「普段からしょっちゅう、美しいものを絶えず目にして、質の良いものを見抜く力を養えって言ってませんでしたっけー?」
柚木の呆れたような声に怯まず、負けじと香穂子が言い返す。
生意気だよ、お前。と、柚木が片方の拳で香穂子の頭を軽く小突く。
柚木が星奏学院から巣立った後、初めてのデートに香穂子が誘ったのは、よりにもよって、休日の馴染んだ学院の校舎。音楽科棟のその裏。
花見シーズンには穴場になる、絶景の桜並木。
3年生が卒業し、春休みに突入したばかりの校内には、年度明けに新人戦が控えている運動部の生徒がグラウンドや体育館に点在している他は、あまり生徒の影がない。公式認定の花見ポイントだと人が多いということで、今年の二人の花見はひどく身近な場所で、お手軽に行われている。
「美しい風景であることは否定しないよ。だけどそれとこれとは話が別だろう?」
桜が咲いたから、花見。
この単純な図式をわざわざ実行しようという神経が、いまいち柚木には理解出来ない。
「どうせ、毎年同じ風景だよ」
「……これだから、普段からイイものを見慣れているおぼっちゃまは」
淡々と言ってのける柚木に、苦々しい顔つきで香穂子が吐き捨てる。
……余談だが、柚木の本性に触れて、慣れて来るうちに、それに対抗しなければならない香穂子も随分と口が達者に、……ハッキリ言ってしまえば、悪くなった。それでもその口の悪さは柚木の悪態から導き出されるものなので、結局のところは全て柚木の責任なのだと香穂子は思っている。
「同じ風景なんて、あるわけないでしょ!」
一つだって、同じ花はないのに。と香穂子は頬を膨らませる。毎年毎年、新しい花は咲いて散って。季節を越えて、また新しく息づく、去年とは違う花だ。
「……ふうん」
直接芝生の上に座り込んで、もう終わる寸前のしきりに散って行く桜の花に、二人は包まれている。黙って香穂子の言葉を聞いていた柚木は、膨れてそっぽを向いた香穂子の横顔を、ちらりと横目で眺めてみる。
毎日校内のどこかで見ていた以前とは違い、卒業後、少しだけ久し振りに逢う彼女の横顔。……確かに、去年と同じ人物であるはずなのに。数日見ないうちに、どことなく変わってしまったように思う。
……それは、柚木に逢うために、彼女がして来た薄化粧の所為だけでなく。
「……腹が立つね」
正直な気持ちを声にしてやった。
それが自分の為であろうと。
自分が見ていないうちに、勝手に綺麗になられるのは、腹が立つ。
……所詮、彼女を自分の思いどおりには出来ないのだと。
思い知らされたみたいで。
「それっくらいのことで腹を立てますか? ホントに意外に先輩って心狭いって言うか、子どもですよね!」
目を丸くして香穂子が傍らの柚木を見た。そういう彼女も、本当に柚木に放つ言葉は容赦ない。柚木が遠慮をしないからこその相乗効果なのだが、お前、他のコンクール参加者たちにはそういう反応しないだろうと、増々不愉快になる。
「何とでも言いなよ。腹が立つものはしょうがないだろう」
溜息混じりに言いながら、柚木はふと、香穂子の頭上へと手を伸ばす。反射的に身を縮めてぎゅっと目を瞑った香穂子に苦笑しながら、髪についた花びらを指先で摘んで、取ってやった。
「……俺のものに、気安く触れるなんて。……ねえ?」
恐る恐る目を開けた香穂子に、にっこりと笑ってみせて、柚木は指先の花びらをふうっと息を吹きかけて、飛ばしてやった。
「……えーっと」と。
香穂子が、困ったような上目遣いで、柚木の様子を伺った。
「それってー、あの。桜に言ってるわけじゃないですよ、ね?」
「他に、何か君にちょっかい出す輩がいるのかい?」
付け入る隙のない完璧な笑顔で、悠然と柚木は言ってのける。再度香穂子がえーっと、と呟きながら、視線を空に泳がせた。
「いや、そういう問題じゃなくて。桜に嫉妬しますか?……普通」
「……お前、本気で分かってなかったんだね」
最初から、些細なことにいちいち文句を付けずにはいられないほど、柚木が不機嫌だったわけ。
柚木の為に、綺麗に化粧を施して来た、少し見ない間に美しくなった彼女は、最初から、降り落ちる桜に歓声をあげることに夢中で。
全く、柚木の方を見ようともしない。
「やっ……そ、それは。やっぱりちょっと照れくさかったと言いますか……」
慣れない化粧もしているし、柚木を直視することが恥ずかしかったから、誤魔化してしまったのだ。
もちろん、桜の散り際の美しさに、ついつい夢中になったことも否定しないけれど。
「一応、悪いと思っているんだね。だったら、甘んじてお仕置きを受けてもらわないと」
言った柚木はどことなく楽しそうだ。香穂子は背筋を冷たいものが流れて行くのを感じた。
「お仕置きって……」
「簡単なことだよ」
柚木は手を伸ばし、香穂子の頬にそっと触れる。先程までの作り物の綺麗な笑顔じゃなくて。
少しだけ切なげな、穏やかな笑みをその唇に浮かべる。
「俺以外のものが触れた場所を、消毒するだけ」
「えっ……」
香穂子が目を見張る。
その『俺以外のもの』が、先程の話の流れから、散る桜の花びらを指すのなら。
止め処なく散る花びらは、もう既に、香穂子の身体の至る所に触れている。
柚木は、そっと香穂子に身を寄せる。
腕の中に香穂子の身体を抱いて、まずは髪に。
そして、身を屈めて、その柔らかな頬に。
優しい、優しいキスをする。
「せ……せんぱ……っ!」
真っ赤になった香穂子が、身を起こして柚木を仰ぎ見ようとする。
その、顔をあげた瞬間。
狙いすましたように。
リップグロスに濡れた唇に、ひらりと降り落ちる、桜の花弁。
「……ここも、消毒しろだってさ」
指先でそのグロスごと花びらをぬぐい去り、神様が言ってるよ、と、柚木が笑う。
そんなわけがないでしょうと、頬を染める香穂子が、ちらりと柚木を睨み付けて。
それでも、縋るように柚木のシャツの袖を掴んで、目を閉じる。
微かに開いた彼女の唇に。
髪に、そして頬に触れた優しいキスよりも。
もう少しだけ甘いキスを与えて。
そうして、終始桜へと向けられていた彼女の熱い視線を。
柚木はようやく、自分の方へと取り戻したのだった。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.9.28】
更に楽しかったですよ!(大笑)
軽く甘いもの、第二弾。自分で書いててもぞもぞしました。(どうなの)お題からしてこういう展開しか思い浮かばなかったんですが。
桜ネタだったのは、もちろん私が好きだってのもありますが、髪にも頬にも触れるものを考えた時にまっ先に浮かんだ題材だったからです。
そんなに深いことは考えていない書き手です(笑)


