遠くても、近くても

七海→かなで

「あーあ、ハルちゃんいいなー」
 同学年の幼馴染み三人組で、ショッピングモールを冷やかしたり、カラオケではしゃいでみたり、久しぶりに練習のない午後を満喫した帰り道、新が溜息と共に今日何度繰り返したか分からない呟きを吐いた。
「新……この間から何回、何十回、何百回! それを言えば、気が済むんだお前は!」
「だってさー、何千回、何万回言ったって、羨ましいもんは羨ましいじゃんかー」
 苛々を最高潮にして怒鳴る悠人に、むーっと唇を尖らせた新が応じる。
 宗介はここしばらく二人に会っていなかったので知らなかったが、悠人の口調から察するに、どうやらこの新の口癖は、昨日今日始まったものではないらしい。
「一体、ハルの何がそんなに羨ましいのさ」
 今日の新はずっと「ハルちゃんいいなー」を連呼していたので、宗介も気にはなっていたのだが、ただ「いいな、いいな」と言い続けるだけで、理由ついては新は語っていない。
 連日この口癖攻撃を受けているのだろう悠人は、既に随分とうんざりしているようで、「いいなー」と言いつつじゃれついてくる従兄弟を、終始苦虫を噛み潰したような表情で無言であしらっていた。そのため、こちらからも宗介が知りたい情報は読み取れない。
「あー、そうだよ! そういう意味では宗介も『いいなー』っだ!」
「だから何?」
「聞かなくていいぞ、宗介。バカバカしいことこの上ないから」
「もー、ハルちゃんヒドイ! かなでちゃんのこと、バカバカしいだなんて」
「小日向先輩のことは言っていない! バカバカしいのは、お前だけだ!!」
 キレ気味に怒鳴り散らした悠人に、宗介はこっそりと息を呑む。思ってもいなかった名前が急浮上した。
「こ、……小日向さん、のことなの?」
「そーそー」
 こくこく、と新が頷く。
 自分より幾分背の低い悠人に背後から覆い被さり、わざとらしい大きな溜息を吐く。
「俺さー、コンクール終わったら、仙台に帰らなきゃいけないじゃん? そしたら今みたく、かなでちゃんと毎日会うの無理じゃん? その点宗介もハルちゃんも同じ横浜なんだから、会おうと思えばいつだってかなでちゃんに会えるし、そもそもハルちゃんに到っては学校も部活も同じだから、毎日会えるじゃんかー。いいなあ、羨ましいなあ~」
「そんなの羨ましがったってどうしようもないだろ! ……というか、新、お前、その調子で小日向先輩にギャーギャー言ってまとわりついて、先輩に迷惑かけてないだろうな?」
「えー、迷惑なんてかけてないしぃ。かなでちゃん、『私も淋しくなるよ』って言ってくれるよー」
「まとわりついてるんじゃないか!」
 悠人が全力で長身で細身の新の身体を振り払い、新が勢いでぺたんと地面に座り込む。「ハルちゃんひーどーいー」と新が頬を膨らませて抗議した。

「遠く離れてても、近くにいても……そんなのは関係がない……」

 ぽつりと、小さく宗介が呟く。
 ぎゃんぎゃんと言いあう従兄弟同士には、その小さな呟きが聞き取れず、揃って宗介に視線を向けた。
「何か言ったか、宗介?」
「……あっ、イヤ……」
 弾かれたように顔を上げ、宗介は咄嗟に作り笑いを浮かべた。
「……俺、今日はここで帰るよ。そろそろ店が忙しくなる時間だから、帰って手伝わなきゃ」
「ああ、そうか。そうだな。じゃあまた」
「俺がこっちにいるうちに、また遊びにいこーよ、宗介。電話するから!」
「うん」
 頷いて、宗介は踵を返し、家路につく。
 口論を止めた従兄弟同士は、揃って宗介の背中を見送る。
「……ねえ、ハルちゃん。何か、宗介……元気なくない?」
「だな。……今日も一日、どこか上の空だったし……」
 気遣わしげな視線で悠人と新が自分の背中を見送っていることには、宗介は気付けなかった。



 陽の落ちかけた家路を辿る宗介の足取りは重い。
 自分勝手な焦燥感から、あの笑顔の似合う優しい少女との連絡を絶ってから、まだそんなに時間は経っていないはずなのに、もう随分と長い間会っていないような気がする。
 しばらく連絡を取りたくないと突き放し、宗介から切り離した関係だから、逢えないことが寂しくても仕方ないのは分かっている。
 だけど、自分はこれから先、どんなふうにもう一度彼女と顔を合わせたらいいのか。
 もう既に、宗介は分からなくなっている。
(遠くても……近くにいても。そんな距離は関係ないよ、新)
 ……宗介が少しでも自信を取り戻せたときに、都合よく彼女の方からまた声をかけてくれるだなんて保証はない。
 もう一度、あの優しい存在の傍に在るためには、宗介自ら彼女に連絡を取る覚悟が必要だ。
 物理的な距離なんて、関係がない。
 人と人との絆は、繋ぐ意志をきちんと持たなければ、こんな風に簡単に解けてしまう。
 その身はどんなに近くにあっても、逢えなくなってしまう人は確かにいるのだ。
(……俺は、もう小日向さんに会えないのかな)
 顔を見ることは叶う。
 例えば宗介が幾ら顔を見ることが気まずいと思ったとしても、コンクールのファイナルステージで、彼女とは否応なく対峙する。
 でも、その後は?
 コンクールが終わり、自分たちがライバルではなくなったその時は。
 ……本当の自分は一体、彼女とどんな関係を築きたいと願っているのだろう……。

(俺は、小日向さんに会いたくない訳じゃない……)
 自信が持てないとき、落ち込んだとき。
 いつも宗介を支えてくれたのは、あの朗らかな一つ年上の彼女の笑顔だった。
 チェロを思うように弾けない、天音学園に今一つ馴染めない、こんなちっぽけな自分の言葉を、行動を、一つ一つ大事に受け止めてくれて、何倍もの幸福にして返してくれたのは、小日向かなでというたった一人の少女だった。
 彼女は、宗介にとってかけがえのない人だけれど。
 彼女から与えてもらうばかりの自分は、まだ彼女と堂々と並び立てる自信がなくて。
 ……彼女の傍にいれば、ただ彼女に甘えてしまって、せっかく手に入れた天音学園の正チェリストとしての立場も、中途半端になってしまう気がしていた。
 それでも、その全てをやり遂げた後は。
 コンクールのファイナルステージで競い合うライバル同士ではなくなった後は。
 もう一度真っ新な気持ちで、堂々と彼女と向かい合いたいと思っている。
 ……だから。

(『俺』が、勇気を出さなくちゃ)

 遠くても、近くても。
 逢いたい人に逢うために大切なのは、二人を隔てる物理的な距離ではなくて。
 その願いを叶えるために、一歩を踏み出して、その心の距離を縮めていくための勇気。

「俺が、勇気を出さなくちゃ」
 決意を声にして呟いてみる。
 もう一度、自分に自信を取り戻して。
 逢いたい人に、胸を張って逢うために。
 宗介が最初に勇気を出さなければならないことがある。

(もっと練習を積み重ねて)
(自分のチェロに、ちゃんと自信を持って)
(あの曲のソロパートは、きちんとチェロで弾くべきだって、……冥加部長に、伝えよう)

 そうして、逃げずにちゃんと自分の目指したいと願う音楽と向き合えたら、その時は。
 逢いたい人に、逢いたいと告げる勇気も、持ち得ることが出来るのかもしれない。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:2016.2.11 加筆修正:2016.7.3】

今回の企画で最後に生まれた話です(笑)七海で始まり七海で終わった今回の企画……
七海くんはなんだかんだと悩みつつも、結局自分の意志は曲げない子なので、実は強い子なのではないかな。まあ、ハルや新とほどほど対等に行けるんだから、メンタル結構図太いはずなんだよね(笑)
いつかそこまで掘り下げていけたらいいなあと思います。

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