呼吸を止めるまで

土浦×日野

 急に降り出した強い雨をやり過ごそうと、土浦の手を引いた香穂子が飛び込んだのは教会の軒先だった。
 更に、遠慮なくその中へ入ろうと扉を開いた香穂子を、慌てて土浦が制止する。
「おい、勝手に入るなよ」
「教会は開かれた場所だから、自由に入っていいんだよ」
 さらりと香穂子が言う。驚く土浦に、「なーんて、志水くんの受け売りなんだけどね」と笑ってみせた。

 一歩教会内に入って扉を閉めると、外界から遮断されて雨音が遠ざかり、何だか突然別世界のように静かになる。その静けさに気後れして、咎められないと分かっていながらも、香穂子と土浦は、恐る恐る教会の奥の方へ歩を進めていく。神を信仰する気持ちはなくとも、どこか神聖な気持ちになるから不思議だった。
 二人はまじまじと周りを見渡し。それから何気なく、祭壇の前に立つ。日曜日の礼拝にも、その他教会にまつわる儀式にも縁がないから、ここに来て思い付くのは二人とも同じようなことだった。
「結婚する時ってここで誓いの言葉、言うんだよね」
 靴底で今自分が立っている場所を何度か踏みしめて、香穂子が呟く。土浦はたった今自分達が歩いてきた場所を振り返って、小さく笑った。
「てか、しっかり歩いちまったぜ。ヴァージンロード」
「あ、ホントだ!」
 それに気付いた香穂子が、別に何も変わりはしないのに、改めてまじまじと自分達が歩いてきた細い通路を見つめる。祭壇裏のステンドグラスを見上げながら、土浦がぽつりと呟いた。
「……誓いの言葉って、どんなんだっけ?」
 ぱちっと一つ瞬きをした香穂子が、土浦を見上げた。
「ええと、……『病める時も健やかなる時も』?」
「『雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ』……」
「や、それ違うから」
 宮沢賢治だから、と真面目に香穂子が裏手で突っ込んだ。
「……病めるときも、健やかなるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか……?」
 どこかで聞いたことのある言葉の羅列を、懸命に思い出しながら香穂子が誓いの言葉を告げる。黙ってその香穂子の言場を聞いていた土浦は、香穂子の言葉が途切れた後に、少しだけ沈黙して。
 何かを思い切るように、大きく息を吸って、吐いて。
 そして。

「……誓います」

 低い声で、はっきりと。
 真直ぐに香穂子の目を見て応えた。

「……は?」
 一瞬ぽかんと土浦を見上げ、香穂子が間の抜けた声で呟く。舌打ちしかねない雰囲気で顔をしかめた土浦が、頬を赤らめて香穂子から視線を反らす。
「……そういう反応するか?」
「え。……いや、あの。だって……!」
 何気なかったのに、まともに返されて。
 迷わなかった土浦の態度に、今更ながら、重要なことを言われたことに気がついて。
 香穂子は自分の頬が熱くなるのを実感する。
「……お前は?」
「え?」
「こういう場合、相手も返すんだろ? ……ええと、なんだ。『病めるときも、健やかなるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?』」
 先程の香穂子の言葉を思い出しながら、空を睨む土浦が、そう尋ねる。
 戸惑う香穂子が、そっぽを向いている土浦を見上げる。……横顔しか伺えない、けれど。
 それでも、土浦が香穂子の答えを待っていることは分かる。
(……どうしよう)
 これは、雨宿りの徒然。他愛無いお遊びごとだ。
 見届けるものはいない。だが、確かにここは神様の前で。
 ……簡単に誓っていいのかどうか、判断に迷う。土浦だって、単なるその場の雰囲気で、言ってみただけなのかもしれないし。
(でも、土浦くんが、そんなに適当なことするのかな?)
 一度視線を下ろして、それから香穂子はまた土浦の精悍な頬を見上げてみる。
 そっぽを向いたままの土浦の表情は、照れくさそうだけれど、それでもやっぱり真剣で。
 ……ああ、と。
 香穂子は水が地面に染み込むみたいに、今自分が置かれている状況を、ゆっくりと理解する。
(……そうだよね)
 たとえ、これが雨宿りの手持ち無沙汰な時間を埋めるための戯れでも。
 思ってもみないいい加減なことを、土浦が言うはずがない。
 だから、この言葉は大事に受け止めていい。素直に呑み込んでいい。
 そして、香穂子も同じ想いを返すのだ。

「……誓い、ます」

 大事な言葉だから、ゆっくりゆっくり。
 一杯の想いを込めて、呟いた。
 空を睨んでいた土浦の眼差が、驚きに見開かれ、そしてゆっくりと土浦が香穂子の事を見つめ返してくれる。
「……お前」
「……ん?」
「いや……いい。何でもない」
 本気か?と言いたげな土浦が、真直ぐに土浦を見て微笑む香穂子の表情に、きちんとした気持ちを読み取ったようだった。苦笑して、視線を伏せて。そして、土浦の大きな暖かい掌が、そっと香穂子の頬に触れる。
「指輪は、また、本番のお楽しみな」
「……うん、そうだね」
 甘く笑う土浦に、香穂子も一つ頷いて。
 そして、静かに目を閉じる。

 軽く開いた香穂子の唇に。
 熱い土浦の唇が、ゆっくりと押し当てられた。


 たとえ、これがただの雨宿りの隙の戯れでしかなくても。
 抱く想いは、いつだって変わりなく。本当の想いだから。
 神様に誓っても、怖いことは何一つない。
 自分たちは、寄り添う人生を生きていく。

 病める時も、健やかなる時も。
 目の前に現れる様々な状況に、どんな想いを抱く時でも。
 お互いを愛したまま、生きていける。

 いつか、どちらかが。
 その呼吸を止めるまで。
 長いようで短い一生が尽きる、その瞬間まで。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.8.14】

お題から、プロポーズを意識した話にしようとは思ってたんですが、「病める時も~」の一文を思い出す時に何故か脳裏に浮かぶのは「雨にも負けず、風にも負けず~」(笑)しれっと土浦に言わせてみました(笑)
「誓いの言葉」はちゃんとネット検索で調べてみました。この文言も、調べてみればいろいろ出て来るんですよね……。

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