たくさんたくさん、笑っていようね

大地×かなで

 かなでと待ち合わせていた屋上のドアを開くと、先に来てベンチに腰かけていたかなでがすぐに気が付き、笑って片手を上げる。大地も微笑んで、同じように片手を上げて応じながら、彼女に歩み寄った。
 かなでの隣に腰かけてよくよくその表情を見つめてみると、どこかその笑顔がぎこちないような気がする。
 素直な彼女は、気持ちがそのまま表情に現れる。今日のかなではどうやら落ち込んでいるらしい。
「ひなちゃん、……もしかして、何かあったの?」
「えっ!」
 心底驚いたようにかなでが声を上げる。何で分かるんですかと応じたその言葉が、『何か』があったことを如実に表していることに気が付いたかなでは、一層落ち込んで頭を抱えた。
「何でバレるのかなあ」
 むう、と唸ってかなでが項垂れる。
「ひなちゃんはすぐに顔に出るからね」
 と大地が答えると、かなでが困ったように両手で頬を覆った。
「私って、そんなに分かり易いんですか……?」
「別に心配しなくても、俺は、それが君の美徳だと思ってるよ。……それより」
 本当に、何があったの?と大地が再び尋ねる。
 う、と言葉を詰まらせ、かなではしばらく逡巡した後、俯いたまま小さな声で「岡本先輩に会ってきました」と告げた。
 誰だ? と考え込み、思い当たった瞬間に大地は息を呑む。
 「先輩」と敬称が付いていたので一瞬わからなかったのだが、彼女にとっての『先輩』とは、つまり大地とは同学年だ。
 そして彼女の言う『岡本先輩』は、全国アンサンブルコンクールのファイナル直前に、かなでに交際を申し込もうとして大地に遮られた、大地のクラスメイトしかいなかった。
「コンクールが終わってからもずっと気になってたんです。私が大地先輩のことを好きだってこと、大地先輩とお付き合いすること、岡本先輩にはちゃんと伝えなきゃって……」



 ファイナル終了後の忙しなさや、夏休みの課題などに追われるうちに、つい延ばし延ばしになっていた岡本との対面は、ようやく今日の昼休みに実現した。
 そもそも岡本とは校舎も異なるし、学年も違うため、顔を合わせることも滅多にはない。それでも何とか会う時間を作ろうとかなでは奮闘していたのだが、岡本も何かしら理由を付けてのらりくらりとかなでと話すのを避けている様子だったので、おそらくはかなでの話の内容に見当が付いていたのだろう。
 今日は衆人環視のエントランスで屋上で会う約束を取り付けたが、「とうとう捕まっちゃったかあ」と苦笑いだった。
「ごめんなさい」
 岡本が屋上に現れた瞬間、かなではそう言って頭を下げた。
 大地から告白され、付き合うことを決めたファイナルの夜から、時間はもう随分経っていた。大地もかなでも、自分たちの交際を隠す気はなかったから、岡本の耳にもおそらくその情報は届いているはずだった。岡本自身はかなでに何も言ってこなかったし、大地と岡本の間では何かしら折り合いがついているのかもしれないが、かなで自身がきちんと岡本に答えを伝えなければ、かなでの中にわだかまりが残るだけだ。
 かなでにとって岡本にはっきりとした返事を告げていないことは、気がかり以外の何物でもなかったのだ。
「小日向さん、顔上げて!」
 慌てた様子の岡本の声が頭上で響く。
 おそるおそる顔を上げると、岡本が困ったように笑っていた。
「全然、謝る必要なんてないからさ。……正直、俺あの時の榊の態度でピンと来てたんだよね。『ああ、榊も君の事好きなんだなあ』って。そんで、君の態度見てたら俺に興味ないんだろうなって分かるじゃない?……だから、改めて言われなくても、多分答えはNOなんだろうなって、勝手に思ってた」
 練習中に岡本から何度か声をかけてもらっていたらしいが、そんなふうに応援してくれる人は他にもたくさんいたから、岡本に告白された時、かなでは彼のことをはっきりとは覚えていなかった。改めてそう言われたら、確かに顔に見覚えがあるかという程度の認識で。
 興味がないのだろうと指摘されてしまえば、それは多分、間違ってはいない。
「……ごめんなさい」
「あの、ホントにそれやめて? 君に謝られちゃうと、俺の方が一層みじめだからさ。答え分かってんのに、それでも面と向かって言われるのは最後通牒になるからって、君から逃げ回ってた負い目もあるし……」
 岡本にしても元々は軽い気持ちだった。
 可愛くて、真っ直ぐで元気が良くて。性格も素直そうだったから、強気で押してみればOKしてくれるんじゃないかと、そんなふうに考えていた。
 その存在に圧倒されたのは、軽い気持ちで見に行ったアンサンブルコンクールファイナルのステージだった。
 あの天音学園を相手に、堂々と1stヴァイオリンを務め上げた小日向かなでという少女が、岡本の手には負えない女性であるということを、あの時心のどこかで悟っていた。……諦めていた。
 もちろん好きだと思った気持ちに嘘はないから、想いが届かなかったこの現状が、辛くないとは言えないけれど。
「そんな感じで振られるってのはちゃんと分かってたからさ。……俺は、君が榊とこれ以上ないくらいに幸せになってくれれば、それでいいよ」
 こう言える俺、ちょっとかっこよくない?
 そんなふうに茶化して、失恋の痛手を誤魔化す程度には、岡本にもプライドというものがある。
「……じゃあ『ごめんなさい』じゃなくて、『ありがとうございました』」
 丁寧に頭を下げて。
 少しだけ涙の滲む目で真っ直ぐに岡本を見つめ、かなでは笑う。
「岡本先輩に好きだと言ってもらえて、嬉しかったです。その気持ちに嘘はないです。本当に、ありがとうございました」
 ……そんなふうに言える、本当にいい子だと分かっているから。
 たとえ軽い気持ちだったとしても。
 もう、諦めるべき想いだと分かっていても。
 やはり少しだけ岡本の心は痛んだ。



「……ごめん、ひなちゃん」
 あの時、その場でかなでに結論を出させなかったのは大地側の都合だ。
 答えがどうであれ、先延ばしにするのではなく、かなで自身に全てを委ねていれば、かなでは傷つかずに済んだはずだ。
 ……あの時の彼女が、既に自分と同じように自分のことを想っていてくれたというのなら、尚更。
「俺がただ君を誰にも奪われたくなかっただけなのに、もっともらしいことを言って、結局放置して……君に全ての後始末を押し付けてしまったね」
「でも、告白されるのなんて生まれて初めてで、どう断っていいかよく分からなかったし。そのまま押し切られちゃって後から困ったことになっちゃってたかもしれないので、本当に助かりました」
 屈託なく笑い、かなでが言う。
 大地を責めないかなでの性根が嬉しくて、大地がそっと彼女の頭上に掌を乗せ、よしよしと撫でた。
 まるで子犬が撫でられるように、気持ちよさげに目を閉じたかなでは、大地が撫でる手の下からふと大きな目で大地を見上げ、静かに告げる。
「……でも、岡本先輩を傷つけちゃったのは、間違いないから。大地先輩、私たち、これからたくさんたくさん、一緒に笑っていましょうね」
 岡本はかなでに、大地と幸せになって欲しいと言ってくれた。
 だが、かなでと大地が恋人同士になったことを快く思わない人たちはたくさんいるはずだ。大地が女生徒たちに人気があることは、転校してからほんの数か月しか経っていないけど、いろんな局面で思い知らされたし。
 それでも、大地とかなでが一緒にいることで、二人が幸せであるのなら。
 辛い思いや哀しい思いを乗り越えて、自分たちに向けられる他人からの感情を切り捨てて、それでも二人でいることこそが幸福だと自信を持って言えるのなら。
 お互いを傷つけあう恋人同士でいるよりは、きっと自分たちを諦めてくれた人たちに対して報いることが出来るような気がする。
「……ひなちゃんらしいね」
 前向きで、プラス思考で。
 ……そしてそれは、多分世の中の真実だ。

 今更そんなことは考えたくないけれど、万が一かなでが大地よりも岡本を選んでいたとしたら。
 岡本ではなくても、大地ではない別の誰かを選んでいたとしたら。
 そして、その後のかなでから、あの周りを明るくするような彼女らしい笑顔が消えてしまっていたら。
 大地はきっと、かなでを諦められなくなる。
 だが反対に、幸せそうに、たくさん、たくさん笑っていてくれたなら。
 たとえ隣にいるのが自分ではなかったとしても、いつしかかなでの幸福を心から祈れるようになるだろう。

「ひなちゃんがずっと笑っていられるように、俺がちゃんと君のことを幸せにしなくちゃいけないね」
 そう言って、大地が彼女の細い体をそっと抱き寄せてみると。
 安堵したように、ほんのりと温もりを宿した心地良い重さが、大地の腕の中に預けられた。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:2014.11.24 加筆修正:2018.8.18】

コルダ3の大地ルートを思い出すたびに、「あの後岡本君はどうなったのかな……」というどうでもいい心配をしてしまいます(笑)そういうところそつがなさそうだから、大地が上手いことやってるんだろうとは思いますけどね。
好きな相手が幸せなら、きっと思い切れるはず!あまり露骨にいちゃいちゃ(死語)されると、反対にムカつくかもしれませんが(笑)

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