瞬きのたびに焼き付ける。
大切な何かを失うということが、身を切られるほどに辛いことなのだと。
言葉だけでもなく、漠然とした印象のみでもなく。
心の中で、はっきりとした形を持って分かり始めたのは、本当に、ここ最近の事で。
そうして手の中から消えていくものが、『どう』大切だったのかも、その不安を思い出すたびに、少しずつ少しずつ、鮮明になっていく。
せめて、どうしてもそうしなければならない瞬間が訪れるまでは。
そんな不安からは目を反らしたい。……そんな弱さも、偽りのない真実の思いではあるけれど。
別れの予感が、徐々に実感に変わっていくに連れ、彼女の側で過ごす一秒一秒が、今まで以上に大切に思えてくる。
瞬きすることすら惜しいと思えるほどに、自分は不必要なくらいに、彼女の一挙一動を見逃すまいとする。
「月森くんって……」
唐突な話題転換は、香穂子らしい奔放さの現れだ。
その奔放さを疎ましく思わず、当たり前だと慣れてしまうくらいの密度の濃い時間を一緒に過ごして来たが、この時はその前の香穂子の何気ない仕草に全ての神経を持っていかれていて、突然響いた香穂子の柔らかな声に、月森ははっと我に返る。
「最近、癖?」
真直ぐに月森を見つめる香穂子の澄んだ眼差が、おそらくは月森が一番多く見る彼女の欠片なのではないかと思う。彼氏彼女の間柄になって、無理に自分の気持ちを隠す必要がなくなってからの彼女は、余程の事情がない限りは、月森から目を反らすことをしないから。
その表情は、笑顔だったり怒り顔だったり、切なかったり優しかったり、その時の彼女の感情によって様々だったけれども、反らさずに、曇らずに月森を映す大きな澄んだ瞳だけが、どんな時も変わらない。
「癖……とは?」
あまりに唐突で、端的過ぎて、香穂子の言いたいことが良く分からない。
付き合い始めの頃は、こんなふうに彼女の意志を汲み取れない自分に、いつか彼女が愛想を尽かすのではないかと怯えていたこともあったのに、今の自分は、彼女がそんな自分に幻滅などしないことも知っている。
……それは自分にとって、とても安らかで。
同時に、とても痛い。彼女が自分へと与えてくれる想い。
「何か、いつも。じーっと私のこと見てるね」
香穂子の言葉に月森は、彼女には気付かれないくらい、ほんの少しだけ。驚いて目を見開く。
気付かれるつもりじゃなかった。
でも、やはり彼女は気付いてしまう。
「あんまり、見ててもいいことないと思うんだけどな」
ふふ、と小さく笑って、香穂子が風に乱される長い髪を、指先でかきあげる。
そんな些細な仕草を、自分はまた、囚われたようにただ、見つめている。
彼女は、どこまで知っているんだろう。
それとも、本当に知らないのだろうか。
……そんなことはないと、心の奥で、月森自身が理解している。
自分よりも、ずっと、もっと自分以外の誰かの気持ちに聡い彼女の事だから。
本当は、こんな自分の中に燻る矛盾には気付いているのだろう。
離れてしまわなければならないのに。
どうしても、彼女への想いを積み重ねていく。
救いようのない月森の姿に。
……ただ、彼女は月森よりもずっと強くて。
そして、どうしようもなく優しい女性だから。
月森には、気付いている真実を見せたりはしないだけで。
近く、月森と香穂子の間に訪れる別れは。
月森が、幼い頃から抱き続けていた夢を、諦め切れないが故の現実。
それでも、いつしか夢を追い続ける中で出口を無くしていた自分が。
彼女に出逢えたからこそ、本当に叶えたいと願えた夢でもあるのだから。
「……俺には、意味がある」
ぽつりと呟いた言葉に、香穂子が少しだけ驚いた表情で月森を振り仰いだ。
「意味があるんだ。君には分からなくても。……だから。……少しの間だけで、構わないから。許してもらえるだろうか。俺がただ、君を見ていることを」
香穂子のまっすぐな眼差が、ぱちりと一つ瞬いた。
反らさずに月森の顔を見て、そして彼女も、もう一度瞬きのシャッターを切る。
その瞬間の月森の表情を写し取り、心の中に収めて、そして読み解く。
「……馬鹿だなあ、月森くん」
ふわりと笑う香穂子が、白く細い指先を月森へ伸ばす。
月森の、弦に鍛えられた指先を、躊躇なくその手に取り、柔らかく繋いだ。
「そんなの、いちいち確認なんかしなくてもいいのに」
彼女の優しい言葉に、少しだけ安堵して。
愛おしさが増して、そして、切なくて。
繋いだ指先、月森の冷たい指先を暖める香穂子の熱が心地よくて。
目眩がしそうで。
月森は眩しいものを見るように、香穂子へと向ける視線を微かに細めた。
瞬きすることすら惜しいのに、それでも人間の本能としてほんのコンマ何秒ほど、否応なく閉ざされる視界。
それは、月森が己の瞳で、彼女という存在を焼き付ける儀式。
瞬きのたびに、カメラのシャッターを切るように、彼女のささやかな仕草をこの目に、心に、魂に焼き付ける。
そうして、月森という容れ物の中に小さく小さく降り積もっていく彼女という名の欠片は、いつしか月森の中を充分に満たして。
もう遠くはない将来に、離れ離れになる自分達を。
別の道を選んで、歩き出さなければならない、……弱い自分こそを、支えてくれる。
彼女に出逢うことによって満たされた自分の心。
彼女と離れることによって、また空っぽになってしまう自分の心。
……それでも、きっと。
確かに自分と彼女とが想いを交わしあったという、想い出という名に彩られる、決して忘れることのない事実と。
いつまでも胸の奥に残り続けるであろう、今、この瞬間にも焼き付き、降り積もり続けている彼女の欠片とが。
たった独り、遠い場所で夢に生きる自分を。
未来永劫、支え続けるだろうから。
あとがきという名の言い訳
自分で企画したあれだから、甘くないといけないかなとか思いつつも、このカップリングにこのお題となったら、切ない系を書かないといけないような気がしました(笑)


