ナイフを持っていることはひみつ

響也→かなで

 かなでが落ち込んでいるということに気が付いたのは、アンサンブルのメンバーたちの中でおそらく響也ただ一人だった。
 元々、かなでは素直な性格で、あまり感情を上手に隠せる方ではない。嬉しい時、哀しい時、かなでの大きく揺れ動く感情は、全てその表情に現れてくる。
 だが唯一、かなでが周囲に自分の感情を気付かせないことがある。それはかなでが辛い時だ。傷付いている時、落ち込んでいる時。そういう気落ちする時には、かなでは自分の感情を隠すことが恐ろしく上手かった。
 かなでは幼い頃に、いじめにあっていたことがある。一口にいじめと言っても、そこまで悪質で陰湿なものではなく、同学年の女生徒たちにまったく口をきいてもらえない、というものだった。彼女たちと過ごすより、響也や律と過ごすことが多かったり、遊びに誘われたりしてもヴァイオリンのレッスンがあるために断らざるをえなかったりすることが多く、次第に友人たちが遠ざかって行った。
 それは、幼いかなでにとっては随分辛いものだったろう。だがかなでは響也や律には自分の置かれている状況を一切伺わせなかった。ひた隠しにして一人でその逆境を乗り越え、やがて響也たちがその事実を知った時には既に、かなでは自分を無視していた女の子たちと一緒に遊びに出かけるまでになっていた。
 響也はそのことを知って以来、それまで以上にかなでのことを気に掛けるようになった。
 かなでは響也にとって、いつも明るくて、無鉄砲で放っておけない存在で。
 そして、響也が落ち込むときには、必ず傍にいてくれる暖かな存在だ。
 かなでは響也を特に優しく慰めるでも、励ますでもないが、いつだって変わらずに笑顔で、着かず離れずの絶妙な位置にいてくれる。
 無遠慮に内面には踏み込まず、だが手の届く場所には必ず彼女がいる……それは、響也にとって、一つの救いだった。
 だからもし、かなでが再び逆境に立たされる時が来るのなら、今度こそ同じように返したいと思っていた。かなでが上手に隠してしまう小さな小さなSOSのサインを絶対に見逃すまいと、いつも彼女の様子を気に掛けていたのだ。
 そして、そこまで綿密にアンテナを張り巡らせていて、何とか響也はほんの少しのかなでの変化に気付くことが出来た。

「……何かお前、最近元気なくね?」
 森の広場でかなでお手製の弁当を広げ、二人で昼食をとっていた時、響也は思い切ってそう切り出した。
 響也が気が付いたかなでの変化は、たった二つだけだった。
 一つはヴァイオリンの音色。かなでの音色は、いつもはとても澄んでいるのに、ほんの少しだけ濁ったように響也には思えた。
 もう一つは今、正にこの瞬間だ。……食事の時に、ふとかなでの箸が止まる。
 基本的に、かなでは悩み事があっても、それはそれ、食事は食事とあっさり割り切れる性質だ。悩み事を日常生活の場に持ち込んで、いつまでも引きずることがない。
 それなのに今のかなでは、食事の最中にふと動きを止め、物思いにふけることが多い。つまりは食事の手を止めるほどに何かを思い悩んでいる、ということになる。
「えっと……そんなことはない、と思うよ?」
 視線を不自然に空に泳がせながら、かなでが答える。
 だが、一旦核心を突けば、やはりはかなではかなでらしく、ひどく分かり易かった。
 響也が黙ったまま、ただかなでのことを見つめて待っていると、やがてかなでの方が根負けした。
「……響也、すごいなあ。誰も気づかないと思ってたのに」
 苦笑交じりにかなでが呟く。
 ……それだけ彼女のことを気にしてたということは、勿論言えなかった。
「……何だよ。コンクールの事か?」
 もしかなでの悩みが、今自分たちが対峙している全国アンサンブルコンクールのことならば、正直なところ響也に有効な解決策はない。むしろ響也の方が、何かいい打開案があるのなら提供して欲しい気分だ。
 最初のうちは、並み居るライバル校に負けたくない一心で、あまり深く考える事なく目の前の勝負に没頭できた。だが決勝進出が現実のものとなり、中心となるべき律が本調子ではない状況で、あの冥加玲士率いる天音学園に挑むとなれば、どれだけ練習を重ねたとしても、自信よりもむしろ不安が勝る。
「あ、ううん。コンクールの事じゃないよ。……コンクールは、とりあえず私に出来ることを精一杯やって、その結果が出せればいいって思ってるから、大丈夫なの」
 さらりとそう言ってしまえる辺り、かなでは明らかに響也より強い。
 もしかしたら自分には、かなでの変調に気付くことはできても、彼女を救うことなど到底不可能なのではないだろうか。
 また自分はかなでの力になってやることが出来ずに、ただ傍観したままで終わるだけではないのだろうか。
 ……遠い過去、かなでが一番辛かった時何一つしてやれなかったように、
 不安になる響也の目の前で、取り繕うことをやめたかなではじっと自分の足元を見つめ、唇を引き結んで黙り込む。
 そんなかなでに何も言葉を与えてやることが出来ず、ただ彼女の俯きがちな横顔を眺めるだけの響也の視線の先で、重い沈黙の後、かなでがぽつりと呟いた。
「……ねえ、響也」
 
 自分が誰かのために良かれと思って言ったはずの一言が、これ以上ないってくらいに人を傷つけることが、世の中にはあるんだね。

 ……かなでは、それ以上は何も言おうとしなかった。
 響也も、それ以上を聞き出すつもりはなかった。かなでがそれを望んでいないことは伝わったし、自分も簡単に足を踏み入れてはいけない部分だと分かった。
 ……自分が何気なく放つ言葉が、ナイフのように鋭く誰かの心を傷つける。
 それはきっと。
 この世の中に、当たり前のように転がってる真実だろう。

 自分以外の人間のすべてを、完璧に理解するなんて出来っこない。
 幼い頃からずっと傍にいて、何をするにも一緒だったかなでの気持ちの全てを、いまだに響也が理解できないように。
 そしてかなでも、本当の響也のことを知らない。
 一番響也を理解してくれている幼馴染み。
 自分への苛立ちがひどくて、響也ついが不機嫌に周りに当たり散らしてしまう時も、その心情を理解して、「しょうがないなあ」と笑って、ただ傍にいてくれるかなで。
 ……そんな彼女を、響也が一人の女の子としてずっと好きだったということを。

「……そんなん、当たり前のことだろ」
 響也の言葉に、かなでが驚いたように顔を上げる。
 かなでの顔を見ないように、響也は空の一点を見つめて言った。
「俺じゃない人間が俺の言葉をどう思うかなんて、そんなこと、いちいち考えてたら言いたいこと何も言えなくなんじゃん。キリねえだろ。最初から傷つけるつもりで言ったんじゃないなら、別にいいんだよ。うっかり人傷つけることがあったって。だって俺らに傷つけられた人間は、多分違うところで別の誰かをそうやって傷つけてんだからさ。……律見ろよ、律。アイツ、俺がちょっとキツイ事言ったって、全く動じねーぞ」
「……ふふ」
 思わずかなでが笑い出す。ひとしきりくすくすと笑うのを、響也はただ黙って見守っていた。
 やがてその笑いを収め、かなでが響也の顔をまっすぐに見た。
「……ありがと、響也。励ましてくれて」
「お、おう」
 あまりに真正面から感謝されて、どうしていいのか分からずに響也がぶっきらぼうに応じると。
 やっぱり響也は響也だね、とかなでが楽しそうに呟いた。


 かなでが、誰に何を告げて、どうその人物を傷つけたのかを響也は知らない。
 ただ、響也は確かに知っていた。
 かなでが響也を傷つけることができる、二つのナイフを持っているということを。

 例えば、かなでに好きだと言われても。
 逆に、ただの幼馴染みだと拒絶されても。

 どちらにしても、そのかなでの放つ言葉のナイフは。
 響也の心の奥深くに突き刺さるものだろう。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:2014.11.23 加筆修正:2016.6.27】

響也のこのお題は、この企画を再開するにあたって、足りなかったお題を埋めるためにお題メーカーというものを利用して抽出したものです。
お題メーカーやり直せばよかった……と何度か後悔しました(笑)
いろいろどう展開しようか頭を悩ませましたが、書き上げてみれば落ち着くところに落ち着いたなという感じです。
萌え友に褒められた(笑)印象深いお話になりました。

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