メモを取った品名と注文人数とに齟齬がないことを確認し、かなでは一人満足して頷く。
じゃあ買い出し行ってきまーすと元気に部室内に宣告して、ドアを開けて一歩踏み出したところで、チェロを抱えた悠人と行き会った。
「小日向先輩、どこかへ行かれるんですか? もうアンサンブルの練習が始まる頃でしょう?」
これからコンクール参加メンバーは、アンサンブル練習のために部室に集合することになっていたはずだ。予定の時間まであと5分足らずだというのに、何故か部室から出てきたかなでに、訝しげに悠人が尋ねた。
「あ、うん。実はアイスの買い出しに行くの。この暑さで響也が冷たいもの食べないと練習やる気がしないって言い出して、それを聞いた他の子たちからもアイス食べたいってリクエストが出てきたから」
大地と律が苦笑いで眺める中、部室に散らばっていたあちらこちらから我も我もと手が上がり、壮絶なるじゃんけん大会の末に、見事にかなでが買い出し係をゲットしてしまった。……かなでにとっては不名誉なことでしかないが。
「もしハルくんも何か食べたいものあるなら、一緒に買ってくるから言って? あ、練習はすぐ戻るから、私抜きで先に始めててね」
にっこりと笑ったかなでに、悠人は小さく溜息を付く。
部室のドアを開けて、ドア近くにいた部員に一声かけ、内側の壁際に安定するようにきちんとチェロを立て掛けると、そのまま外に出て後ろ手にドアを閉めた。
「ハルくん?」
悠人の行動に小さく首を傾げたかなでに、悠人は言った。
「僕も買い出しにお付き合いします」
「え?」
かなでが大きな目をぱちくりとさせる。そんな彼女から視線を外し、頬にかかるさらりとした髪を指先でかき上げながら、悠人は続けた。
「1stヴァイオリンの先輩がいないんじゃ、個人練習とそれほど変わらないでしょう? メモを見る限り、買わなければならない商品の種類も多そうですし、近場で安くて種類が豊富なスーパーに御案内します。さっさと買い出しを済ませて練習に取り掛かる方が建設的です」
厳しく聞こえる悠人の言葉の中に、彼なりの気遣いを正確に感じ取って。
かなでは「ありがとう、ハルくん」と屈託なく笑って、礼を言った。
彼女が年上だと、あまり意識したことはない。
むしろ素直で無邪気すぎて、危なっかしくて……見ているだけでハラハラさせられて、放ってはおけない。
悠人にとって、小日向かなでとはそういう存在だ。
別に放っておいても、特に問題ないのだと頭では分かってはいても、どうしても彼女のことが気にかかる。かなでの天真爛漫さは悠人にとって、決して不快なものではないからだ。
昔からオブラートに包まない率直な物言いと自分の中の正論を曲げられない頑固さで、人を不愉快にさせることが多かった。悠人自身は正しいことを述べただけのつもりでも、それが他人の心を抉ることはある。
悠人も決して他人を傷つけたいと思っているわけではないのに、幼い頃からその調整があまり上手くはなかった。
かなでに出逢った頃も、悠人は事あるごとについ彼女に辛辣な言葉をぶつけてしまっていた。普段なら相手が怒ったり、泣いたりするところだ。
言い過ぎたという自制は、いつも少し遅れてやって来る。言ってしまったことが正しいという自信はあるが、別にここまで言わなくてもよかったのだと後悔する。その度にかなではいつも笑って悠人の言葉を受け入れた。
(ハルくんから見て、納得いかないところはこれからもたくさんあると思うけど。ちゃんと認めてもらえるように頑張るからね)
悠人の言葉を丁寧に拾って受け止めて、そして前向きに捉える。そんな女性に出逢うのは生まれて初めてで……そしていつしか悠人にとって、小日向かなではひどく気にかかる存在になった。
子どものお使いじゃないのだ。仮にも、悠人よりも年上の先輩なのだから、かなでが買い出しくらい一人で出来ることはちゃんと分かっている。
それでも、どうしても放ってはおけない。
自分とあまり変わらない位置にあるかなでの横顔を盗み見て、悠人は小さく溜息を付いた。
「ソーダは響也で、部長と大地先輩はカップのバニラ……他のも全種類見つかったし、これで全部だね。……ハルくんはどれにする?」
「そうですね……」
色とりどりのアイスが並んだスーパーのショーケースを覗き込み、かなでがメモを確認しながら部員たちの注文の品を揃えていく。個性あふれる部員たちらしく、選んだものは人それぞれでバラバラだったが、悠人が種類が豊富だと言っていた通り、案内してくれた大型のスーパーはその我儘な部員たちの要求に応えられるだけの充分な品ぞろえだった。
悠人が自分のアイスを選んでいる間、多数の商品を両腕に抱え込んでいたかなではふと周囲に視線を巡らせる。所詮アイスだからと甘く見ていたら、量も量なので意外にかさばる。入店した時にきちんと買い物カゴを持ってくればよかった。
大型のスーパーは、要所要所の目立たない所に買い物かごが設置してあるはずだった。アイスのショーケースの端に予想通りのものを見つけ、かなでがそれを取りに行こうと歩き出した瞬間、背後から悠人の手がかなでの二の腕を掴んだ。
「小日向先輩、何処へ行くんですか?」
腕を後方に引っ張られた勢いで、抱えていたアイスの幾つかがショーケースの中にころころと転がり落ちる。驚きに目を丸くしたかなでが悠人を振り返り、カゴが積み重ねられた一角を指先で示した。
「あの、結構アイスの量が多かったから、カゴを持ってこようと思って……」
「……ああ」
かなでの示した場所に視線をやり、悠人が我に返ったようにかなでの腕から手を放す。俯いて視線を反らした悠人の頬に、さらさらと色素の薄い髪が落ちて、その表情はかなでからよく見えなくなってしまった。
「すみません。急に視界からあなたが消えてしまったので、つい……」
「う、ううん。私が一声かければよかったんだよね。……あの、カゴ取って来るね!」
言い置いて、かなでは慌てて腕の中から零れ落ちたアイスを拾い集め、今度こそ駆け足でカゴに向かっていく。オレンジ色の買い物かごの中に抱えていた商品を放り込み、そのかごを手に取り、ほうっと息をついた。
(……ちょっと、びっくりした)
悠人に引き止められたこと自体は、あまり不思議には思わなかった。昔からあまり深く考える事なく行動するかなでは、目に止まるものに誘われてふらふらと迷子になってしまうことが多く、そんな時にいつも響也や律に見咎められて、引き止められていたからだ。
だから、驚いたのは引き止められたことではなく。
(ハルくんって、すごく力強いんだな)
かなでの腕を掴んだ、その悠人の力の強さに少なからずかなでは驚いていた。
見た目には線が細く、どちらかと言えば可愛らしい風貌の悠人が初めて見せた、意外な男の子らしさだ。
(でも、ハルくんは最初から男らしい人だけど)
一本気なところも、考えに芯が通ったところも。
改めて思い返してみれば、ちゃんと男の子だったんだよなあと、のんびりかなでは思った。
太陽が照りつけるアスファルトの上を足早に歩き、アイスが溶けてしまわないようにかなでと悠人は急いで学院へ戻る。
木陰になる位置をかなでが歩けるよう、悠人が歩く位置を選んでいてくれることに、かなではふと気付く。片手に握ったスーパーの袋の中身も、あからさまに悠人の方が多い。
ありがとうと感謝を述べても、多分悠人からは「当然のことですから」と素っ気ない言葉が返ってくるだろうから、かなでは何も言わなかった。
ただどこか心が暖かくなる心持ちで、悠人の隣を軽やかな足取りで歩く。
ふと視線を横に向けると、露骨に見下ろさなくてもいい位置に、かなでの横顔がある。
(……本当に、僕は何をやっているんだろう)
スーパーの店内で、一瞬の出来事だ。
ほんの少し自分の視界から、いるはずのかなでの姿が消えたからって、彼女が他の何処に行きようがないことは、ちゃんと分かっているのに。
(それでも、あなたの姿が僕の視界から消えてしまうことが、こんなにも不安で仕方がない)
そんなふうに考えてしまう、この気持ちは何だろう。
いったい、どこから生まれてくるのだろう。
陽炎の揺れる、真夏のアスファルト。
まだ先の見えない、ただお互いを少しだけ意識し合うこの想い。
肩を並べ、歩調を合わせ。
さあ、いったい何処へ行く?
あとがきという名の言い訳 【執筆日:2014.11.29 加筆修正:2018.8.18】
のほほんかなでと心配性悠人(笑)
むしろ、初めてのお使いを見守るお母んの心情な気がしなくもないですが(笑)
ハルはコルダ3キャラの中では一番オトコマエだと思います。卑怯になりきれないのが性格でもあるし、年相応の幼さなのかなとも思いますが。開き直れば最強な子という点では志水に近いものがある気がする(笑)


