音の変化、俺の変化

響也→←かなで

「小日向先輩。響也先輩は、まだいらっしゃっていないんですか?」

 アンサンブルコンクールに向けてのミーティングを兼ねて、今日の昼食はアンサンブルメンバー全員で、オーケストラ部の部室でとる予定になっていた。
 練習ではないこういう理由なら、きちんと時間通りに姿を見せているはずの響也だったが、その姿は見えない。響也以外のメンバーがきちんと揃っている部室を見渡して、悠人はかなでにそう尋ねた。おそらくは、かなでと響也がいつも行動を共にしているからだろう。
「そうみたい。今日の午前中はそれぞれに別のところで練習してたから、私もよく分からなくて……一応、皆揃ったよってメールはしてみたんだけど……」
「ああ、響也なら野暮用だよ」
 かなでの代わりに答えたのは、大地だった。
「大した用じゃないはずだから、すぐに来ると思うよ。先に始めていても問題ないんじゃないかな」
「でも」
 こういう時にないがしろにすると、響也がすぐに拗ねることを知っているので、かなでは大地に反論しようとする。だが、それを遮るように今度は律が口を開いた。
「響也は先程、1年の女子部員に呼び出されて出て行った。彼女は随分深刻そうだったから、おそらく重要な相談事なんだろう。相談の内容次第ではどれくらい時間がかかるか分からないから、俺達は先に昼食を始めていた方が効率がいいと思うが」
「えっ」
「それって……」
 かなでと悠人が同時に驚きの声を上げる。
 あーあ、と大地が小さく溜息を付いて頭を抱えた。
「……せっかく、曖昧にぼかしてやったのに」
「別に問題はないだろう。相談を持ちかけられるほど、響也も後輩に頼られるようになったということだ。実に喜ばしい」
 そうじゃないそうじゃない、と大地と悠人がそろって首を横に振る。
 無意識に視線を足元に向けていたかなでの隣で、悠人がぽつりと「……ここ最近、確かに増えましたけどね」と呟いた。


 かなでにとって響也という存在は、これまでずっと『幼馴染み』以外の何者でもなかった。
 兄というには、律ほどに無条件に全てを預けることは出来ず、かと言って弟と呼ぶほど頼りない存在ではない。空回りすることもあるが、どちらかといえばかなでが助けてもらうことの方が多いだろう。
 そして、友達というには響也との関わりは深すぎて、もちろん親とも恋人とも言えなくて。
 だから、響也はかなでにとって『幼馴染み』だとしか言えなかった。
 だが、その気持ちが少しずつ変わり始めていることにかなで自身が気付いたのは、いったいいつ頃だったろう。
 きっかけはおそらく、響也が初めてかなでに弱音を吐いた、夜の公園。
 かなではあの時、かなでの想像以上に以上に響也がいろんなことに傷ついていることを知った。
 いい加減に、適当に。自分に都合のいいことだけを器用に取捨選択して、気ままに生きているように思えていたのに、本当の響也は自分が出会ったすべてのことに、いちいち心を痛めて、傷ついて……思い通りにはいかない自分自身に苛立っていた。
 彼がそんな自分の弱さと向き合うことを決めたあの日から、響也のヴァイオリンの音色は変わった。
 響也自身が言っていたように、ただ楽譜通りの音をなぞるだけで中身が空だった演奏に、複雑な感情が混ざり込むようになった。
 それは多分、響也が納得できるものとは程遠く、本当は響也が誰にも見せたくないと思っていた自分の奥深くにある繊細なものだったのだろうけど、それでもその生身の音を曝け出し、他人から与えられる言葉を、受け入れられるものもそうではないものも、とりあえず全て呑み込んで己の内でじっくりと向き合っていくことで、彼の音は洗練され、色彩豊かなものへと変わっていった。
 そうして音が変化するうちに、響也自身も変わっていった。
 頭からはねつけるのではなく、根気よく人の話を聞き、咀嚼して呑み込んだ上で取捨選択するようになったことで、響也の言動から幼い苛立ちが消えた。
 元々面倒見がよく人懐っこい性質で、人からは好かれるタイプだし、律によく似た端正な風貌は「口さえ開かなければイケメン」と田舎でもよく評されていた。
 唯一の欠点だと言われていた『子どもっぽさと短気』が和らげば、女の子たちからの告白が増えるのも、道理なのかもしれない。
(……あれ?)
 ちくりと胸が痛んだような気がして、かなでは昼食を食べる手を止めて、片手で胸を押さえる。
(もし、響也にカノジョが出来るなら、ちゃんとお祝いしてあげなくちゃいけないのに)
 響也に近くにいすぎた自覚が、かなでにはある。
 律や響也にはっきりと言ったことはないが、かなでがいつも二人の傍にくっついているために、「邪魔だ」と批判されたことも一度や二度のことじゃない。
 それでも、響也たちから直接「いらない」と言われるまでは、かなでの方から離れていく理由がなくて。もしいつか、響也たちにかなで以上に大切に思う存在が出来て、傍にいられなくなる日が来るまでは、変わらずに一緒にいたい思っていた。
 とうとうその日が来たというのなら、笑って祝福できる。響也や律が幸せならば、かなでも幸せなはずだから。
 ただの幼馴染みという関係ならばそれが当然のはずなのに、いざその日が来たと思うと、何故かかなでの気持ちは曇りがちだ。
(もしかして、私、淋しいのかな)
 それは、そうだと思う。
 物心ついた頃から当たり前に隣に響也がいたのに、彼にかなで以外の大切な人が出来たというのなら、響也はかなでの傍からいなくなってしまうのだから。
 ……だが本当に、ただ淋しいというだけで、胸はこれほどまでにひどく痛むものなんだろうか。

「わり、遅くなった」
 しばらくしてオーケストラ部の部室に戻ってきた響也は、手近な椅子に腰かけ、すでに机の上で広げられていたかなでお手製の重箱弁当の中を覗き込む。
 食事をしていたメンバーは皆がっつくタイプではないので、響也が好きなおかずの類も、きちんと取り分けられて残っていた。それを確認して満足そうに笑い、響也は両手を合わせた。
「あー、腹減った。いただきまーす!」
「響也、あの女子部員の相談事は無事に解決できたのか」
 響也が最初の一口を口元に運びかけたタイミングで、律がそう尋ねる。
 かなで以外のメンバーが一斉に咳き込んだ。
「……んだよ、何で律がそんなこと気にすんだよ」
「戻って来るのが随分遅かったからな。もしお前一人で解決できないような難題だったのなら、俺からの意見を述べてもいいと思った」
 相変わらず状況が呑み込めてないらしい律に、響也が口元に運びかけたおかずを口の中に放り込む。律に何も返すことはなく、ただ黙ったまま、響也は口の中のものを咀嚼する。
 関係がないはずの大地と悠人がはらはらとした様子で黙り込んだ如月兄弟を伺った。
 こくりと呑み込んで、手の甲で口元を拭った響也は、そんな部室内の全員を見渡し、かなでに視線が向いたところで、不自然にそれを反らす。やがて、テーブルの表面を見つめながら、静かな声で呟いた。
「……話は、ちゃんとついた」
 その声は、決して嬉しそうでもないし、はしゃいでもいない。
「解決した」
 何かを察したのか、そう繰り返した響也の肩を席を立った大地が、苦笑しながらなだめるように軽く掌で叩いた。


「響也って、最近モテるんだってね」
 放課後、練習を終え菩提樹寮へ戻る夕暮れの中、かなでは不意にそう切り出した。
 かなでの歩調に合わせ、ゆっくりと隣を歩いていた響也が、前方につんのめる。
「……どっからの情報だよ、それ。支倉か?」
 何とか体勢を立て直した響也が、額の汗をぬぐいながら尋ねる。「ううん、ハルくん」とかなでが首を横に振ると、「あのヤロウ」と響也が毒づいた。
「よく告白されてるって言ってたよ。……ねえ、どうして響也は誰とも付き合わないの?」
「どうしてって……」
 響也にしてみれば、お前がそれを言うかと言いたいところだ。
 もちろん、理由を聞かれても答えられないので、自ら地雷を踏むような真似はしないけれど。
「告白されるの、嬉しくないの?」
「まあ、嬉しくないとまでは言わねえけど……、だからって、好きでもねえ奴と簡単に付き合えねえだろ」
 どんなに相手が絶世の美人であったとしても、自分のことを好いていてくれていても、響也の想いが目の前の人物にある以上、興味本位で付き合うような不誠実ことはできない。響也にとっては別におかしなことではないのだが、かなでは納得がいかないようだった。妙に沈んだ表情で、かなでは自分の足元を見ながら歩く。
 そして、かなでがぴたりと歩く足を止める。数歩先に進んで、かなでを置き去りにしたことに気付いた響也が溜息交じりにかなでを振り返った。
「おい、かなで……」
「もしかしたら、私が響也の傍にいることが、響也の邪魔をしてるのかなって……」
 しょんぼりと肩を落とすかなでに、響也は絶句する。
 まさかかなでがそんなことを考えているとは思わなかった。

 いつも響也を振り回して、律とは違う意味で自由奔放に生きるかなで。
 そして振り回されていると愚痴を言いながらも、そんな彼女と一緒にいることが、響也にとっては間違いなく、幸せなことだった。

「……バカ、変に勘ぐってんなよ。お前がいることで何か俺が迷惑することがあるなら、そん時はちゃんと直接お前に言うよ。俺が迷惑だっつっても全く伝わってない、空気読めねえ律じゃねえんだから」
 くしゃりとかなでの髪を片手でかき混ぜて、響也は言う。くしゃくしゃの髪を手櫛で直しながらもまだ困惑したまま立ち尽くしているかなでに、響也は笑う。
「……俺が、お前に面と向かって『迷惑だ』って言わない限りは、お前はこれまで通りでいいってことだよ」
 帰ろうぜ、と促す響也に。
 かなでは、小さく微笑み、うんと頷く。
 駆け足で響也に追いつき肩を並べながら、心の中でそっと思う。

(ねえ響也。ちょっと前までは、響也、こんなに優しい人じゃなかったよ)

 あの夜を境に始まった、響也の音の変化が。
 響也自身をも、変えていくような気がする。
 響也がどんどん、かなでの知らない大人の男の人になっていく気がする。

 そして、その彼の急な変化に戸惑いながら。
 どこかでそれを心地よく感じている自分自身に。

 かなではふと気づくのだった。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:2014.11.23 加筆修正:2016.6.29】

東雲さなえ様(萌え友!)にいただいた響也創作のところにも書きましたけど、ところどころがさなえさんの創作とどっかぶりで、二人で冷や汗浮かべました。萌えが似ればここまで創作が似るものか!と(笑)
あんまり繰り返すと嘘くさくなるかもですが、ホントに偶然ですよ(笑)
響也はかなでと一緒に成長していく感じが好きなキャラですね。他のキャラもかなでに出逢うことで変わっていくんですけど、音楽的な成長もかなでと歩調を合わせた感じですよね、響也の場合。

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