「あの……土岐さんが神戸に戻って、もし私のこともういらないなって思ったら、その時は遠慮しないではっきり教えてくださいね」
「……何やの、それ」
深く思考する間をおかずに、反射的に唇から滑り出た言葉は、我ながら含んだ険を全く隠せていない、普段聞くことのない尖った声音で形成されていた。
確かに、かなでの目に映るこれまでの自分は、決して誠実とは言えないものだっただろう。そもそも真面目に取り繕ったつもりはなかったし、享楽的だと言われる自分の性質もそれなりに理解しているつもりだ。
それに、人の想いというものは簡単に移ろうものだ。永久不変である保証はどこにもない。そういう意味では、いつか心変わりする可能性を秘めているのは、土岐もかなでも同じはずだ。
それでも昨日ようやく手に入れたばかりの愛おしい存在を、自ら放棄するような真似をする気は土岐にはない。そんなに簡単に手放せるような軽い存在なら、おそらく土岐は彼女に想いを告げることすらなかった。
「小日向ちゃん、俺が神戸に戻ったらあっさり浮気するようないい加減な男やと思うとるん? ……まあ確かに俺は、お世辞にも誠実とは言えへん男かもしれんけど」
「えっ!?」
溜息交じりに告げた土岐の言葉に、かなでは本気で驚いたように目を丸くして大声を上げる。
思いがけない反応に、土岐はおや?と首を傾げた。
「……あ、えっと。……そっか、そういう意味にも取れちゃうんですね……」
素直さはかなでの美徳であり、何か計算をしながらあれこれ出来る器用さが彼女にはないことは、短いとはいえそれなりに濃くやり取りをしていた土岐にも分かる。ならば先程の言動も土岐が受け取った意味とは異なる、かなでなりの理由があるということなのだろうか。
「『そういう意味』じゃないなら、どういう意味なん?」
眉根を寄せて訝しげに尋ねる土岐に、かなでは慌てたように胸の付近で両手をぱたぱたと動かした。
「あの、土岐さんの気持ちを疑ってるとか、信用してないとかじゃなくて……何て言うのか、あの、私、綺麗とか美人とかじゃないし……子どもっぽくて、土岐さんが今まで見てきた女の人たちと比べて、絶対女性的な魅力が足りないって言うか」
言葉を重ねるうちに、自分で自分を顧みて落ち込んだのか、かなでの視線がどんどん足元へと下がっていく。
「……土岐さんが信じられないわけじゃないんです。でも、離れ離れになるのは不安で……。神南のライブとか観に来てるファンの人たちって、すごく素敵な女の人たちばかりだから、神戸に帰ってそういう人たちばかり見てたら、私がすごく平凡な子だってこと、土岐さんが気付いちゃうんじゃないかって」
土岐がかなでの目の届かないところでかなでを裏切るとか、そういうことを考えたわけじゃない。ただ、かなでは自分に自信が持てなかっただけだ。
土岐は優しい。かなでをきちんと女の子扱いしてくれて、かなでが今まで感じたことのなかった甘やかな気持ちを教えてくれた。
かなでは彼のことをとても好きだし、彼に好きだと言ってもらえて、恋人にしてもらえて、とても幸せだ。だからこそ不安になるのだ。
土岐にとって、かなでみたいな平凡な存在はただ物珍しいだけで、神戸に帰って魅力的な女性たちを目にしていれば、彼がかなでを好きだと思う気持ちは、幻のように消えてしまうのではないかと。
そしてそれは決して土岐のせいではなく、全てはかなでに土岐を繋ぎ止めるほど女性としての魅力が足りないせいだ。だから土岐が神戸に戻り、かなでへの想いが間違いだったと気付く日が来るのなら、その時は土岐に迷惑をかけないよう、かなでは彼の世界から静かにフェードアウトすればいいと考えたのだ。
(もう、私のことなんていらないって土岐さんが思うのなら、その時は遠慮せずにはっきりと教えて欲しい)
(そうしたら、私は笑って『分かりました』って答えて、土岐さんが気に病まなくてすむように、静かに土岐さんの想い出から消えてしまうから)
「……アホ言いなや」
きつい物言いの割に、どこか呆れたような、安堵したような複雑な笑みを浮かべ、土岐はそっと片手を挙げてかなでの頬に触れた。
柔らかな曲線を描く頬に触れた掌は冷たかったが、かなでの暖かさに触れてすぐに同じ温度に馴染んでしまう。
端正な土岐の顔を無理矢理に仰ぎ見る形になって、かなでは小さく瞬いた。
「驚かんといてな、小日向ちゃん。……こう見えても俺な、自分から女の子に告白したの、あんたが初めてなんよ」
「……え?」
ゆっくりと、驚きで丸く見開かれる瞳が真っ直ぐに土岐を見つめ返す。
滑らかな頬の曲線を、土岐の弦に鍛えられた硬い指先がそっと撫でる。
「あんたと出逢うまで、俺はどうしても縋っても手放したくないって自分が思える存在がこの世にあるなんて、これっぽっちも信じられへんかった」
両親のように、お互いの魂を捧げ合うような、そんな激しい恋に憧れていた。
確かにこれまでにも、誰かを愛おしく想うことはあった。恋愛経験はそれなりにあるし、そうして付き合っている間は、土岐なりに相手を思いやっていたつもりだった。
だがそれは、いつも受け身の想いだった。
相手が想ってくれるからその想いに応えようとしていただけで、相手の気持ちが離れれば、簡単に諦められる恋だった。それは幼い頃から無意識のうちに自分を守るために土岐が身に着けていた諦観の境地で、誰と恋をしていても、どこかに冷静に物事を見つめる自分自身がいた。
我を忘れて、必死に手を伸ばして……格好悪いと分かっていても、縋り付いて離したくない存在なんて、この世に存在すると思わなかったのだ。
……そう、かなでに出逢うまで。
「俺には本気の恋なんて出来へんってずっと思うとった。でも、違ったんやね。……多分俺は小日向ちゃんに出逢うまで、ずっと回り道してただけや」
両親と同じように、激しく誰かを求める一途な想いは土岐の中にちゃんと在った。
そしてそれは、心の底から愛おしいと思う存在が現れるまで、ずっと静かに土岐の中に眠り続けていたのだ。
「なあ、小日向ちゃん。……これはこれで、結構一途な恋やと俺は思うとるんやけど」
これまで、どれだけ寄り道をしながらも、決して奪われることのなかった心の芯を捕らえる存在に、土岐はようやく巡り逢えた。
「やから、あんたもええ加減俺のもんになる覚悟を決めてえな。……そんな余計な心配せんでも、一度俺を受け入れてくれたからには、あんたが嫌や言うたかて俺からは絶対あんたを離さへんよ」
その言葉を体現するかのように、土岐はかなでの小さな身体をその両腕で引き寄せ、胸の中に閉じ込める。
強いその両腕の束縛の中で、緊張のためか、張っていたかなでの身体は、やがてふわりと力を抜いて、土岐の胸に預けられた。
そして、土岐の一途な想いを受け入れるかのように。
土岐の広い背中に、かなでの躊躇わない細い両腕が回された。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:2015.12.27 加筆修正:2016.7.9】
話の流れ自体は早いうちから決まってたんですが、何かぐじぐじしそうで上手く書けるか自信がなかった話です。
傷付かないための予防線を張るかなでちゃんですね(笑・どこかで聞いたフレーズ)
書き上がるまではどちらかと言えばほのぼのした話だと思ってたんですが、いざ書き上げてみるとこれ甘かった?甘かった??


