一緒に食べよう

金澤×日野

 少し授業終了には早いが、キリのいいところで本日の授業を切り上げた。
 現金な生徒達は授業終了の合図を告げたと同時に、蜘蛛の子を散らすように、昼食の為に教室を出ていく。
 やれやれと肩をすくめつつも、これが音楽科であるならば質問だ、意見だとなかなか解放もしてもらえないであろうから、普通科生徒達のこの切り替えの早さは、金澤に取っては意外に心地がいい。
 さて、自分も昼食か、と持ち帰らなければならない教材と、提出されたそれなりの厚みのあるレポートの束とを小脇に抱え、誰もいない教室を後にしようとすると、背後から聞き慣れた声が聞こえる。
 声の主は日野香穂子。誰に告げることも出来ないが、今一番、金澤が大切に、愛おしく思う少女。
 彼女が頻繁に音楽科校舎に足を運んでいたコンクールも終わってしまって、こうして校内で顔を合わせる機会もほとんどない。コンクール中は昼休みや放課後に、何かと理由をつけて彼女が金澤に逢いに来ることも多かったが、コンクールという接点がなくなり、『そういう』付き合いを始めてからは、逆に気を使ってしまうのか、余程の事情がないと、彼女は金澤が常駐している音楽準備室に顔を出すことはない。

 彼女が卒業するまで、この関係性を公に出来ないのは当たり前で。
 互いに、それを分かっていてもお互いしか選べなかったのだから、仕方ないとはいえ。
 休日、人目を忍ぶように逢うだけじゃ、足りない。
 ……足りないと、自分の方が真っ先に感じてしまうのもどうかと金澤は自嘲する。
 それでも、寂しい思いをするのは自分だけじゃないと信じている。……それなりに我慢を覚えた自分よりも、若い彼女はきっと辛い。
 そう思うから、レポートを運ぶという口実をつけて、彼女を音楽準備室へ招き入れる。
 隔絶された空間とはいえ、校内であるのだから、何がどうできるわけでもないけれど。
 教材を運んでくれた礼と称して、一杯分の安い珈琲を飲み干す時間と、そこに到達するまでに必要な、『昼食を済ませる』という時間の分、彼女の姿がこの場所にあればいいと、願ってしまうから。

「……先生、たまには片付けましょうよ」
 相変わらずごちゃごちゃとしている音楽準備室に足を踏み入れて、香穂子は開口一番そう言った。
「……お前さんが、片付けに来てくれると助かるんだがな」
 冗談半分、本気半分で言ってみると、一瞬きょとんとした香穂子が、はにかむように笑った。
「いいですよ。先生がせめて三日、私の払った努力を無駄にしないでくれるなら」
「ああ、そりゃ無理だ。3時間で元に戻る」
 何となく、綺麗に片付けられた部屋というものが落ち着かない。片付けられた瞬間は気持ち良く思えるが、片付けられたことで生まれる物の配置の違和感をあれやこれやと修正しているうちに、結局は元に戻る。
「じゃあ私、毎日来ないと駄目ですね」
 苦笑した香穂子が、何でもないことのように言う。
 その言葉に、一つ瞬きをした金澤が呟いた。
「……そりゃいいな」
「先生?」
「お前さんに、片付けてもらった側から元に戻して、そのたびにここに来てもらう。片付けて、礼の珈琲とケーキでも用意して、そしてその前に、一緒に昼飯でも食べる」
 確かめるように一言一言を呟いて。
 そうして、自分が相手であるからこそ、ただ一緒に食事をするだけでも、それだけの気遣いをしなければならない彼女の現状を。
 ……ひどく申し訳なく思う。
「悪いな……香穂子」
 静かに呼ばれた自分の名に、香穂子が目を見張る。
「せんせ……」
「……もし、お前さんが惚れたのが、俺じゃなかったら……」
「……もしとか、たぶんとか。そういうの、聞きません」
 金澤の言葉を遮るようにして、やけにきっぱりと香穂子が言った。驚いて香穂子の方に視線を向けると、香穂子は何の含みもなく、素直に、輝くように笑う。
「……先生だから。こんなに簡単なことを、とてもとても大事に思うんです。……ただ、御飯一緒に食べるだけの事でも、本当に嬉しいって。……幸せだって思います」

 まだ幼くて。
 それ故に純粋な香穂子は。
 嘘も、駆引きも。
 決して許さなくて。

 そんな彼女が告げるのは。
 ……まぎれもなく、彼女の本心で。

 同世代の学生同士の恋愛ならば、容易く叶えられるだろう『一緒の食事』。
 そんなことすら、なかなか叶えてやることの出来ない自分を選んだことを、本心から幸せだと言う。

 そう、言える彼女だから。
 いつも。彼女よりずっとずっと長く人生を生きている自分が。
 彼女の存在に救われる。

「……まったく、お前さんは物好きだ」
 呆れたように笑いながら金澤が言うと。
 少しだけ、誇らしげに胸を張る香穂子が、可愛らしく首を傾げる。
「そんな物好きを好きになってくれた先生も、充分に物好きですよ」

 もっと、楽に。いい加減に楽しめた、身分相応の恋愛はそこら中に転がっていただろうに。
 よりにもよって、こんな面倒な純愛を拾い上げたのも。

 十二分に、狂気の沙汰。


「そうかもしれんなあ……」
 しみじみと呟くと、意外に自分よりも気丈なのかもしれない、幼さの残る女生徒は、自分の手に持った弁当を、ひらひらと掲げて、揺らしてみせる。
「納得したところで、一緒にお昼御飯食べましょう」

 そう。これも。
 彼女が相手でなければ理解することがなかったであろう、小さな小さな幸せ。

「……よし、食うか」

 たかだか、短い数十分の昼休み。
 甘い言葉を交わすでもなく、触れ合うでもなく。
 同じ空間で、同じ時間を共有しながら、一緒に御飯を食べるだけの。


 そんな、これ以上にない幸せ。




あとがきという名の言い訳 

このお題の内容は「ほんのちょっとラッキー!?」というお題と微妙に繋がっております。
それぞれ個別に読んでもらっても問題はありません。違いは事前事後、そして視点の違いというくらい。
自分が書く金やんは、香穂子との恋愛に関しては、意外に前向きになっている感じがします。
悲恋を経験しているだけに、悲恋を回避しようとする意識が働くのかなあ。
しかし、渡瀬に男性キャラを書かせると、ものの見事にヘタレるのは何故ですか(笑)

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