少し真面目な口調で、香穂子が火原の顔を覗き込んで尋ねた。思ってもいなかった問に、火原は首を傾げる。
「裏切るって、なんで?」
その言葉には含みがない。真直ぐに問い返されて、逆に香穂子の方が口籠った。
「あの……その。実は結構毒のある人、ってことで……」
ああ、と火原は破顔した。うーんと晴れた空に荷物を持った両腕を挙げて、伸びをする。
「うーん、……まあ、確かにびっくりはしたんだけどさ。でも、だから裏切られた~なんて、別に思わないよ。だって、柚木は柚木だし」
「そういうものなんですか?」
不可解そうに香穂子が、先程の火原みたいに首を傾げる。どうやったら伝えられるかな?と、火原は少しの間、黙ったまま思案する。
「……あのさあ、香穂ちゃん。実際のところ、お腹の中で全然、何も考えてないヒトって、おれはいないと思うんだよね」
嘘が付けない、あけっぴろげな自分だって、イヤだと思う気持ちを抱かないわけじゃない。それを素直に口にしてばかりでもない。どうしても言えない思いは、やっぱり火原にだってある。
「柚木は、それを隠すのがじょうずなだけなんだよ。おれみたいなやつだとどうしても表に見えちゃうものも、絶対見せないように隠してるの。……それを、おれが気付いてやれなかっただけなんだと思うんだよね……」
親友が、普段他人に見せている優雅で何事も卒なく、嫌な顔一つせずこなして、人当たり良く振る舞っている裏側で、きちんと不満も不平も抱いていたことは、『そう』とは思っていなかったのだから、確かに火原にとって、青天の霹靂な事件だったと思う。でもそれでも、火原は柚木を嫌いだとは思わないし、自分が裏切られたとも思わない。
……隠していたものがあったとしても、自分と一緒にいてくれた柚木の心に、嘘はなかったと思うから。
「男同士の友情なんだ。……いいなあ」
何だか羨ましそうに、香穂子が足元を見つめながら呟く。何に対して「いいなあ」と言っているのかは分からなかったけど、直感でこれは自分が喜んでいい場面だと分かったから、火原は嬉しくなって、近くでひらひらと揺れていた香穂子の片手を掴まえて、ぎゅっと握った。
少し驚いた表情で火原を見上げた香穂子は、仕方がないなあ、というように小さく苦笑いをして、火原の手を同じ強さで握り返してくれる。
……そうして、少しだけ距離が近くなって。
話の続き。
「それもあるけどさ。人間誰だって、いい面も悪い面もあるし。うれしいなって思うことがあったら、イヤだなあって思うこともあるよ。でも、柚木はそういう『イヤだなあ』って思ったことをおれたちには見せなかったわけでしょ? それって、ひっくり返すとすごいことなんじゃないかなあ」
おれには絶対、そういうことするの無理だしねえ、と。
火原が困ったように笑った。
その後、会話が途切れて。
香穂子と自分の革靴がアスファルトを踏みしめる、小さな小さな音だけ聞いている。何かを考え込んでいたらしい香穂子が、ふと顔を上げた。
「あ、でも。……私も何となく、分かるかも、です」
「柚木がすごいって?」
「うーんと、そこじゃなくて」
もう少し前です、と香穂子が言った。
「人間誰だって、いろんな面があるって。本当にそうですよね」
「あ、そこ? ……うん。おれみたいな単純なヤツも中にはいるけどね」
嘘も隠し事も下手な自分を分かっているから、自分のそんな部分をちゃんと認めて、火原は頷く。そうじゃなくて、と香穂子が笑った。
「火原先輩も、いろんな顔を持ってるんだなって。改めて思ったんですよ」
「ふえ? おれ?」
一度香穂子と繋いでいた手を離して。
わざわざ、自分を指差してみせて、火原が尋ねる。
はい、と香穂子は躊躇いなく頷いた。
「先輩って、普段はあんまり物事深く考えてなさそうで、いつも楽しそうで。可愛いなあ~無邪気だなあ~って思うんですけど」
「ああああっ」
空を睨んで告げる香穂子に、その場で頭を抱えて座り込みそうな勢いで火原が叫ぶ。ちらりとそんな火原を見つめて、笑って。
「……それなのに、さっきみたいに、突然私じゃ分からないくらい、深い、大人っぽいこと言ったりもする」
それって、結局私がいろいろ翻弄されて狡いですよ、と。
香穂子が顔をしかめた。
可愛く、明るく。
無邪気な先輩だって、知っている。
そういう無邪気さ、前向きさに惹かれたから、今、こうして香穂子は彼と肩を並べて歩いている。だけど。
(先輩も、それだけじゃないんだね)
香穂子は、火原ほど簡単に、柚木の裏の部分を認めたりは出来なかった。
脅されたり、いじめられたり。若干精神的苦痛を味わわされた恨みが混ざっていることも否定はしないけど。
それでも、香穂子の受け止め方よりも、ずっとずっと、火原の受け止め方の方が懐が深い。
(強くてかっこいい、大きな人だ)
無邪気で可愛い火原も。
全てのことを大きく受け止める、頼りがいある火原も。
二人の彼、どちらとも。
火原和樹という、たった一人の人間。
(そういえば、いつだって)
(私は先輩に見守られて、支えられてたんだもんね)
オケ部での意外な面倒見の良さだって。
全部全部、受け止める度量の広い、火原を表していたんだ。
「それだけじゃないって」
ぽつりと呟く火原が、ふと何かを思い付いたように、顔を上げて、香穂子から視線を反らす。そろそろと伸ばされた掌だけが、香穂子の掌を探して、空を泳いで辿り着いて、またぎゅっと香穂子の手を掴んだ。
「……じゃあさ、……香穂ちゃんは、どっちのおれがいいの……?」
「……なーんか、それ。聞かれそうな気がしたんですよね……」
そうして、火原が望んでいる答えも、ちゃんと分かる。
そういうところ、火原は本当に筒抜けだから。
もちろん、と、香穂子は火原の手を、また同じように、同じ強さで、握り返す。
「……もちろん、どちらの先輩も好きですよ」
少しだけ違う面。
二人の彼。
柚木とは違い、境界が分かり辛い表裏一体、どちらも間違いなく。
香穂子の好きになった、『火原和樹』に変わりはないのだから。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.8.6】
本気で、こういう裏表のないキャラクターに来て欲しくなかったお題ですよね!(真顔)でも火原って毎度こういう感じな気がします……。
オールカップリングのサイトですけど、基本的にうちの香穂子は相手に対して一途な子に書いているので(笑)本当の意味で二人の彼なのではなく、一人の彼の二面性について書いてみました。
どろどろしたのが書けなくてゴメンなさい。


