった。だが態度は横柄ながらも、質問には律儀に答えるのがこの弟のいいところだった。
「さっき、コンビニに買い物に行くって言って出てったぜ」
「コンビニ?……こんな時間にか?」
「まだ8時前じゃねえかよ。外も結構明るいし」
響也の言うとおり、窓越しに見える空はまだ夕焼けの茜色を残していた。だが日暮れの時刻であることは間違いないのだから、かなでが一人で外へ出て行くことは律としては歓迎できない。菩提樹寮に越してきてまだ日の浅いかなでが行くコンビニはだいたい決まっているので、近くまで迎えに行ってみようと律は踵を返す。
「……おい、律」
その背中に向かって再度響也の声が響く。律が肩越しに視線だけで振り返ると、先ほどと同じように雑誌の位置をずらした響也が、呆れたように律を見つめていた。
「あのな。そんなに過保護になんなくても、かなでも昔のままのかなでじゃないんだぜ」
「……?」
響也の言う事の本質が掴めずに、律が怪訝な顔で首を傾げた。
「つーまーり、一人でコンビニくらい行けるし、行っていいかどうかの時間帯もわきまえて行動してるってことだよ! ……まあ、危なっかしい・そそっかしいところは相変わらず健在だけどさ」
それでも、と響也はまた視線を雑誌へと戻し、今度は律の顔を見ないようにして、何でもないことのように告げた。
「本当はアイツ、俺や律がいなくても結構一人で何でも出来んだよ」
コンビニに向かって歩きながら、そう言えばと律は改めて子供の頃を思い出す。
昔からかなでは、本当に目の離せない少女だった。
好奇心が旺盛で、妙なところで強固な決断力を発揮するので、トラブルには事欠かない。
自分たちが幼い頃に暮らしていたのはとても自然に満ちた場所で、幼いかなでは怖がりだった響也が渋るのを置き去りにして、探検と称して自分だけで森の奥や水辺に入り込んでは、必ずと言っていいほど迷子になっていた。
それを慌てて探し出すのが主に律と響也の役目だったが、もしかしたら自分は今でもその感覚が抜け切れていないのかもしれないと思う。
二人を故郷に置いて星奏学院へ入学し、オーケストラ部で全国制覇を目標にヴァイオリンを弾いている時には忘れていた感覚だが、目の前にかなでがいると、やはり彼女は変わらずに、律にとってふと気が付けばその居場所を探している、……目が離せなくて危なっかしい、そういう存在なのだろう。
「あれ?律くん……じゃなかった。部長?」
足元を見つめ、自分の思考に耽りながら歩いていると、不意に前方から驚いたような声が上がる。視線を上げると、キャミソールに薄いカーディガンを羽織り、ショートパンツという無防備な格好のかなでが、大きなコンビニ袋を両手に持ち、律の目の前に立っていた。
「お前はまた、そんな格好で……」
律は確かに色恋沙汰には疎いのだが、妙齢の女性が露出度の高い服装で外出した場合の危険度いうものは一般常識でそれなりに分かっている。あまりのかなでの危機感のない様子に、思わず律は頭を抱えた。
「え? このカッコ、涼しいし楽なんだけど……何か、ダメ?」
あわあわと自分の格好を見直した後、かなでが不安げに律を見つめて首を傾げる。
律は小言を言おう口を開きかけ……そして、おそらくは言っても無駄なのだろうと諦めの境地に達し、何も言わずに口を閉じた。
「……何を買ってきたんだ?」
「ん? アイスだよ。夕飯の後にニアと食べたいねって話になって。一緒に買いに行こうって誘ったんだけど、ニアってば、わざわざ出掛けるくらいなら潔く諦めるって言うんだもん」
だから、一人で買いに行っちゃった、とかなでは笑う。……「こうと決めたら即実行」の性格は変わらないらしい。
だが、かなでがそんな性格でなければきっと、今ここに……律の傍に、昔と同じようにかなでと響也がいる、という図式は成立しなかっただろうが。
「みんなの分もちゃんと買ってきたから、律く……あわわわ、……部長も一緒に食べようね。……って、あれ? そう言えば部長は何でこんなところにいるの?」
今頃そのことに気が付くかなでに、呆れたように溜息を付き。
律は、かなでが持っているコンビニのビニール袋を、一つ彼女の手から奪い取った。
「部長?」
「お前が、一人で出かけたというから迎えに来たんだ」
「あれ、そうなの? 心配しなくても、昔みたいに迷子になったりしないよ」
にこにこと、かなでが無邪気に笑う。
……遠い過去、迷子になったかなでを探しに行き、律が彼女を見つけた時は、やはりこんな風にいつも彼女は笑っていた。自分が迷子になっていたことを理解しているのか否か。探検による新しい発見を、律や響也に知らせることにただ一生懸命で。
律はそんな彼女の笑顔が一番好きだったことを、ふと思い出す。屈託のない彼女の笑顔を見ていると、いつしか心が安らいで。
彼女の無茶に心配をしたことも、苦笑いで許してしまう。
「あ、一番星だよ。ほら」
肩を並べて、菩提樹寮への道を歩き始めると、群青に変わった空にひときわ輝く星を、かなでの指先が示す。
「こうやって並んで歩いてると、何だか子どもの頃みたいだね」
かなでがあの頃と変わらない……だが、あの時よりも随分と綺麗になった笑顔で呟く。
あの頃は、心が安らいだはずの彼女の笑顔が、何故かとても眩しくて、見ていられなくて。
律はかなでの指先が指し示す、ひときわ明るい一番星を、見るともなく眺めていた。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:2012.10.28 加筆修正:2018.8.11】
結構前から書き溜めていたシリーズなんですが、先に進まなかったので出来た分からアップしていくことにしました。書いていくうちに3のキャラも、何よりもかなでちゃんがある程度形になればいいと思う今日この頃。
なんとなくかなでちゃんを放っておけない律と、そんな律の心の機微に意外と無頓着な天然かなでちゃんが書けていればと思います(笑)


