休日、二人で出かけた後の帰り道。
周りの風景は綺麗な夕焼けの茜色で、そんなふうに辺りの色を変える空を見やった後、ふと香穂子は自分達の足元に伸びる影を見つける。
香穂子も王崎も、人前で大っぴらにいちゃつくようなタイプではない。そうしたくないわけではないけれど、おそらくは二人とも、照れくささの方が先行してしまうのだ。せいぜい手を繋ぐくらいが関の山。
だが足元に伸びる影は、当然のことながら元の存在である香穂子と王崎の距離以上に近付いたりはしないけれど、ほんの少しだけ境界線が曖昧で。手と手がちゃんと繋がっているから、まるでたった一つのものみたいだ。
「……羨ましい?」
静かな笑いを含んだ声が、突然響いた。
香穂子がびくっと肩を震わせて、反射的に隣の王崎を見上げる。
何だか心を言い当てられたみたいで、驚いた。
穏やかに笑んだ王崎が真直ぐに、目を丸くしている香穂子を見つめていた。
「あのっ、羨ましいとか、そういうことじゃ、全然ないんですけど!」
しどろもどろに香穂子が弁明する。頬が熱くなって、赤くなるのが自分でも分かる。夕焼けの所為にしたいけど、それはやはり無駄で、本当は全部バレバレなんだろうなと思いながらも、最後の抵抗とばかりに、香穂子は王崎から視線を反らして、爪先を見下ろした。
しばらく、香穂子と王崎のスニーカーが地面を踏む、互い違いの小さな足音を聴いていた。歩調は変わらず、二人を取り巻く空気も変わらず。
ただ、相変わらず穏やかな王崎の声だけが、ぽつりとその静けさの中に落とされた。
「そう? ……おれは、羨ましいと思ったよ」
もう、王崎は香穂子が生活する学び舎を巣立った存在で。
OBとして、オーケストラ部の練習を見に来るとは言ったって、所詮は週3回の限られた時間。
バイトや、本業である大学生活、ヴァイオリンの練習などで、決して時間に余裕のあるキャンパスライフを満喫しているわけじゃなくて。
(……羨ましいと思うよ)
香穂子と、同じ学び舎で同じ時間を過ごせる、後輩たちを。
そして、簡単に一つのものとして解け合える、目の前の自分たちの影すらも。
こんなふうに、境界線が分からなくなるくらい重なって、融け合って、たった一つのものになれたらいいのに。
そうしたら、こんなに嫌な気持ちを抱かなくて済むのに。
「……おれ、意外に独占欲が強かったんだなって。我ながら、呆れてる」
簡単に。
苦笑混じりで、世間話の続きみたいな口調で、王崎が香穂子に告げてくれるから。
香穂子は香穂子で、その言葉に込められた重要性と、……妙な幸福感を。
実感するのに、少し間があった。
「……先輩?」
足元を見つめたまま、香穂子が小さく呼び掛ける。応じる王崎は、一つ頷いた。
「うん」
「それって。ちょっと。……深読みすると、何だか私がすっごく嬉しいことになる気がするんですけど……」
誰にでも優し過ぎて、誰をも平等に扱い過ぎて。
いろんな意味で、誤解されやすい人だと教えてくれたのは、誰だったっけ?
「深読みする必要ないよ」
そのまんま、呑み込んでくれたらいいんだよ、と。
やっぱり王崎は、変わらぬ穏やかな声で告げるのだった。
「そのまんま……呑み込む」
ぽつりと、香穂子が王崎の言葉を繰り返す。意味を理解するのに、時間がかかる。
苦笑する王崎が、ぴたりと足を止めるから、そのまま数歩歩いた香穂子もすぐに否応なく引き戻されて、石畳で不揃いな足音を立てた。
「先輩?」
訝しげに香穂子が振り返る。
「……香穂ちゃんは、案外おれのことが分かっていないよね」
夕焼けの茜色。
染まる、辺りの景色。
王崎の頬も、同じ色に染まって見えるのは。
ただ、夕焼けの色を映す所為?
自分でも知らなかった。
だが、意外にも強かった独占欲。
一緒にいたいと願う。
……誰よりも側にいたいと願うよ。
一部を融かし合う、足元の自分たちの影すらも。
羨ましく思うほど。
だけど、それ以上に。
もっと簡単に。
一つのものに融けて合わさる方法を。
おれは、ちゃんと。……知っているんだ。
繋いでいた手を引き寄せて。
腕の中に転がり込んで来た華奢な身体を、ぎゅっと抱き締めてみる。
驚いた香穂子が、慌てて王崎の胸に片手をついて、無防備に顔を上げたりするから。
予想以上に思惑通りで、笑いながら王崎は身を屈める。
抱き締めたまま、強く香穂子の唇に口付けると。
王崎の腕の中に収まった香穂子の影は、王崎の影に融けてしまって。
一人分にしては少しだけ形がいびつな影は、それでも境界が曖昧で、どこまでが王崎のもので、どこからが香穂子のものなのかが分からない。
唇を離してしまえば。
彼女の身体を解放してしまえば、簡単にほどける束縛だと分かっているけれど。
重なる影に、一瞬の。
一つのものになる、夢を見る。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.8.9】
先輩も意外に黒かった(違)
2やらアンコやらをやってると、人が良くったって苦労はそれなりにあるんだなあと思うので、逆にこういう一面を彼が持っていても不思議じゃないんだと。
多面性を書くのは嫌いじゃないのです。だって、ネタが増えるから(身も蓋もありません)


