強引なのってどうなの?

新→かなで

「今日はー、折り入ってー、部長に聞きたいことがあるんですよー」

 菩提樹寮の男子棟の狭い一室。
 ところどころ毛羽立った年季の入ったラグマットの上に、長い脚を折り畳むようにして水嶋新は珍しく正座をしていた。ぐっと握った拳を両膝の上に乗せて、学習用机に備え付けられている椅子に行儀よく腰掛けた至誠館高等学校吹奏楽部部長・八木沢雪広の顔を新が見つめると、幾分困り気味の表情で八木沢は自分にあてがわれた狭い一室をぐるりと見渡した。
 折り入って自分に話があると言いながら、新はここを訪れる前に現在菩提樹寮に滞在している吹奏楽部部員全員に声をかけて来たようだ。ベッドの上には副部長の狩野が腰かけ、ドアの側にはどこか居心地悪げに2年の火積、伊織の両名が佇んでいる。
 そして部屋の中心には、正座した唯一の1年生・水嶋新。
 ……いったいこれから自分の部屋で、何が始まるというのだろう……。

「水嶋。その……相談事は別に構わないんだけれど、部員全員に招集をかけてまで、いったい何を聞きたいんだい? 吹奏楽部の今後の事で何か言いたいことがあるなら、むしろきちんとミーティングの時間を設けて……」
「いえいえ、そんなに深刻な話じゃなくてですねー。最初は部長だけに聞こうかなーって思ってたんですけど、どうせならいっぱい意見を聞いた方が参考になるかなーなんて思いまして」
 新がぴしっと指先まで伸ばして広げた片方の掌を掲げて、八木沢の言葉を遮る。増々困惑した八木沢は、目線だけで狩野や、他二名に新の真意を問い質すが、当然のことながら、新以外はこの緊急会議の理由を知る由もなく、八木沢と同等の立場である部員たちはこぞって不思議そうに首を傾げた。
 ……どうやら新本人が話し出さない限り、事態は硬直したままらしい。小さく息をついて、八木沢は新が本題を話し始めるのを待つことにした。
 部員全員の視線を一身に受けながら、新はもぞもぞと脚を動かし始めた。「あーダメだ、正座続かないー」と愚痴りながら姿勢を崩し、持て余し気味の長い脚を胡坐の姿勢に組み替えながら、随分と真剣な口調で、新は八木沢にこう尋ねた。

「部長……俺ってやっぱり、ちょっとゴーインすぎるんでしょーか?」
 そもそも一般的には、強引な男の評価ってどうなんスかねー。
 これっぽっちも悩んでいなさそうな呑気な口ぶりで、新はそう言った。

「何ッっっだ、そりゃ!」
 真っ先に我に返ったのはフットワークの軽い狩野だ。普段全く悩みのなさそうな後輩からどんな深刻な相談事をされるのかと気を張っていた反動が、その一言に現れていた。
「わざわざ全員招集するから、いったいどんな重要事相談してくんのかと思えば! お前が強引かどうかってのがいったい俺ら吹奏楽部に何の関係があんだよ!」
「俺、吹奏楽部に関する相談だなんて一言も言ってませんよー。個人的なことですけど、いっぱい意見を聞いた方がいいかなーって思っただけだって、最初にちゃんと言ったじゃないですかー」
「水嶋……てめえ……」
 能天気な新の口調に、いったいどんな吹奏楽部の一大事かと思っていた火積が色めき立つ。慌てて八木沢が両手を挙げて、それを制した。
「まあまあ、狩野も火積も落ち着いて。……まだ話がよく分からないだろう? 水嶋、最初から順を追って、きちんと説明してくれないか?」
 八木沢に穏やかな笑顔で促され、新は素直にはい、と頷いた。


 新は毎朝、同じ時間に菩提樹寮の男女共同スペースに顔を出す。そうすると、いつもキッチンでその日の昼食用の弁当を作っている、小日向かなでに逢えるからだ。
 今日もそうしてリビングに行ってみると、キッチンから聞こえてくるはずの手際のいい料理の音が聞こえない。不思議に思って、リビングを横切ってキッチンの中を覗くと、そこにかなでの姿はなかった。
 珍しく寝坊かな?と首を傾げていると、背後からぽつりと声がかけられた。
「小日向は病欠だぞ。水嶋新」
「Nossa! ……ニアちゃんかあ、びっくりした」
 驚いて反射的に声を上げ振り返ると、女子棟へと続く扉の前に、新聞を片手に持った支倉仁亜が立っていた。全く気配を感じなかったので、キッチンの方にしか意識がなかった新は、仁亜がいることに気が付かなかったのだ。
 そういえば、前にかなでちゃんがニアちゃんのこと、猫みたいだって言ってたっけ。なるほど~。
 そんなことを考えていたから、仁亜が告げた一言を理解するのに少々時間を要した。
「え、病欠? かなでちゃん、病気ってこと?」
 昨日の夕方、一緒にガイドブックで見つけた美味しいパンケーキのお店に行ったばかりだった。その時のかなでは元気にしていた……はずだった。
(でも……どうだったっけ?)
 かなでは、新といる時にはあまり口数が多くない。元々そんなに賑やかな方ではないのかもしれないが、新と二人の時は新の方がたくさん喋ってしまうので、かなではいつも自然と聞き役に回る。にこにこと笑いながら、静かに新の話を聞いて、相槌を打ってくれる。
 昨日のかなでも、変わらずそんなふうだった。新が話す一日の出来事を、ゆっくりゆっくりパンケーキを口に運びながら、笑顔で聞いていた。
 具合が悪そうな素振りは少しも見せなかったが、そういえば新がカフェに誘った時、かなでは最初、躊躇していた。
(パンケーキのお店?……そうだね、でも私、ちょっと……)
(ええ!? 都合悪い? 俺、横浜のガイドブックで見た時から絶対行きたいって思ってたんだよ。かなでちゃんも一緒なら倍楽しいって思ってて……どうしても、ダメ?)
(あ、ううん。駄目ってわけじゃないの。……うん、いいよ。パンケーキ、私も興味あるし。二人で食べに行こう)
 そう言って笑ってくれたけれど、そういえば甘いものは大好きなはずのかなでの手元が、昨日はあまりスムーズに動いていなかった。ちょっと量が多いかもと呟きながら、懸命にフォークを口元に運んでいたが、なかなか量を減らすことが出来ず、最終的には新がパンケーキの三分の一ほど、食べるのを手伝った。
 珍しいね、かなでちゃんが甘いもの残すって。
 うん、ちょっとお昼のお弁当、食べ過ぎちゃったのかな。
 困ったように笑いながら言ったかなでの言葉を、新はこれっぽっちも疑っていなかった。

「まあ、軽い暑気当たりのようだから大事はないだろうが。小日向本人は今日も練習に行くと言って聞かなかったが、ファイナルまで間がない今、無理をして倒れられても困る。そこで、私が無理矢理ベッドの中に押し込んできたというわけだ。……星奏オケ部の連中に恨まれたくなければ、今日一日は彼女の周りをうろつかず、静かに休ませてやるんだな」
 強引なのもほどほどにな。
 不敵な笑みと共に言い置いて、仁亜は足音も立てずに女子棟の扉の向こうにするりと消えた。


「そ……れは」
 八木沢はその後を続けられず、絶句する。
 新の話を要約すると、全国大会ファイナルを控えた身で、あまり体調の良くなかったかなでを無理矢理遊びに連れ出して、増々体調を悪化させた、ということになる。
 もちろん故意ではないことは分かる。新がかなでたち星奏学院のことを心から応援していることは八木沢も知っているし、かなで自身がその場で体調不良を言い出さなかったのだから、全て新が悪いとも言いきれない。だが……
「俺は……別にかなでちゃんに、ムリさせたかったんじゃなくて」
 先ほどまでの脳天気な態度が嘘のように、新は長身の身体を小さく縮め、俯いて毛羽立つラグマットの一点をじいっと凝視する。
「ファイナルのこと、忘れてたんでもなくて。ただ、かなでちゃんが、ちょっとでも楽しいって思ってくれたらいいなって……」
 自分が楽しいと思うことが、他の全ての人に同等に楽しいと思えるものではないかもしれないという真実を、新は理解できない。
 だが、誰かを喜ばせたり、楽しませたりするためには、自分自身が心から楽しんでいないといけないということは知っていた。
 それは、八木沢率いる至誠館高校吹奏楽部の基本理念だ。
「……新くん」
 項垂れた新の背中に、そっと優しい掌が触れる。視線を上げると、柔らかく微笑んだ伊織が、新の顔を覗き込んでいた。
「新くんが、本当に悪かったって思うんなら、小日向さんに、ちゃんと謝ればいいと思うよ」
「……伊織センパイ」
「うん、そうだね、伊織。……いいかい、水嶋。強引なことがいいか悪いかは一概に決められるものじゃない。こんなふうに悪い結果をもたらすことがある半面、少し強引に行った方が上手くいくことだってこの世にはたくさんあるんだからね」
 新の周囲の反応を顧みない天真爛漫さに救われたことだって、過去を振り返れば無数にある。様々な困難を抱えている至誠館高等学校吹奏楽部を、この後輩の理屈のない前向きさが支えたことは、一度や二度のことではない。
「でも、小日向さんの体調を悪化させて、今が大事な時期である星奏オケ部に迷惑をかけたことは事実なんだ。そのことは、きちんと謝罪しないとね」
 できるかい?と尋ねられ、水嶋は「ハイ!もちろん」と大きく頷いた。
 一件落着の雰囲気が漂う中、不機嫌な表情で入り口の壁際に腕組みをして立っていた火積が、つかつかと新に歩み寄り、前置きもなく、容赦せずに握った拳をその頭上に振り下ろした。
「ai! ……もー、何なんですかぁ、火積センパーイ! せっかくイイカンジにまとまってたのにー」
「他にお前を叱るヤツがいねえだろうが! 謝罪すんのは当然だが、それ以前にお前はちったあ真面目に反省しろ!」
 火積の叱責に新は殴られた頭頂部をさすりながら、「わかってますよーっだ!」と唇を尖らせた。



「ニアちゃん。かなでちゃんのお見舞いって、ムリかなあ?」
 一人夕食を終えてリビングのソファにくつろぎつつ、定番の棒付きアイス・ソーダ味を齧っていた支倉は、ちらりと視線だけを背の高い新の顔へと向けた。
「……単身、女子棟へ乗り込む気か? 小日向が体調を崩した原因の一端はお前でもあるだろうに」
「それは分かってる。……分かってるからこそ、ちゃんと謝りたいっていうか……」
 しょんぼりと肩を落とす新に、支倉が軽く息を付く。
 自分の欲求に正直なのは相変わらずだが、幾分トーンダウンしているところを見ると、多少の反省は出来たということだろうか。
「中庭に出て少し待っていろ。きちんと反省が出来ているなら、その褒美に小日向を呼んできてやろう」
「え、でも。かなでちゃん、具合大丈夫なの?」
「朝も言った通り、ファイナル前の大事な身体だから、一応用心をさせただけだ。症状は軽いし、多少起きて話をするくらいは問題ない」
 弱った子羊の小屋に健康なオオカミを放り込む方が、余程危険だからな。
 楽しそうに笑い、支倉は食べかけの棒付きアイスをひらりと振った。


「新くん?」
 新が暗くなった中庭に佇んで、ぼんやりと夜空を眺めていると、室内の明かりが漏れるガラス戸をからからと音を立てて開け、かなでが中庭に降りてくる。漏れた明かりに照らされた柔らかな曲線を描く頬はほんのりと健康そうな桜色をしていて、かなではいつも通りのかなでだった。
「かなでちゃん」
 ほっとして名前を呼ぶと、素足にサンダルをひっかけて、かなでが新の元へ駆け寄ってきた。
「……ごめん!」
 かなでが新の元へ辿り着くより先に、長身の細い体をくの字に畳んで新が頭を下げる。
 かなでの華奢な爪先が、新の視界にほんの少しだけ入り込んで止まった。
「俺、かなでちゃんが具合悪いの全然気が付かなくて。強引に俺の好きなところに連れてっちゃったりして、ホントに反省してる。ごめんね」
「新くん……あの、大丈夫だから、顔上げて?」
 かなでがおろおろと狼狽えている気配が伝わる。視線だけ上目遣いに彼女に向けてみると、心配そうに新を見おろすかなでの視線とぶつかった。
「私の方こそ、心配かけちゃってごめんね。ホントは今日もちゃんと練習するつもりだったんだけど、ニアに休んだ方がいいって押し切られちゃって。そもそも昨日、私がちゃんと食欲ないんだって言えたらよかったんだけど……楽しそうな新くん見てたら、もしかしたら案外大丈夫なんじゃないかなって思っちゃって」
 連日の炎天下での練習がたたって、食欲が減退していることは気付いていた。それでも体力が落ちないようにと、三度の食事は無理矢理に口の中に押し込んでいたけれど、さすがに間食までは出来る気がしなかった。
 それでもあの時、新が満面の笑顔で「パンケーキ食べに行こう」と誘いにきてくれたから、何となく勢いで、美味しく甘いものを食べれるような気がしたのだ。
「自分でホントに駄目だと思ってたらちゃんと言ったよ。でも新くんと一緒なら絶対楽しいし、その楽しい勢いで大丈夫かなって思っちゃったの。……実際行ってみたら、やっぱりちょっとお腹苦しくて、完食は無理だったけど」
 でも、パンケーキ美味しかったね、とかなでが笑う。
 嘘も誤魔化しもない、満面の笑顔で。
 ……その屈託のない笑顔が可愛くて。たまらなくて。
 新は思わず腕を伸ばし、かなでをぎゅっと抱きしめた。
「新くん、苦し……」
 腕の中にすっぽりと収まってしまう、小さくて華奢な身体。こんなに儚くて、今にも壊れてしまいそうな存在なのに。
 かなではその笑顔一つで、新をこれ以上なく幸せにする。
「……かなでちゃんって、やっぱりサイコー」
 柔らかなかなでの髪に頬を埋め、新は心の底から安堵して笑った。

 自分の感情に任せて、突っ走ってしまうのはやっぱり考えものなんだろうと、一応の反省はする。
 だけど、尊敬する八木沢が言ってくれたとおり、強引さの善し悪しは、時と場合による。

 先ほどまで、落ち込むためだけの材料だった、不甲斐ない自分自身の強引さは。
 今は、かなでの極上の笑顔と、腕の中の温もりを実感するための大事な幸福の一因になっていた。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:2014.11.2 加筆修正:2018.8.12】

至誠館高校吹奏楽部緊急会議が楽しくて仕方なかったです!(笑)
最初は八木沢だけにこっそり相談する話だったんですが、あ、突っ込む奴いない!と火積を追加してみたら、八木沢と火積だけってことなくね?と結局残り二人も参加(笑)
この話が初書きの新でしたけど、自分では書けないかなと思ってた割に、何だかさくさく書けてしまった気がします。
新が無駄に語尾を伸ばすのは、多分中の人の影響です(笑)

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