アイコンタクト

加地×日野

 ふと、右隣から視線を感じた。
 香穂子は真面目に両手で握り締めた現国の教科書を見つめている。黒板前にいる教師が朗読する文面をなぞっているけれど、正直に言えば、頭には入って来ていない。
 教科書で顔を隠すようにして、香穂子は視線だけをちらりと右隣に向けてみる。頬杖をついて、香穂子の方を見つめていた視線と、香穂子の視線がぶつかった。
 相手の方は香穂子の視線を受け止めると、すぐに柔らかく笑んで、目を細める。
 その眼差の甘さに、香穂子は頬が熱くなるのを感じながら、慌てて視線を教科書へ戻し、また頭の中には入って来ない字面を目で追うのだった。




「……心臓に悪いんだけど」
 普通科校舎の屋上。存在すら知る生徒が少ないこの場所は、加地と香穂子の格好の休憩場所だ。今日もしっかり購買で食料を買い込んで、段差に並んで腰掛けて、数十分の昼休みを二人で満喫している。
 加地が争奪戦に参加してゲットしてくれたハムとチーズのサンドイッチをぱくりと食わえ、ぼそぼそと香穂子が呟いた。
「え、何のこと?」
 そ知らぬ振りで、惣菜パンを食べる加地が首を傾げる。とぼけないでよ、と香穂子が加地ににじり寄った。下から覗き込むように加地の顔を見つめ、指先を突き付ける。
「授業中! こっち見るの止めてって何度も何度も!」
 頬を赤く染める香穂子が、足元のコンクリートを踏み鳴らす。
 ただ、見ているのならばいい。
 だが、その頻度と見つめる時間には、節度を持って欲しいと思う。
 何よりも、加地の場合は何というか……香穂子への想いが丸分かりなのだ。
 加地が自分を好きでいてくれることは知っている。同じ想いは香穂子にもあるから、優しく甘く見つめられることが嫌だとは言わない。それでも、時と場合というものはあってしかるべきではなかろうか。
 少なくとも、授業中に教師そっちのけで香穂子に意識を向けているのは誉められたことじゃない。
 ……それしきのことで彼の完璧過ぎる成績そのものに悪影響が及ぶとは、本当は香穂子も思ってはいないけど。
「ああ、でも。それは仕方がないよね」
 香穂子の懸命の訴えも虚しく、加地は空を仰ぎながらあっさりとそんなことを言う。
「だって僕は、もっともっと香穂さんに知ってもらいたいんだもの。僕がどれくらい、君のことが好きなのか」
 思えば出逢った頃から、ちゃんと加地は言葉で香穂子に想いを伝えていたと言うのに、肝心な彼女は「またまたあ」と照れて、全く本気で受け取ってはくれていなかった。ちゃんと言葉にしても伝わらないものを、若干鈍い彼女にきちんと受け取ってもらうには、むしろ不必要なくらいのアプローチが必要なわけで。
「だって、それは……。そういう意味だなんて、思ってなかったんだもん。加地くん、『ファンだ』なんて公言するから」
 俯いて、小さな声で香穂子が弁明する。
 ファンと名乗られることも自分には不似合いな気がしたけれど、演奏を気に入ってくれたことは素直に嬉しかった。だから、その演奏への賞賛なのだと、信じて疑っていなかったのだ。だから、その中に混じっていたという香穂子本人への加地の想いを、香穂子は見つけ損なっていた。
「……そうだろうね」
 落ち着いた声音で、苦笑する加地が溜息と共に小さく呟いた。

 もちろん、言葉の奥底にある彼女自身への加地の愛情なんて、彼女は知らなくてよかった。
 その想いは、所詮叶うはずがないと加地は初めから諦めていたのだから。
 香穂子の負担にしかならないだろうと、加地は彼女へ向ける憧憬の念の奥底へ、丁寧に丁寧に、愛情という名の想いを隠し続けていた。
 だけど、彼女は。
 隠していた愛情を、見つけ出すことはなくても、あっさりとこんな自分を受け入れてしまったから。
 彼女を想うことを許されてしまったから、隠して来た、育ち過ぎの愛情が、簡単に溢れ出てしまう。
 どうせ曝けずにはいられない想いなら、きちんと彼女には知って欲しい。
 だから、目の前に彼女の存在があれば、加地はたくさんの想いを込めて、彼女を見つめずにはいられない。そうして彼女を見つめる眼差には、言葉では言い表せない香穂子への想いを、全て込めるのだ。

「でもまさか、今更僕の気持ちが分からないなんて言わないよね?」
 にっこりと笑って加地が首を傾げる。手を伸ばして、香穂子の手を掴まえる。ぐい、と力を込めて引き寄せると、香穂子の華奢な身体は難無く加地の腕の中に収まった。
「ていうか、加地くんの場合、直球ストレートでひねりなしだから、分かり過ぎて困るんです!」
 勢いでこつんと加地の胸に額をぶつけた香穂子が、えいやと掌で加地の胸を押し返して叫ぶ。
 その拒絶を許さずに、加地は香穂子の腰に両手を回して、がっちりと逃げられないように彼女の身体を固定した。
「……じゃあ、僕が今想ってることも、分かる?」
 正面からぶつかり合う、加地と香穂子の視線。
 わずかに目を細めて香穂子を見つめる加地の視線は、いつも通りに甘く、優しく。ほんの少し、確かな意志を帯びて。
 恥ずかしくて、いっそ思いきり反らしてしまいたいのに、加地の目が真剣過ぎて、反らせない。
「……わ、……からない、もん……」
 それでも、加地の思い通りになるのは悔しくて。
 精一杯強がって、香穂子は細い声で否定の言葉を告げる。
 一瞬目を見開いた加地が、呆れたように笑った。
「……香穂さんは、結構意地っ張りだよね」

 でも、本当は。
 君はもう、その答えを知っているよ。

「だって、君も。……僕と同じものを望んでいるはずだから。……ね」

 違う、と呟いた香穂子の声は、加地の唇の奥へ隠される。
 例え言葉にしなくても、これだけの至近距離で交わすものであるならば。
 同じ想い、同じ願いは、見つめ合った視線で伝わる。

 それを証明するように。
 加地を拒むようにその制服の袖を掴んでいた香穂子の指先は。
 何度か繰り返される口付けの合間に、ゆるゆると加地の背へ縋り付いた。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.7.27】

加地にこのお題が来た時に、くじ引きを手伝ってくれた方と、「加地のアイコンタクトはとってもウザいに違いない」という話をした覚えが(笑)
加地には今回ホントに書きにくいお題が集まってしまったので、この話は比較的書きやすかった覚えがあります。
そして若干黒い加地を「うぬぬ、加地め! やはりそういうヤツだったんだな」と唸りつつ書いてた書き手(笑)

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