そんな自分が、一般常識が通用しない破天荒な管弦楽部部長と、どこまでが本気なのかが計測不能な享楽的な副部長のお守りを一手に引き受けているのは、そのことが回り回っていつか自分にとってのプラス要素になることを確信しているからであって、別に好き好んで振り回される立場に甘んじているわけではない。
だから通りがかりにふと視界を掠めた一場面に、真っ先に浮かんできた感情が『面倒だ』という不快感だったのは、何の間違いもない正常な感情の動きだったと言えるだろう。
いつもなら明らかに面倒事だと分かり切っているそんな場面は、当然そ知らぬ顔で通り過ぎてしまう。だが、思わず足を止めてしまったのは、その場面の中心に在るのが『彼女』だったからに他ならない。
夏季休暇に突入したこの時期には不似合いな真新しい制服に身を包む小柄な少女が、同じ制服をいいように着崩した、威圧感たっぷりの迫力のある派手な美女二人に囲まれて身を縮めている、目の前の光景。
それはどう穿って解釈してみても、少女が美女二人に因縁をつけられているようにしか見えなかった。
(……全く、部長も副部長も影響が大きいのを分かっていながら、大っぴらに彼女を可愛がるから)
溜息とともに、芹沢睦は奔放な先輩達の顔を思い浮かべる。
200人強という大所帯の管弦学部を一手に率いる部長・東金千秋と、副部長・土岐蓬生。
基本、誰にでも物怖じせずどちらかと言えば社交的で人当たりのいいこの二人が実際に心の底から信用し、重宝するような人材は、片手の指で数える程度しかいないことを、幸か不幸かうっかり入学直後からこの二人の目に止まってしまって以後、行動を共にすることを余儀なくされた芹沢は、嫌というほど分かっている。
そんな中、夏休み直前という奇妙な時期に突如神南高校に編入してきた異色のヴァイオリニストを、この二人は珍しく気に入ってしまったようだ。
かくいう芹沢も、この一見取り立てて目立つところがない、普通の女子高生でしかない小日向かなでという少女のことを、どうしても放っておけないのだ。
彼女は純朴で素直で、ひたすらにまっすぐだ。
特別目を引く華やかさはないが、上流階級のお嬢様たちが集う神南高校の中で、確かにその素朴な愛らしさは珍しいものである。
だが、幸か不幸かうっかり神南高校で一、二の人気を誇る二人に気に入られてしまったことで、小日向の高校生活は平穏無事なものでなくなってしまった。
小日向と同じように東金たちに近しく、二人に目をかけられる立場でありながら、東金や土岐とは別の部分で有能さを発揮する彼らと同性の芹沢と小日向とでは、そもそも置かれている状況が違う。
彼女の立ち位置は、他の女生徒からのやっかみを非常に受けやすいところにあるのだ。
「付け上がんのもええ加減にしてな? あんたみたいな冴えない子ぉが側をちょろちょろして、東金くんたちが迷惑してんの、分からへん?」
「そうそう。可愛がられてるとか勘違いせんといてね。ちょっと毛色の違う子やから、物珍しいだけなんよ」
そっと壁際の三人に近づいてみると、何とも分かりやすい威圧的な台詞が飛び交っている。東金たちに何事か言いつけられていたのだろう、書類の束を両手に抱えたかなでは、如何にも困っているふうに細い眉を八の字にして、自分を見下ろす先輩方を代わる代わる見つめている。
「……あの」
やがて、降り注ぐ非難の言葉の間を縫って、小さいけれどはっきりとした声でかなでは二人の女生徒の言葉を遮った。
「先輩たちのお話がそれだけなら、もう部室に戻らせていただいてもいいですか? 私、部長たちに言われた仕事を、早く片付けないといけないので」
驚くほどきっぱりとした口調に、彼女を取り囲む女生徒たちも、そしてこっそりと成り行きを見守っていた芹沢も目を丸くする。
「……なんやの、その物言い……」
「ホント、東金くんたちが何も言わんのいいことに、図に乗ってるんと違う!?」
気色ばむ二人をまっすぐに見つめ、かなではひるむことなく言い返した。
「図に乗ってる、なんてことないです。確かに私は平凡ですし、ヴァイオリンに関しても、まだまだ実力不足で、先輩たちの言うとおり部長たちの足を引っ張って、迷惑をかけてるのかもしれません。それでも、……それならせめて、私を信じて部長たちが与えて下さったお仕事は、ちゃんと責任を持って全うしたいんです」
失礼します、と丁寧にお辞儀をし、呆然とする二人の女生徒を尻目に、かなではその場を離れようとした。
取り囲んでいた女生徒が、慌ててその細い肩に手を掛け、力任せに引きとめようとする。
「ちょっと待ち!話はまだ終わってな」
「……その辺りにしておきませんか、先輩方」
乱暴に、力任せにかなでを振り返らせようとした女生徒の手を、咄嗟に掴んで制したのは、芹沢だった。
振り返ったかなでが目を丸くし、芹沢くん、と唇だけを動かして呟いた。
「ちょっと芹沢、あんたまでこんな無能な子を庇うん!?」
芹沢の手を振り払い、許しもしないのに馴れ馴れしく芹沢を呼び捨てる、怒気のこもった声で叫ぶ女生徒には見覚えがある。
東金たちのライブでは最前列を陣取っている、取り巻きたちの筆頭だった。
管弦学部にも籍があったはずだが、大所帯の管弦学部部員は個人練習が基本であり、彼女たちは東金たちが現れる合同練習の時以外はほとんど姿を見せない不真面目な幽霊部員だ。芹沢が管弦学部に入部し、本格的に東金たちから押し付けられる雑用を一手に引き受けるようになるまで、マネージャー気取りで東金たちの周りをうろついていたから嫌というほど記憶に残っている。……何せ、彼女たちの大雑把で中途半端な事務処理のおかげで、後始末を押し付けられた芹沢はかなりの苦労を強いられたのだ。
当然、自分たちの目の前だけでいい面を見せようとする彼女たちの底の浅さに気付かない東金たちではないので、今かなでに与えているような重要な案件を彼女たちに命じることはほとんどない。
それでもライブの口コミには使い勝手のいい存在ではあったので、東金や土岐は付かず離れずの絶妙の距離で、実に体よくあしらっていた。
その事実に彼女たちが気付いているのかどうかは、芹沢は知らないが。
「俺も別に無暗に小日向さんを庇うつもりはありませんが、貴女方が思うほどに彼女は無能ではありません。……部長たちは、無能な人間に仕事を与えるほど、甘い人達ではありませんので」
難易度は芹沢に与えるほどではないにしても、それなりに仕事を任せる以上、かなでに対して東金たちは一定の信頼を置いている。裏を返せば、彼女を無能と評することは、東金たちの『人を見る目』を貶めることになる。
暗にそれを指摘した芹沢の言葉に、気色ばんでいた女生徒たちが、ぐ、と息を呑んだ。
「更に言わせてもらえるなら、雑用すら任せてもらえなかった貴女方は小日向さんよりも余程無能だということになりませんか? もし自分を正しく評価してもらえなかったことに対して憤りがあるなら、彼女を非難するより前にすることがあると思いますが」
文句があるのなら東金たちに直接言えと、芹沢は放った言葉の裏側に辛辣な皮肉を込める。
口籠り、お互いに顔を見合わせる女生徒たちは、やがて「……行こ」と促し合い、振り向きもせず足早にその場を立ち去った。
その背中が廊下を曲がるまで見送り、芹沢は安堵とも呆れともつかない深い溜息を零す。同時に隣で大きな溜息を付いたかなでと、ふと視線が合った。
「ありがとう、芹沢くん」
小さく微笑んだかなでが、礼を告げる。
真っ直ぐに見つめられ、芹沢はふいと視線を反らせた。
「別に、貴女を庇ったわけではありません。彼女たちはよく部長たちのライブにいらっしゃるので顔を見知っています。お二人の傍にいる人物としてあの態度はいかがなものかと思いましたので、品性を保っていただきたいと釘を刺しただけです」
「うん、でも」
無能じゃないって言ってくれたから。
そう言ってかなでは屈託なく芹沢に笑いかける。
「それも、先程彼女たちに告げたことが全てで、他意はありません……部長は俺たちに遠慮なく仕事を押し付けますが、信頼できない人間にそれをさせることはありません。少なくとも、部長と副部長は貴女のことを評価しています」
東金たちが認めているから、仕方なく芹沢も彼女のことを認めている……我ながら、随分と回りくどい言い訳だと芹沢は内心冷や汗をかく。
……そう、芹沢にとって小日向かなでという少女の最初の印象は、あまり良いものではなかった。
何がどう気まぐれな部長たちのお眼鏡に叶ったのか分からないが、一年余りの時間を経て程よくバランスの取れていた自分たち三人の関係性を、この少女の出現が変えてしまったからだ。
その存在も、奏でるヴァイオリンの音色も、自分たちの中にあって特出する輝きを持っているわけではない。だが、どうしてだろう。彼女の存在は……その音色は、個性的な面々の中にあって、決して埋もれてしまうものではない。
むしろその優しい存在に心地よさを覚え始めているのは、おそらく芹沢だけではないのだろう。
でなければ、東金たちがいつまでも彼女の存在を側にとどめ置くはずがない。
「でもね、芹沢くん。私、何だかずっと芹沢くんから避けられているような気がしてたんだ」
肩を並べて部室までの道のりを歩きながら、ふとそんなことを告げたかなでの言葉は、実は的を射ている。
意識的に避けていたわけではないが、面倒な存在と認識していたのは間違いない。
東金たちの傍に特定の女生徒を置く……それが、先程彼女が巻き込まれたような状況を生むことになるのを、最初から芹沢が想定していたからだ。
……元来、自分は面倒事には巻き込まれたくない性質の人間だ。
故に、明らかに揉め事の火種となりうる彼女と深く関わることを避けていた。
「部長たちの気持ちを代弁してくれただけだとしても、何だか芹沢くんに認めてもらえたみたいで、嬉しいって思ったの。だから……ありがとう」
先ほどの礼の意味を、かなではそんなふうに語る。
澱みなく、真っ直ぐに芹沢の目を見つめて笑う彼女が、芹沢にはひどく眩しく感じた。
……これは、好きとか嫌いとかそういう感情なんじゃなくて。
ただ、東金の途方もなく壮大な夢を叶えるための人材として、彼に見込まれてしまったことを相哀れむという感情で。
きっと、運命共同体として勝手に彼女に親近感を覚えているだけで。
本来なら、やり過ごしていたはずの厄介ごとに、つい首を突っ込んでしまった、説明のつかない自分自身の行動。
……意外に芯が強く、真面目でお人好しで優しい。そんな彼女のことを芹沢自身が認めつつあるのだということは、本当は分かっていたけれど。
そんな自分の心を奥まで覗き込んでみるのは、まるで深淵に嵌まり込む行為のような気がして。
芹沢は、仄かに生まれつつある彼女への好意的な感情に、あえて見ない振りをした。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:2015.08.16 加筆修正:2016.8.11】
初・芹かな話です。……とは言いましても、甘さの欠片もない話なんですが(苦笑)
これからまあそれなりに深い話を書くことになるとして、書いておきたかった話ではあります。AS神南をベースとして、かなでは芹沢と一緒に結構雑用こなしてるんですが、東金たちが出来ないと思ってる人に仕事をやらせることはないんだろうなあとか。そういう意味で、結構最初からかなでは彼らの信頼を勝ち得ていたんだなあと思うのです。
別に有能な人材として書かれているわけではないかなでがそれなりに信用を得るとしたら、それはやっぱり、音楽に対して誠実で、そもそもが東金たちを目当てにして近付いたわけではないからじゃないかと。
そういうことを、自分なりにまとめておきたくて書いた話です。


