繋がっているということ

七海×かなで

「うわぁ……綺麗な夕焼けだな……」

 空を一面鮮やかなオレンジに染めた夕焼けの色に、七海はつい大声で感嘆の声をもらす。
 すぐに我に返ってきょろきょろと辺りを見回すが、幸いにも七海の大きすぎる独り言を耳にしたものはいなかったようだ。
(何か、こんなふうにぼんやり空を見ることも、最近は忘れていたような気がするなあ……)
 実力者がひしめく天音学園で自分のチェリストとしての力を発揮するのに一生懸命で、空を見る余裕すらなかったのだと気が付く。
 改めて風景の美しさに気付けるようになったのは、自分の内側に目を向けるのに手いっぱいだった心が、ようやく余裕を取り戻し始めた証拠だ。
 そして、それがたった一人の少女との出逢いが原因だということを、七海はちゃんと知っている。

 七海が憧れてやまない、所属する横浜天音学園室内楽部部長が唯一ライバルとして認めているのが、小日向かなでという少女だ。
 彼女は、見た目にはとても部長と相対せるような人物とは思えない。小柄でほんわかとした、柔らかな雰囲気を持つ……はっきり言えば、どこにでもいそうな普通の女子高生だ。
 だが、実際に話してみるとそのほんわかな雰囲気の奥底に、ただならぬ芯の強さがあるのが分かる。その強さを知って触れて……そして、七海は救われたのだ。
 並みいる実力者相手に自分の実力をぶつけてみて、太刀打ちできないことが怖かった。何もしないうちから自分なんてダメだと諦めて、大好きなチェロさえ捨ててしまおうとした。
 しかしかなでと出逢って、七海は自分がまだ本気で何もしていないということに気が付いた。
 太刀打ちできないかどうかすら分からないうちから、怖がって逃げ出そうとしていた。そんな自分を知って、自分の奥底にまだ眠ったままの勇気を振り絞って……かなでに揺り動かされて知った、それまで知らなかった自分自身がそこにはいた。
 チェロが、そして音楽が大好きで。
 紡ぎあげる音色の中に、決して譲れない想いがあること。
 その譲れぬものを守るために、あれほどまでに憧れた部長に対する意見をぶつける勇気があること。
 ……それは、かなでに出逢って、彼女のことを好きになれたから、見えてきた本当の自分の姿だった。

「夕焼け……綺麗だな」
 もう一度、確かめるように繰り返してみる。
 空を染める一面の茜色。低い場所から徐々に群青色のグラデーションが広がる。
 綺麗なもの、楽しいものを知るたびに、七海はその感動を一番にかなでに伝えたいと思うようになった。
(どうしよう……電話をしたりしたら、迷惑になるかな)
 ポケットの中の携帯には、かなでの電話番号とメールアドレスがきちんと登録されている。付き合ってる彼氏と彼女なのだから、いつでも遠慮なく連絡してね、と言ってもらえてはいるけれど、こんなこと、別に重要な用件でも急な用件でもなく、七海とかなでを繋いでいる音楽の話ですらない。
 ただ、目の前にある風景がとても綺麗。
 そんな心揺るがす感動を、彼女に一番に伝えたいと、七海が勝手に思うだけ。
 ポケットの中の携帯を手でもてあそんで、数分迷って。
 そして七海は苦笑交じりに携帯から手を放す。

 かなでは七海の想いを受け入れてくれたから、今はそれだけで十分に幸せだ。
 些細なことを躊躇わずにかなでに伝えるのは、もう少し距離が縮まってからでも構わない。
 胸に上った感動は、本当にとてもささやかなものだから、伝えるのは別に、今、この瞬間でなくてもいいはずだ。
 次に会えたその時に、綺麗な空を見たことを伝えられたらいい。

 そう自己完結して家路を辿ろうとしたその時、七海のポケットの中の携帯が小さく振動して、耳に馴染んだ着信のメロディーが流れ出す。
 家からの早く帰宅して店を手伝えという催促だろうかと、何気なく携帯を取り出し、液晶画面を見やって、七海は目を丸くした。
(え!……こ、小日向さん!?)
 たった今、七海の脳内を過っていた人物の名前がそこには表示されている。
 深く考える暇もなく、七海は慌てて携帯の通話ボタンを押した。
「も、もしもし! 七海です!!」
「あ、七海くん? 小日向です」
 ふんわりとした穏やかな声が、携帯が鳴った瞬間に分かっていた名前を律儀に告げた。「今、大丈夫?」と尋ねられ、思わずその場に立ち止まった七海は、「はい、もちろんです」何度も頷いた。
「何か急用ですか?」
「ううん、別に急用って訳じゃないんだけど……」
 少し困ったような電話越しの声。
 何事かと七海が耳を澄ませていると、かなでは思いがけないことを言った。
「あの……空がね、夕焼け色ですっごく綺麗で。何か、綺麗だなあと思ったら、七海くんにこの感動を伝えたくなっちゃったの。……七海くんがいる場所から、今、空が見える?」

 それは数分前に。
 七海の脳裏に過ったものと、寸分違わない想い。

「……あ…の、小日向さん……!」
 嬉しくて。
 泣きたいくらいに心を揺さぶられて、七海は上擦った声で夢中でかなでに告げる。
「俺、今学園からの帰り道で、ちょうど小日向さんと同じように空を見てて。夕焼けがとても綺麗だなあって感動してて、……俺も、この気持ちを貴方に伝えたいって思ってたんです」
「そうなの?」
 少しだけ驚いたようなかなでの声。すぐに我に返ったように、いつものかなでの柔らかな声が七海の鼓膜を揺らす。

「……じゃあ、私たち、今同じ気持ちで空を見てるんだね」



 たとえ同じ風景を目にしていても、同じように綺麗だと思えるかどうかなんてわからない。
 夕焼けの茜色に同じ感動を抱いても、それを相手に伝えたくなるとは限らない。
 だけど、今。
 七海とかなでが同じ空を見て。
 同じ感動を胸に抱いて。
 そして、同じように相手にこの感動を伝えたいと願うなら。

 同じ場所に立っていなくても。
 ……近くに、互いの存在がなくても。
 その心と心とが。

 紛れもなく。
 確かに繋がっているということの。
 その、証になるだろう。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:2014.12.21 加筆修正:2016.7.3】

ほのぼのだなあ……(しみじみ)
七海くんの踏ん切り付かない感覚は私によく似ているので(笑)そういう意味では書きやすいキャラなのかもしれないですね。
ほのぼのした話は書きやすいんだけど、七海は甘い話が書きづらいと思います。かなでちゃんの方が押さないと、七海くんは罪悪感でぐるぐるしちゃいそうなので(笑)

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