一方的に寄せる愛情、受け止める彼女が戸惑っているのを分かっていながらも、止められない想い。
(君のヴァイオリンが、音色が。大切で、好きで、どうしようもなくて)
その音をもっと近くで聴きたくて、転校までしたのだと白状したら、彼女はとても驚いていたっけ。
「だって、加地くんが前にいた学校って、凄くレベルの高い高校なんでしょう? ……何で」
目を丸くした彼女が、言葉を続けられずに絶句した。
そんな香穂子に軽く笑いながら、加地が小さく肩をすくめる。
「僕にとって、有名進学校を卒業したっていうステータスよりも、君の音色をもっと近くで聴くことの方が、ずっとずっと意味のあることだったからだよ」
それに、香穂子が卑下するほどに星奏学院というステータスは、悪いものじゃない。
転校を決めた時、相談を持ちかけた元卒業生の両親は、「まあ、自由な校風だし、お前には案外合った選択なのかもしれないな」とあっさりと納得してくれた。通う学校がどこであろうと、加地の立ち位置を疑わない、更に、可愛い一人息子の我侭は何でも聞いてくれるという、親バカ的な見解がそこにはあっただろうことは否定しないが。
「だからって……そんな」
曇った顔で、香穂子は俯く。
そんな表情をさせたいわけじゃないんだけどな、と加地は内心溜息をつく。
人一人の未来を変えてしまったことに、ここまで香穂子が罪悪感を覚えるのは、以前彼女が加地に教えてくれたことが原因なのだと思う。
彼女を音楽の世界へ引きずり込んだ、魔法のヴァイオリン。
……それがどうしたと加地は言ってやりたい。
上手いから、技術力が高いから。……それだけで、彼女の音色に惹かれたわけじゃない。
彼女の音色に見隠れする、優しさや、穏やかさや。
そして、何人にも侵食されることのない清らかさが。
何よりも、加地の耳と、心をと捕らえて離さないのだから。
(僕の愛情は、重いでしょう?)
分かってるんだ。
そこまで、致命的に鈍感じゃない。
魔法という、不可思議なものに頼ったままだったと彼女が思い込んでいる、彼女の音色。
それに、運命を変えられた者がいる。
それを、まざまざと目の前に突き付けられることは。
誰かの運命を変えてしまったという罪悪感を、同時に彼女の目の前に突き付けるんだ。
(だから、君は僕が嫌いなのかな?)
加地が彼女の音色へ捧げる愛情を、彼女は素直には受け取ってはくれない。
いつも、困ったように。
……少しだけ辛そうに。
加地の賞賛を受け取っている。
(嫌いなら、それでもいいよ)
(ただ、君の音を側で聴かせてくれれば、それだけで)
でもさ。
それが、僕が自分の本心に嘘をついているんだってことも。
……君が、僕を嫌いじゃないってことも。
本当は、僕も分かっているんだよ。
「……日野さんが、そういう言い方をするっていうのはさ」
ぽつりと加地が呟く。香穂子が応じるように、顔を上げた。
「罪悪感を抱いてくれるのは。僕の存在が迷惑じゃないからだよね?」
加地の存在が邪魔ならば。
嫌いならば、彼女は逆に不可思議な力を経て音楽という道に踏み込んだことを、もっと簡単に開き直れたはずだ。
勝手な加地の想いに、彼女が胸を痛める必要なんてないのに、それでも彼女が加地の存在に傷付くのは。
例えば、それが恋じゃなくても。
加地に向けての好意と呼べる感情が。
確かにそこには存在するから。
躊躇うように、香穂子は少し視線を宙に泳がせて。
そして、加地の目を見つめ返し、こっくりと頷いた。
加地の与えてくれるものが嬉しいから。
ありがたいと思えるから、余計に彼の運命を狂わせたことを申し訳なく思う。
加地が、全てを放り投げて追ってくれるほど、価値のある音色なんかじゃない。それでも、自分の音色を愛おしんでくれる存在に、香穂子は確かに救われていた。
ふふっ、と小さく加地が笑う。
嬉しいなあと、本当に、心の底から嬉しそうに、呟いた。
ねえ、日野さん。
僕の、君のヴァイオリンに向ける愛情が重いなら。
僕自身を嫌いでもいいから。
君は、君の音色を手放さないでいて。
僕が諦めて、簡単に放り投げてしまったことを。
君は最後まで、握り締めていて。
そして、そんな僕の存在が。
君が君の音を手放さないための力になれるなら。
少しでも君が音楽の道を歩いていくための糧になるのなら。
……僕の存在を、ほんの少しでも君が愛おしんでくれるなら。
今日、ここに。
君の側に、僕の存在がある現実は。
決して、意味のないことなんかじゃ、ないんだよ。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.8.1】
甘さもへったくれもないんですが、私的に好きな話だったりして。
特に後半の加地のモノローグは、自分で言わせたかったことをちゃんと言わせてやれたなあと思います。が、果たして本当にヤツは自分の愛情が重いとちゃんと分かっているのだろうか!(笑)


