(……日野)
どことなく肩を落とした姿は痛々しい。
理由は、何となく分かっている。理事長直々に任命された、オーケストラのコンミス。年明け前のアンサンブルコンサートには一定の評価を示していた者達も、さすがに学院の代表として音楽科を差し置いて普通科のヴァイオリニストに立たれては、立つ瀬がないといったところなのだろうか。
アンサンブルの際には聴こえなかったこれ見よがしな批評を、彼女にどちらかといえば身近であると言える土浦でさえ耳にする。水面下でこっそり呟かれる、根拠のない噂話なら、彼女サイドである土浦にも、その噂は隠匿されるものであるはずなのに。
確かに、音楽科連中の言い分も分かる。
これから自分達が生きる道を音楽の世界で見い出すべく、音楽に真摯に向き合っているはずの自分達より、趣味程度でしかヴァイオリンを弾いていないと思われている日野が学院の代表になるのは、確かに納得しづらいことだろう。同時に普通科連中も、幾ら音楽科がある学校であろうと、普通科である以上は、そこまで音楽の知識を必要とされるわけじゃない。ところが、その普通科の日野が、音楽学校である星奏学院の代表としてステージに登るのだから、普通科であってもそれなりの音楽の知識があるのだろうと、学外の者たちに誤解を与えかねない。過剰な期待をされても困ると言いたいわけだ。
(お前は、頑張ってるだけなのにな)
日野は、別に何かを含んでヴァイオリンを弾いているわけじゃない。
ヴァイオリンが好きで、音楽が好きで。それを続けていくために、目の前に様々な課題を積み上げられる。
将来がどうとか、周りがどうとか、大きなことを考えるわけじゃない。自分が心地よくヴァイオリンを弾くために、与えられた課題をこなそうとするだけだ。
だが、そんな彼女の心を理解する者は数少ない。
理解したいと思う人間すら、稀であるからだ。
(仕方がないよね)
完璧過ぎてどこか胡散臭い印象だが、第三者の立場で冷静に物事が読める一つ上の先輩は、苦笑混じりにそう言った。
(人を理解しようなんて、大層なことだよ。皆、まずは自分自身を立てることに懸命なんだから)
自分の立ち位置を確立することが第一で、他人の事情にまで頓着していられない。
ましてや、その他人がどんな気持ちでいるのかなんて、大した問題じゃない。
突き放す冷たい言葉のように思えるが、確かにそれは真実だった。
「……日野」
奥に踏み入って、土浦は彼女の名を呼ぶ。
項垂れていた日野が、弾かれたように顔を上げて、土浦の方を見た。
土浦くん、と笑いかけた顔はいつもの彼女のものだったけれど、やはりどこか、疲れて見えた。
すたすたと迷いなく歩み寄り、土浦はどっかりと彼女の隣に腰を下ろす。少し驚いたような表情で日野は土浦の横顔を伺ったが、突然隣に座ったことを、咎めたりはしなかった。
黙ったまま、土浦は目の前を睨んで、彼女に言える言葉を探す。
頑張れ、とか。
負けるな、とか。
簡単に励ませる言葉は幾らでもその辺に転がっているけれど、そうやって励ませば、きっと彼女は笑って、うん、と頷く。
頑張るよ、と。
負けないよ、と言いながら。
その裏で、傷付いた心を周りの皆から隠していく。
強くあっていて欲しいわけじゃない。
周りの中傷に、負けないでいて欲しいわけじゃない。
ただ、彼女の周りには、彼女の音を……彼女自身を。
信頼して、協力する仲間が。
……自分が。
確かに、いるのだから。
一人だけで戦っているなんて、思って欲しくない。
「日野……あのさ」
上手く、かっこいい言葉は出て来ない。
きっとその辺に在り来たりの、物珍しさの欠片もない言葉を伝えてしまう。
それでも、それが。
確かに、彼女の支えになってくれるなら。
「……お前は、独りじゃないから」
彼女の方は見れなかった。
ただ、驚いたように。
日野が息を呑む気配だけが伝わった。
「独りじゃないから。アンサンブルのメンバーも、金やんや、王崎先輩や……ちょっと意味合いは違うかもしれないが、理事長や都築さんだって、お前のことを信じてる」
……だから。
「どうにもならなくなる前に、もっと周りを頼れ」
俺を、とは言わない。
一番に頼るのは自分であって欲しいけれど、重要なことはそんなことではないから。
周りからの冷たい視線に。
与えられる期待とプレッシャーに。
彼女の華奢な身体が押しつぶされてしまう前に、彼女自身がSOSを周りに送れるならいい。
必要なのは、たったそれだけのこと。
「……言いたいことはそれだけだ。邪魔して悪かった」
照れくささを誤魔化すために、ぶっきらぼうに告げて、土浦は立ち上がる。
そのまま振り返らず、立ち去ろうとした土浦の制服の袖を、手を伸ばして掴んで来る細い指。
袖をぐいっと引っ張られて、土浦は思わず振り返る。
無意識だったのか、土浦と目が合った日野は、ご、ごめんね!と慌てながら、土浦の袖を解放した。
「あのっ……」
俯いた日野が、自分の足元を見つめながら、懸命に言葉を探す。
彼女の声をただ待っている土浦に、やがて顔を上げた日野は。
花が開くように。
ふわりと、綺麗に笑って、土浦にありがとうと告げた。
気の済むまで、頑張ればいい。
自分が納得出来るまで。懸命に。
だけど、自分の気持ちだけではどうにもならない部分で、頑張ることが辛いと感じるその時に。
君が、助けを求め、手を伸ばすその先に。
君が『いて欲しい』と願う人物が。
この自分であるならば。
それだけでいい。
それ以上に、願うものはない。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.9.26】
ちょうど「2fアンコール」に手を付け始めた頃だったので、こういうネタも今回多かったです。
自分の立場に置き換えてみると、他生徒の反応も分からないじゃないですが、本人にしてみれば、思いもよらない批判を受けている訳で、凹むだろうなと。
そういう時に助けてくれる……まではいかなくても、理解してくれる存在というのはありがたいですね。
これもまた、日頃の行い次第なのでしょうけど(苦笑)


