心をつなぐ音

土浦×日野

 練習室が予約で一杯の時には、屋上でヴァイオリンを弾く。
 先輩の火原に教えてもらった穴場だけど、重宝すると同時に、根本的なところで香穂子はこの練習場所を気に入っている。
 ここまで上がって来る生徒は少ないし、風を身体に感じながらヴァイオリンを演奏出来るのはとても心地いい。難点を言えば、雨の日には利用が出来ないことと、自力で持ち込める楽器でなければ練習をすることが出来ないので、土浦と音を合わせることが出来ないということくらいだろうか。

「高いところ、いいよな。観客、見下ろす感じでさ」
 昼休みに御飯を食べるために誘って連れてきてみたら、柵の手摺に両腕を預けながら、随分と俺様な発言をしていたことを思い出す。見下ろすって、と思わず香穂子が突っ込んだら、勝ち気な笑顔の土浦が振り返って、柵にもたれかかった。
「何だよ、ステージだってそうだろ? 別に俺は優越感に浸りたいから言ってるわけじゃないんだぜ」
 観客席より幾分高い位置から、斜めに客席を見下ろして、自分の音楽を叩き付ける。それで聴き手を納得させる演奏をするためには、充分な努力と技術が必要になる。
 満足のいく演奏で、自分とそして観客を満足させたい。そういう演奏が出来た時に、拍手喝采の客席を高い位置から眺めるのは、きっとものすごい充実感なんだろうと思っただけだ。
 土浦の場合、本人がそう言えるほどの実力の持ち主だからいい。自惚れや過大評価じゃなくて、そこまでは自分の演奏が届く自信があるから、物おじしないで言える。
「それでも、充分に俺様な意見だよ」
 土浦ほど、自分の演奏に自信が持てない香穂子は、思わず苦笑しながらそう言った。
 そうか?と土浦が、意外なことを言われたというように、不思議そうな表情で眉を上げた。

 土浦のように、自分の音に自信が持てたらと思う。
 上手い下手ではなく、まずはもっと、自分の音を信じられたら。
 そうしたら、きっとヴァイオリンを弾くことはもっと楽しくなる。

(でも、まだまだなんだよね……)
 未熟なヴァイオリンに、香穂子は苦笑する。でもそれは、苦痛なのではない。まだ目指せる上があるということだから。
 駄目だと分かっている方が、きっと頑張れる。
 目指す音に辿り着くために。


 練習中の曲を、頭から弾き始める。
 まだどこかぎこちない、頼りなげな演奏。
 ここがステージで。
 見下ろしたその先に、無数の観客がいるのなら。
 罵声を浴びせられても、文句が言えない拙い演奏だ。

(……あ、れ?)
 弾きながら、香穂子は首を傾げる。
 星奏学院は音楽科のある高校だ。香穂子がこうやって、校内で自由にヴァイオリンを弾いているように、放課後、昼休み、休憩時間を駆使して、楽器の練習をする生徒は少なくない。だから、香穂子以外の楽器の音色が聴こえても、別段不思議なことじゃない。けど。
 香穂子は、弓を引く手を止める。
 見えもしないのに、思わず柵に駆け寄って、その下を覗き込んだ。
 校内を行き交う、異なる制服の数名の生徒達。その中に、香穂子の目当ての人物を見つけることはなかったけれど。
 香穂子が手を止めたのから数拍遅れて、微かに聴こえていた音色が止まった。
 香穂子のヴァイオリンに寄り添うように、伴奏パートを弾いていたピアノの音色。
「……土浦くん」
 聴き間違えるはずはない。
 いつだって、香穂子のことを支えてくれている。
 情熱的で、だけど照れ屋で。
 頑固な本人の気質と反比例して、妙に素直に内面を曝け出す、優しい音色。

 慌てて、ヴァイオリンをケースに戻した。急いでるけど、絶対にヴァイオリンを傷付けないように、きちんとケースの中心に収めて、しっかりと鍵をかけて、そのケースの柄を握りしめる。他の荷物は、頓着しないで抱え上げた。
 走ったらヴァイオリンに悪い、だけど早く辿り着きたくて。
 自然と階段を降りる足が早くなる。
 つまずきそうになって、でも転ばないように気をつけて。
 そうして、香穂子は練習室が並ぶ廊下に辿り着いて、その中に土浦の姿を探した。

(……俺が、いるだろ?)
 どんな時も、そう言って。
 優しく香穂子に手を差し伸べてくれる人。
 拙い、未熟な音楽に。
 それでも、もう少し上に行こうと、足場を支えてくれるピアノの音色。

 離れた場所にいても。
 微かにしか、聴こえない音色でも。
 一緒に進んで行こうと、時折挫けそうになる香穂子の心を支えてくれる。
 互いの心を、繋ぐ音。

「……聴こえたな?」
 練習室にそぐわない、如何にも体育会系な大きな普通科の制服を狭い練習室に見つけて。
 ノックもせずにドアを押し開くと、中にいた土浦は驚く様子もなく、何かを心得ていたように、にやりと笑って香穂子を見た。
「……一緒に練習したいなら、ピアノじゃなくて、言葉で言ってよ!」
 苦笑いの香穂子が文句を言う。
 理解したなら同じことだろ?と悪びれない土浦に、香穂子はつかつかと歩み寄って、痛くはない力で、ぱしんと頭を叩いてやった。
 どうってことはないくせに、痛いと顔をしかめた土浦の腕にそっと抱きついてみると、誰もいないのは分かり切っているのに、わざわざ土浦は辺りをきょろきょろと確認して。
 そして、そっと香穂子を抱き締めてくれた。


 遠く、離れていても。
 違う場所で、違う音楽を奏でていても。
 いつか、自分や観客を納得させる素晴らしい演奏をしたいという目標は、いつだって同じものを抱えていて。
 一人じゃないと、いつも心に互いの面影を抱きながら、優しい音楽を奏でているから。

 生み出すその音で。
 心はいつも、繋がれている。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.9.26】

土浦と香穂子の立ち位置は、技量に関係なく対等でいて欲しいと思っていますので、こんな話です。
ピアニストとしての土浦の印象は若干俺様な感じです。それを鼻にかけてるとかじゃなくて、自分自身の音をちゃんと信じてると言いますか。
ホントにねえ、屋上にピアノが持ち込めるはずないじゃんねえ?(大笑)ゲームしながら、普通に土浦との二人練習の場所を屋上を選んで、一人突っ込んでおります。

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