ちょっとだけ短気。おれ、香穂ちゃんが思ってること、うまく分かってあげられないこと多くて、すぐに怒られる。まあ、怒っても、あまり持続しないみたいだけど。
それから、手を繋ぐのと、駅前の喫茶店のブルーベリータルトが好き。しっかり繋ぎ合わせるいわゆる恋人繋ぎなんじゃなくて、指先を絡めるくらいがいいんだって。ブルーベリータルトは、おれが美味しいって教えてあげたんだよ。今じゃ、そこにいくと、香穂ちゃんはいつもそれを頼むんだ。
香穂ちゃんが、おれの『恋人』の香穂ちゃんになって。
知ったことは、それくらい。
「……と、いうようなことを天羽ちゃんに言ったわけですね……!」
握り拳をふるふると震わせて、香穂子が押し殺した声でそう確認した。うん、と火原が笑顔で頷く。
(あのさあ、香穂。悪いんだけど、これ記事では使えないわー……)
困ったように一枚の手書きのメモ用紙をひらひらとさせながら天羽が香穂子の教室にやってきたのは放課後だった。昼休みに、昼バス中の火原に突撃取材を敢行した結果だと言う。
終わった今だから言える、アンサンブルメンバーだけが知っているコンサートの裏話……そんな特集記事を書きたかったのに、他のメンバーは、頑に突っぱねる者2名、何だか上手いこと言ってはぐらかす者2名、恥ずかしがって明確な答えが返って来ない者1名、答えは返って来るけれど意味が良く分からない者1名。
そんな中で、あまり腹に含みを持たない火原の答えは単純明快で、それなりにまともなものになるだろうと思っていたのに、蓋を開けてみれば、ただのノロケのオンパレードだった。
(火原先輩だけが知ってる裏事情!って振った私も悪かった。だけど、まさかあんたたちのノロケ話になるとは思わなかったから……)
申し訳なさそうに言った天羽に、そういうことは、まず本人に取材をしてよと抗議は入れておいて。
その火原のノロケっぱなしのコメントというのに興味を引かれて、天羽の取材メモを見せてもらったのだが、確かにこれでは、天羽の狙いからは随分と外れた回答になってしまってるだろう。
「え、おれだけが知ってる香穂ちゃんの裏事情じゃなかったの?」
きょとんとして、真面目な顔で火原が驚く。
……駄目だこりゃ、と香穂子が頭を抱えた。怒ってるのが馬鹿らしくなって、幾分か落としたテンションで、話を続ける。
「天羽ちゃんは、普通に演奏のあれこれについて聞きたかったみたいですよ。どんな手順で練習を進めていたかとか、誰と誰が音の相性がよかったとか……」
「あ、そっちの方なんだ?」
なるほど、と納得して、ひとり火原が頷く。
そういえば、最初に天羽が来た時にはそんな申し出だったような気がする。だが、漠然と裏話と言われても咄嗟には思い浮かばなくて、良く分からないと首を傾げたら、じゃあ、香穂限定の裏話でも構いません!と着眼点を変えられたのだ。
「じゃあ、天羽ちゃんが犯人じゃないですか!」
騙された!と香穂子が地団駄を踏む。
天羽のことだから、香穂子の話題から誘導尋問にかければ、自分の望む回答が導きだされないかと踏んだのだろうが、天羽が思う以上に、火原は一度見た目的地からは容易に目が反らせない性格だったのだろう。結局のところ、終始香穂子の話題オンリーで終わってしまったのだ。
「それにしたって……」
天羽の取材メモを思い出しながら、香穂子は頬を赤らめる。
火原には、香穂子がそんなふうに見えているのだ。
隠し事が出来なくて、顔に全部現れて。
甘えて手を繋ぐのが好きで、火原が教えてくれたケーキが好きで。
ちょっとだけ、短気で怒りっぽい。
「他に、もうちょっと言うこと、なかったんですか?」
「他に?」
空を睨んで、真面目に火原は考え込む。
頑張り屋で、優しくて真直ぐで。
物事にはいつでも全力投球。
素直で、かわいらしい、火原の大好きな女の子。
……それは、きっと。
いちいち火原が誰かに言って聞かせなくても、皆が知っている、『周知の事実』ってやつだから。
言わなくてもいいと思ったんだ。
「……あ」
ふと、一つ思い付いて、火原が声を上げる。
ぱちりと瞬きをした香穂子が、驚いたように火原を見上げた。
「……そうだね、まだあるよ。おれだけが知ってる、香穂ちゃんのこと」
「え、何ですか?」
反射的に、香穂子が尋ねる。
そんな香穂子の視線の先で、火原が意味ありげな表情で、にっこりと笑う。
多分、香穂子だけしか知らない、いつもは向日葵みたいに全開の屈託のない笑顔を持つ火原の、ちょっとだけ意地悪な笑顔。
火原が、背中を丸めるみたいにして香穂子の耳元に唇を寄せる。
低い声で一言、二言囁くと、香穂子はゆるゆると目を見張って。
それから次に、じわじわと赤くなっていく。
「……馬鹿! ヘンタイ! それ天羽ちゃんに言ったら、絶交ですからね!」
ローファーの爪先で香穂子が容赦ない力で火原のむこう臑を蹴り飛ばす。一気に沸点に達した怒りメータの勢いのまま、すたすたとうずくまる火原を残して大きなストライドで去っていく。
「絶交って……ヒドイよ、香穂ちゃん!」
慌てて火原が身を起こす。
……本当は、足も早い、香穂子より歩幅の広い火原は、数歩で香穂子に追い付くけれど、その照れて怒った彼女の小さな背中はなかなか可愛いなと思ったから。
少しだけゆっくりの歩調で、火原は彼女の背中を追い掛ける。
(香穂ちゃん、キスする時、左側の瞼だけ震えるんだよ)
これは、自分以外の誰も知らなくていい、火原だけが知っている彼女の秘密。
(あと、右の太腿の内側に、ちっちゃいほくろがあるんだけど……)
うっかり香穂子に教えてしまったら、洒落じゃなく本気で絶交されちゃうだろうから。
これは当分の間、火原の心の奥底に。
ちょっとした優越感と共に、隠しておくべき彼女の秘密。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.9.13】
ヘタレばかりを書く渡瀬にしては珍しい、若干「黒」が入った火原(笑)
一応インタビューされたアンサンブルメンバーの中には、加地も入ってます。天羽ちゃんは別の意味で取材のしにくい相手だったろう……(笑・きっと絶賛賞賛のオンパレードで、直にコンクールを聴けなかった悔しさを延々語られたに違いない)
恋人同士なので、これは2に突入してるんだけど、設定としては無印の火原ED後なのです。


