お互いの想いを知って、それでも卒業までは何も変わることはないと告げた時の、彼女の言葉。
その瞬間の、届いた気持ちの幸せの味だけを噛み締めて、陰りのない笑顔で頬を染めた、あの時の彼女。
(お前さんは、いいな)
呆れたように笑って、溜息と共に金澤が彼女に告げたのは、そんな言葉。
(ずっと、続いていく気持ちを信じていられて、いいな)
永遠に続くと思っていた愛情は、いつかは冷めて、腐って堕ちるのだと。
知ってしまったのはもう、今では遠い昔のこと。
「先生はやっぱり大人の人なんですね」
音楽準備室で、金澤のためのコーヒーをいれながら、苦笑する香穂子がそう呟いた。回転椅子をぎしりと鳴らす金澤はふと眉を上げる。頭で考えるより先に、白衣の胸ポケットに手をやって、そこに何も入っていないことに気付いて軽く舌打ちをした。禁煙もなかなか楽なことじゃない。
「何だよ、俺はいつだって大人の頼りになるセンセ-だろ?」
「先生が頼りになったことは一度もないですよ」
真顔で即答されて、金澤はがっくりと肩を落とす。冗談です、と楽しそうに笑う香穂子が、湯気の上がる金澤専用のコーヒーカップを机の端にかつんと音を立てて置いた。
「でも、ちょっと冷めてるっていうか。……諦めてるとこがあるのかな?って思うから。そういうところが大人なのかなって思っちゃう」
簡易キッチンの側に予め入れて置いていた、自分用のココア入りのマグカップを持ち上げて、香穂子が立ち上る湯気にふうっと息を吹きかけた。
「……そこまで、人生に嫌気がさしてる気はないんだがなあ」
意外な指摘に、指先でかりかりとこめかみを掻きつつ、金澤がぼそりと呟くと、香穂子は小さく首を傾げた。
「でも、私の気持ちを信じてませんよね?」
思わず目を見開いた金澤が香穂子を振り返る。キッチンに背中を預けて立っている香穂子は、両手にマグカップを抱え持ったまま、一つ大きく瞬きをした。
「……俺は、お前さんの気持ちを疑ってるわけじゃない」
「でも、卒業までこのままなら、そのうち私が先生を諦めると思ってる」
低い声で金澤が呟くと、香穂子は戸惑うことなく金澤の気持ちを指摘する。困ったように自分を凝視する金澤に少し笑って、視線を伏せた。
「そんなふうに、人の心は移ろうものなんだって先生が諦めてるから……だからあの時、ああ言ったんでしょ?」
香穂子は、ずっと、金澤を好きだと言ったけれど。
その永遠を信じられていいなと、苦く笑った金澤は、確かに香穂子の想いの存続を信じてはいなかった。
「……永遠は、ない」
ぽつりと金澤が言う。
世の中を斜に見て嘯いているような軽い言葉じゃない。
金澤が自分の経験として知っている、重みのある真実の言葉だった。
「人の心は変わるんだ。どれだけ永遠を願っても」
「……はい」
てっきりそんなことはないと否定するかと思った香穂子は、金澤の予想に反して、素直に頷く。拍子抜けした金澤が、ぽかんとした。
「永遠なんて、ないですよ」
駄目押しのように香穂子は繰り返す。穏やかな笑みを浮かべて。
永遠なんてない。
そんなことは分かっている。
金澤のように達観は出来なくても、それが分かる程度には香穂子も大人になったのだ。
幼かった子どもの頃のように、ずっと何も変わらないなんて、心の底から本気で言ったりは出来ない。
……それでも。
「でも安心して下さい、金澤先生。私は毎日毎日、新しい気持ちで先生のことを好きになりますから」
同じ温度で、強さで。
この想いを持続して、永遠に抱いていくことは出来ない。
でも、恋に落ちた瞬間は確かにあったのだから。
その瞬間を繰り返すことは出来るはずで。
確かに、強くなったり深くなったり、軽く浮いたり嫌気がさしたり。
その想いの明度は、日によって変わっていくのだろうけれど。
不揃いな細切れのその瞬間を繋ぎ合わせていけば。
それが、香穂子の命の終わりの日まで続くのであれば。
それは、まごうことなき「永遠」だ。
呆気に取られて、香穂子の言葉を金澤は聞いている。
満面の笑みで、香穂子は金澤の様子を伺っている。
やがて、金澤は可笑しそうに笑い出す。
長い間肩を震わせて笑っている金澤を、香穂子は妙に自信たっぷりの表情で見つめていた。
「……全く、お前さんには適わんなあ」
ようやく笑いを収めた金澤が、カップを片手に椅子から立ち上がる。
キッチンに佇む香穂子の側まで歩み寄ると、空いている片手を伸ばして、香穂子の髪をくしゃりと掻き混ぜた。
「だが、……確かにそれくらいなら、俺にもできるのかもしれないなあ」
微笑んで告げた金澤に、手櫛でぐしゃぐしゃにされた髪の毛を不服げに直し始めた香穂子は。
金澤を見上げると、嬉しそうに笑って。大きく頷いた。
永遠なんてない。そんな不確かなものは信じない。
その気持ちは今も決して変わらない。
それでも、一歩ずつ確実に踏みしめて歩いていくささやかな『今日』の幸せを、ずっとずっと繰り返して繋いで生きていくのなら。
それを命が尽きる瞬間の、その『終わり』まで続けていくことが出来るのであれば。
限りある幸福は、抱き続けた者にとっての。
確かな、『永遠』になる。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.9.22】
自分で書くことになるのなら、金やんか柚木に来て欲しかったお題です。お題ほど絶望的なことを書いた印象はないですが、身も蓋もないなとは思います。でも普通にJ-POPとかでも「この愛は永遠だ」と歌われると「嘘こけ!」と反論するあまのじゃくですからね!(笑)
書き手の渡瀬自身がそういう考え方なので、渡瀬が書くキャラクターは総じて「そう」なんですよね。だから、火原とか志水とかはそういう意味では対極にいて、書きづらいわけなのです。


