まがり角の向こうには

火原×日野

 昼休み終了、午後の授業まであと数分。
 それを知らせる予鈴が鳴り響く中、いつものようにエントランスの入口で、香穂子は火原に向かって曇りのない、輝くような笑顔を見せる。
「じゃあ先輩。また放課後に」
 居眠りしちゃ駄目ですよ、と冗談なのか、物凄く的をついた忠告なのか、判断のつかない一言を告げ、香穂子はひらりと片手を振って、普通科校舎へ続く曲り角を、これっぽっちの躊躇いもなく、軽い足取りで曲がっていく。
 香穂子と同じような笑顔で香穂子の言葉に頷いて片手を振った火原は、そんな彼女の後ろ姿を曲り角の向こうに隠れて見えなくなるまで見送って、それから力なく、ゆっくりと上げていた片手を下ろした。
 ……以前、恒例になってしまったこの昼休みの別れの様子を見ていた友人に「飼い主に置いてかれた犬みたいだな」と笑われたけれど。

 だって、しょうがないじゃないか。
 これから放課後までの数時間、あの子の姿が視界に入らない。
 それがひどく寂しいって思えるくらい、自分はあの子がどうしようもなく好きなのだから。

 後ろ髪を引かれる思いで、火原は香穂子が消えた普通科校舎の方角に背を向けて、のろのろとした歩みで自分の教室を目指す。付属大学への推薦受験を希望している立場としては、どんなに気が乗らないとしても授業ぐらいはまともに出席していなければならない。
 実技の面ではそうそう問題はないのだろうが、如何せん、学科の成績にはこれっぽっちも自信がないのが現状なのだから。
(落ちたら、香穂ちゃん哀しむし……)
 ただでさえ、もう火原の受験が近いからと、登下校、昼休み以外の逢瀬は互いに控えているこの頃だ。推薦で決まらなくて、一般で受験などという流れになってしまったら、今でも充分に寂しがらせているであろう香穂子を、もっともっと寂しがらせてしまうことになる。
「……ってのは、実際は、おれの方なのかなあ……」
 はあ、と大きく溜息をつき、火原はがっくりと肩を落とす。

 なかなか二人でゆっくり逢うこともできない現状を寂しがるのも。
 そんな時間が継続されてしまうことを憂うのも。
 本当は、香穂子がそう思うんじゃなくて。
 単に、自分こそが。
 ……一番に。

(だって、香穂ちゃんは笑ってるんだもん)

 少しだけ、これっぽっちも寂しさを見せない強い恋人に、愚痴めいたことも思ったりもして。
 寂しいなんて思ってるのは、本当は自分だけなんじゃないかと猜疑心に苛まれてみたり。


 ふと、足を止めて。
 肩越しに振り返る。
 あの子が暮らす、自分には入り込めない、自分が生活する場所とは異なる、別校舎。
 曲り角の向こうにある別世界。

 普通科とか音楽科とか、関係なく人との付き合いを広げた方がいいという助言に従って、世界を狭めないように、片寄った考え方をしないように。
 分け隔てなく、いろんな友人を作って、そうして付き合ってきたつもりだけれど。
 今更になって、分かる。
 心と心に境界線はなくても。
 やっぱり、普通科と音楽科、異なる科の間には。
 ちゃんと、どうしても自分では入り込むことの出来ない、境界線があったんだって。

(だって、逢えないんだ)

 放課後、あの子があの校舎を後にするまで。
 窓越しの廊下を眺めても、偶然にあの子が通り過ぎるなんて奇跡は起こりようがなくて。
 隔たりなんてない、境界なんてないって、どんなに強がってみたって。
 あの曲り角の向こうには、火原の知り得ない、火原が容易くは入り込めない、あの子の暮らす世界が広がっている。


 憧れていた『恋』。
 甘く優しく暖かく、砂糖菓子のような印象で、ずっと心に思い描いていたけれど。
 本当は、時に苦く。
 そして、寂しい。

(でも、それが『本当』だから)

 受け止めて、繰り返して、本物にする。
 夢のような、中身のない偽物の『恋』を、本当の『恋』にする。

(だから、これも必然なんだ)

 寂しいけど。
 苦しいけど。
 その寂しさを、苦しさを。
 理解して、乗り越えることが必要なんだ。


 もう誰もいなくなった廊下で。
 火原はまっすぐに、香穂子が消えていった曲り角を見つめてみる。

 あの曲り角の向こうには。
 火原には知り得ない、容易くは入り込めない。
 香穂子が暮らす別世界がある。

 でも、そこに入り込めない現実を知ることが。
 ……火原と香穂子が、それぞれにそれぞれの人生を持つことを知ることこそが。

 互いの正しい距離を知り、ただ漠然と憧れていただけの『恋』を真実の『恋』にするための。
 大切な恋を、間違いなく守り続ける為の。


 その、第一歩になるはずだから。




あとがきという名の言い訳 

書きたかったのは、文中にある「飼い主に置いてかれた犬@火原」ですよ。
香穂子が結構平気そうに普通科校舎に帰ってくのを、耳と尻尾垂らしてじーっと哀しそうに見つめてたら萌!とか(笑)
どうも、渡瀬の中には理想と現実の狭間であたふたしてる火原が火原像であるような。
……ていうか、コルダの男性キャラって志水以外は皆そういう面があるような?(笑)

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