一音一音、確かめるように辿々しい音を紡いで。繋げてそうして、ゆったりとした音楽を奏でていく。
待ち合わせした屋上に辿り着いた香穂子は、しばらく声がかけられずに、黙って立ち尽くしたまま、そんな志水の背中を見つめていた。やがて、溜息と共にチェロの音色を途切れさせた志水に、ぱちぱちと、小さな拍手を贈った。
「……香穂先輩」
拍手の音に振り返った志水が、香穂子の姿を認め、嬉しそうに頬を綻ばせる。黙って聴いててごめんね、と謝る香穂子が、歩み寄って、志水の座っているベンチの隣にすとんと腰を下ろした。
「新しく練習してる曲?」
今まで志水が弾いているのを聴いたことがない旋律。志水は貪欲に新しい音を取り入れていくから、それもまた珍しいことじゃない。唯一いつもと違うのは、妙にのんびりと、一音を確かめつつ、拙い音楽を綴っていたことだ。
「練習……そうですね、新しい曲、です」
少し迷うように空に視線を巡らせた志水は、曖昧な言い方でそう呟いた。不思議そうに首を傾げつつ、香穂子が尋ねる。
「私、今の曲知らないんだ。誰の、なんて曲? ……まあ、私の場合は知ってる曲の方が少ないんだけどね」
苦笑いで香穂子が言うと、微かに目を見張った志水が香穂子を凝視する。ん?と伺う香穂子に志水は香穂子の質問の答えとは全く違う言葉を口にした。
「……今の曲、どう思いました?」
「え?……どうしたの、突然」
「いいから。……香穂先輩が、今の曲を聴いて思った、率直な感想を聞かせて下さい」
志水がこんな強引な物言いをすることは珍しいが、それだけ彼にとっては重要なことなのだろう。そう納得した香穂子はうーんと唸りつつ、顎の辺りに手をやって、空を睨む。先程までこの場所を満たしていた旋律を思い出してみた。
「……優しい曲、だね」
ありきたりかもしれないけど、と香穂子は笑った。
辿々しく紡がれていく、短い旋律。
それは、一音一音を確かめるように、丁寧に奏でられていくからだろうか。
とても人の心に優しく響いて。
どことなく、甘くて。
愛おしく抱き締めたくなるような。
そんな、大事に守りたい音楽だった。
「……好きですか?」
「うん、好きだよ」
迷いなく香穂子が答える。
志水がほう、と安堵の息を吐いた。
「……この曲の作曲者は、志水桂一」
「……志水……ええっ!」
驚いたように声を上げ、香穂子が目を丸くして志水を見つめる。ふわりと笑う志水は、どことなく照れくさそうに、「タイトルは、未定、です」と補足した。
「先輩が、好きだって言ってくれてよかったです」
「どうして?……って言うか、すごいね。ホントに曲って作れちゃうんだ……」
「作曲を教える授業もありますから」
心底感心したように言う香穂子に、何でもないことのように答え、それから志水は、最初の香穂子の問いかけの答えを教えてくれる。
「……先輩のことを考えながら、先輩に向かって歌った曲だから」
「……え?」
咄嗟に何のことだか分からず、香穂子はぽかんとする。「『どうして』って言ったでしょう?」と志水は視線を伏せた。
「僕の、先輩への想いをちりばめた曲だから」
優しく、甘く。
志水の胸にわき上がる感情をそのままに。
香穂子に告げるために、紡ぎ上げた旋律。
……志水の想いを形にしたかのようなその曲を。
一番受け止めて欲しい人が、好きだと言ってくれた。
それだけで、この拙い旋律がこの世に生まれて来た意味がある。
「そ……そうなの……」
香穂子の細い声が呟く。
志水の香穂子への想いがちりばめられた、甘く優しい旋律。
志水の想いを形にすると、あんな音色になるのなら。
それは、とても嬉しくて。
そして、あからさま過ぎて、少しだけ恥ずかしい。
頬が熱くなるのが分かって、香穂子は片手を上げて、火照った頬を覆う。
目の前にいる志水が、それを遮るように、そっと香穂子の手を離した。
あ、と想った瞬間には口付けられていた。
こういう時に本能で行動する志水は、迷いがなくて香穂子は追い付けない。
「志水く……」
呼び掛ける声を、また志水の唇が塞ぐ。
何度か啄むように繰り返された口付けに、余計に体温が上昇する気がした。
「……曲のタイトル、今、決めました」
「えっ……」
至近距離で、ふと思い付いたように志水が呟く。
状況に付いて行けない香穂子が、何が何やら分からないまま、反射的に尋ね返した。
そんな彼女に、にっこりと曇りのない笑みを向けながら。
これ以上には有り得ないだろう曲の名前を、志水の唇が告げる。
「……『LOVER』」
それは、この世にたった一人の恋人のためだけに生み出された、他の誰も知らなくても構わない、盲目な愛の旋律。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.9.21】
曲のタイトルをどうするかに悩みました(そこなのか)
何を元ネタにしたのかと言いますと、かーなーり昔の女性バンドのアルバムタイトルですね。アレはホントは複数形の「s」が付いていたように思うけど、志水くんは盲目なので(大笑)
中学の音楽の授業で既に「一小節作曲をしてみる」という授業がありましたので、音楽科は普通にあるんだろうなあ。ワタシ? 練習も何もしてなかったので、授業は散々でしたよ。そんな苦い思い出です(笑)


