大半は、自分に告白をして来て、それを退けた場合だ。幾ら丁寧に、気を使って断ってみたところで、自分の想いを拒絶されたことで、女性たちはこれ見よがしに、あるいは隠そうとしながらも、それでもその一連の動作で気を引くかのように、……わざと柚木にその涙が見えるように、泣く。
(所詮は、自分のための涙だってこと、君達は分かっているのかな?)
ごめんね、と。
申し訳なさそうに、謝ることは出来る。
だけど、その彼女らの涙に、柚木が心惹かれることはない。
何故ならそれは、柚木に振られてしまった自分を哀れみながら、自分たちを慰めるために流す、彼女たちのための涙だから。
(それが悪いと言ってるんじゃないけどね)
所詮、人は自分のためにしか生きられない生き物だ。
世のため人のためと嘯きながら、結局のところ、その『誰かのため』の行動も、自分を他の誰かによく見せるための綺麗事。
(……なんて事を、俺が言う権利はない、か)
世のため、人のためと嘯きながら。
自分を他の誰かによく見せるために、綺麗事を並べ立てる。
それは、他の誰でもない。
柚木自身の哀れな姿。
(……馬鹿なヤツ)
机の上に頬杖を付いて、柚木は耳を素通りする授業の内容とは関係のない、別の事を考えている。
教師が読みなぞっていく古文の一文は、昨日のうちに予習を済ませている範囲内。どういう質問が来ても即座に答えてやる自信があるから、安心して自分の思考に没頭出来る。そんなつまらないBGMの中からも、後の試験の為に重要だと思える箇所はきちんと拾ってメモを取っていくから、本当に自分という生き物は面白味がない。
完璧を装おう癖が付いた。そのために、必要になる処世術が身に付いた。
便利なようではあるが、平穏過ぎれば日常に喜怒哀楽が少なくて、やはり柚木の人生はつまらない。
音楽だけが。
フルートだけが少しだけ、違っていた。
技術だけ、表面の優等生を気取っているだけじゃ、あるボーダーラインより上には昇れない。
かといって、感情全てを曝け出すことは出来ない。
その微妙なバランスを調整しながら、本性もバラさない、かといって平均に留まらない、レベルの高い音楽を奏でることは、意外に楽しいことだった。
(だから本当は、少しだけ勿体無いと思った)
本当に、フルートを捨てなければならない瞬間が近付いた今。
少しだけ、フルートが……音楽が、惜しい。
続けられるのは高校生の間だけ。その後の柚木の人生は、柚木家を支えるためだけにある。
そのために、音楽を諦めるということは、最初から決まりきっていたこと。
(柚木先輩は『諦める』って言う。……それは、心のどこかで、柚木先輩に音楽を望む気持ちがあるからです)
諦める、というフレーズから、不意に記憶の中から引きずり出されて来た柚木のものではない、別の人物の声。
……普段は鈍感過ぎるほど鈍感で、だけど妙に言うことが核心をついてくる、不思議な存在。
(だからって、お前が泣くことはないだろう?)
今にも泣きそうな顔で柚木を諭した彼女は、柚木が自分を哀れまなくていいと告げると、逆にはらはらと涙を零した。拭うこともせずに、頬を伝う涙。
何泣いてるの、と柚木が苦笑しながらハンカチを差し出した。
素直に受け取った彼女は、瞼を伏せて、その涙を柚木のハンカチで押さえながら、先輩が泣かないからです、と小さく呟いた。
先輩が泣けないから、私が代わりに泣くんです。
(本当に、馬鹿なヤツ)
涙なんて、自分の為に流すものしか知らなかったよ。
たくさん、たくさん自分のものではない涙を見て来たのに。
俺のために流されたものなんて、一つも見たことがなかったんだ。
少しだけ、いつものようにひねくれた物の見方をするのなら。
自分ではない者の不自由さを哀れんで。
勝手に傷付いて、涙を流して。
やっぱりそれも自己満足の涙だと、彼女の涙を蔑むことが出来たのかもしれないけれど。
彼女の頬を伝う涙は。
緩やかな曲線に沿って、綺麗に一筋の道を描いた彼女の涙は。
……柚木が生まれて初めて目にする、とても美しい涙。
(お前は、そこまで考えないだろう)
よくも悪くも単純で、物事を深く考えない。
その行動で、結果がどこに行き着くのかなんてこれっぽっちも考えないから、いつも面倒事に巻き込まれて、もがくその姿を柚木に呆れられる。
逆に言えば、だからこそ彼女の涙に裏はない。
本当は、柚木にも分かってる。
今まで柚木が見て来た他の女性の涙だって、彼女と同じで細かく計算されたものなんかじゃなかった。受け入れられない寂しさに、退けられる哀しさに、どうしようもなく溢れる涙。
それは、確かに泣く彼女たちのためだけの涙だけれど、そんなこと、別に責められたり蔑まれたりするようなことじゃない。
(哀れで、愚かなのは俺だよ)
どういう理由であろうとも、純粋に流される涙を。
歪んだ目線でしか見られないのは、まぎれもなく柚木の咎だ。
腕時計の文字盤を見た。
もうすぐ午前最後の授業が終わる。
授業が終わったら、屋上へ行ってみようかと柚木は考える。
柚木が好む場所だと知っていながら。
……人の気配に乏しくて、思う存分本性を曝け出せる柚木が、いいようにからかうことを分かっていながら。
何故か、彼女はいつもその場所で柚木を待っているから。
本当に、馬鹿なヤツ。
人の為に泣いて。人の為に傷付いて。
だけど、そんなお前を、俺は決して嫌いじゃないよ。
お前が俺の為に流してくれたあの頬を伝う涙を。
生まれて初めて、人が流す涙を。
あの時、俺は。
間違いなく、綺麗だと思ったんだ。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.9.27】
「そんな瞳で僕を見ないで/優しい嘘」の後話。「優しい嘘」の前にこの話を書いてるんですが、ここで柚木が香穂子が泣いた理由を考えるので、その理由を香穂子に語らせたことで、「優しい嘘」という話が出来上がった気がします。全ては何処かで繋がっている、とね!(笑)
これも後半の柚木のモノローグ部分が気に入っていたりします。
白柚木は私から一番遠い場所にいるキャラクター像なので(笑)黒か灰の柚木だと結構すんなり書けるんですよね。


