視線そらさないで

金澤×日野

「せーんせ」
「はーい」
「先生。ってば」
「だから、はーい」

 森の広場、あまり生徒たちが知ることのない茂みの奥。
 金澤曰く、猫神様が取り仕切っている、ここに住み着いている猫たちの会合場所。
 その芝生に座り込んで、幾つか持ち込んだ猫缶の中身を、茂みの根元に隠したプラスチックのエサ容器の中に鼻歌混じりで移し変えている金澤は、香穂子の呼びかけに生返事で答えている。
 香穂子と金澤は秘密の恋人同士だ。
 楽観的そうに見えて、怠け者のように思えて、実は意外に面倒見のいい傷付きやすい大人だった金澤を、香穂子は好きになった。全力で、体当たりで追いかけて、金澤に自分を好きになってもらった。……金澤はそれを認めてはくれたけど、でもこれからの関係に当たっては但書きを付け加えた。
(大っぴらに恋人だと言うのは、お前さんが高校を卒業して、教え子と教師じゃなくなってからだ)
 俺から職を奪って、路頭に迷わすなと、冗談混じりに金澤は言ったが、その但書きが彼の立場を守るものではなく、むしろ香穂子の立場を守るためであったことは、いくら香穂子であっても想像が付く。
 だから、学校では教師と教え子のボーダーを越えないために、多少素っ気無いのは仕方ないとする。
(でも、猫に負ける私って……)
 エサを準備するのに一生懸命で、全く香穂子の話を聞こうとはしない金澤に若干……いや、実際のところ、かなり……香穂子は腹を立てる。
 確かに、お互いの立場を守ることは大事だけれど、ちょっと視線を合わせるくらいのこと、してくれてもいいのではないか。
(それだけで、幸せになれるのに)
 香穂子は素直な性質故に、自分の欲求にも正直で。
 だが、その抱く欲求というものはあまりにもささやかなものだった。
「……もう!」
 焦れた香穂子が、背中を丸めて座っている金澤に歩み寄り、後ろからえいっとどついてやった。
 不意打ちの攻撃に思わず金澤は芝生の上に転がってしまい、香穂子がその上に馬乗りになって仰向けの金澤を覗き込む。
「いたたたた。無理のきかん大人に無茶なことするなあ、お前さんは」
「先生が、話聞いてくれないから実力行使です」
 肘を付いて半身を起こし、やれやれと頭を掻く金澤に、しれっと香穂子が言ってのける。
 別にどうしても聞かせなければならない重要な話題があったわけではないのだが、視線も合わせてもらえない、のんびりと芝生に点在して寝転がっている猫共に負けているこの状況は、やっぱり納得が行かなかった。
「せめて、3回に1回は視線反らさずにこっち見て受け答えして下さいよ。一生懸命話してる私が、すっごく虚しいじゃないですか」
 むうっと膨れる香穂子をしばし眺め。
 それから、金澤はちらりと辺りに視線を向ける。
 幸いなことにどこをどう見ても、ここには猫連中しかいない。
 金澤は残念なことに人間の出来た聖人君子などではないから。
 与えられたこの好機を、無駄にする気など全くない。

 馬乗りの香穂子の幾分下方からちらりと視線を上げ、金澤は笑う。
「それはそうとして。……随分お前さんは大胆だなあ? 日野」
「え?」
 ぱちりと瞬きをして、香穂子はそうっと自分と金澤の状況を見直してみる。
 芝生に仰向けに倒れた金澤の上に、馬乗りになる自分。
 ……さあっと血の気が引いた。

 もちろん、こっちを見てくれない金澤の注意を何とかして引きたかっただけで、香穂子の方に何ら下心や狙いがあったわけではない。
 香穂子はただ、猫にエサを与えながらでも、他愛無い会話を金澤と楽しめればよかったのだから。
 だが、この現状は。
 香穂子が金澤を襲っていると捉えられかねないこの現状は。
 ……非常に、マズイ。

「ご、めんなさい! 私、全くそういうつもりじゃ……」
 慌てて香穂子が金澤の上から退こうと身を起こす。だが、金澤はそれを許さなかった。
 芝生に肘を付いていない片方の腕を持ち上げて、金澤はしっかりと香穂子の二の腕を掴んだ。
「あー、何だ。俺が、お前さんの目を見て話さない理由、だったか?」
「ちょっと、先生……!」
 ぐい、と金澤が香穂子の細い身体を引き寄せる。至近距離で金澤の顔を覗き込む体勢になった香穂子が、何が何だか分からないというように、ぱちぱちと瞬きをした。

「特にこういう誰もいないところで、お前さんから視線を反らさずに、真摯に見つめられるとだな」
 こういうことがしたくなるからだよ、と呟いた金澤は。
 音を立てて、間近にある香穂子の唇に、軽やかなキスをした。

「なーっ……!」
 真っ赤になって身を起こした香穂子は、手の甲で唇を押さえつつ、もう片方の手でどんっと金澤の胸を押す。不意の攻撃に身体を支え切れなかった金澤は、芝生に頭を打ち付けた。
「お前さんから襲って来たクセに、なんちゅう酷い真似を……」
 後頭部を押さえてうずくまる金澤に、その場に仁王立ちになった香穂子が、自業自得です!と金澤を睨み付ける。
「だいたい、襲ったって何ですか!? 襲ったって……!」
「……まあ、故意にやったことじゃないってのは、分かっちゃいるがなあ」
 まだずきずきと痛む頭の後ろを掌で押さえながら、起き上がってその場に胡座をかいた金澤は、立ち尽くす香穂子に、意地悪く、にやりと笑ってみせるのだった。

「誰も見ていない状況で、惚れた女に真っ向から見つめられて、手を出さないほど俺は出来た教師じゃないってことだ」

 悪びれもなく言ってのける金澤に真っ赤になった香穂子は、わなわなと怒りに拳を震わせて。
 まともに視線をそらさないでいてくれたら、それはそれで、香穂子の予想外のことをしでかして、結局は幼い香穂子を翻弄する目の前の大人に。
 この震える怒りの鉄拳を食らわせるべきか。
 それとも、不意を付いて、先ほどの金澤の攻撃をそのまんまお返ししてやるべきか。

 究極の選択に、しばし迷うのだった。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.9.22】

バランスを保つために書いてみた、馬鹿ップル系の話(笑)
基本的にうちの金やんは香穂子の卒業まで、教師と生徒の境界を守ってくれるんですけども、たまにはこういうことがないと、金澤自身も不安だろうし、いろいろ持たないよなあと考えます。
それでも、天羽とか、それこそ吉羅とか、二人の周りのホントに親しい友人には案外バレているんでしょうが(笑)

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