もっと頼ってほしいのに

王崎×日野

 その日は、頼まれてしまうと断る意志を持たない王崎に、久々に訪れた何の予定もない休日だった。
 こういう時は、いつも自分の忙しさに振り回されて、なかなかじっくり逢う予定を取ってやれない香穂子と一緒に過ごす時間を作るべきだと思ったのだが、夕べの電話で彼女は、ひどく申し訳なさそうな声で、先約があることを告げたのだった。
 いつもは自分が香穂子からの誘いを泣く泣く断ってしまうから、たまには逆のことがあったっていいと思うのに、電話の向こうで彼女は、時折言いにくそうに口籠り、最後には何度も繰り返し謝っていた。
 彼女が謝罪の言葉を口にするたびに王崎も「気にしなくていいから」と何度も伝えて、そうして携帯を切ったのだが、改めてこんな何の予定もない休日を迎えてしまうと、蓄積されているはずの疲労感より、普段は自分の手に入ることがない手持ち無沙汰な時間の方が辛い。撮り溜めたビデオや読み損なっている本を読むことも、何だか落ち着かなくて、王崎は気分転換に海の側にある公園へと出かけた。
 今でも週3回、オーケストラ部の指導の為に訪れる母校に近い場所にあるその公園は、休日ともなるとたくさんの後輩が集まっている。顔見知りの後輩と会って、何気ない世間話でもする方が、読書やビデオ鑑賞より、よっぽど気分転換になるような気がした。
(案外、落ち込んでいるのかな……)
 元来の面倒見の良さから、老若男女問わず、顔見知りの多い王崎だから、誰かと約束をすることも、その約束が反古になることも、決して少ないことじゃない。
 人には人の都合があるのだからと、深く考えずに流して来た、そんな何でもないはずのことなのに、彼女だけは、そんな些細なことで自分の感情を揺らすのだ。


 そうしてふらりと立ち寄った公園に、王崎が願う顔見知りの後輩は、確かにいた。……王崎が見つけたわけでなく、公園に一歩足を踏み入れた王崎を目敏く見つけて、大声で叫びながら指差した人物がいたのだ。
「何やってるんですか、王崎先輩!こんなところで!」
 良く通る張りのある声は、後輩の天羽菜美。王崎が香穂子と知り合うことになった母校で開催される学内音楽コンクールの一連の取材をしていた、報道部所属の普通科の生徒。そして、香穂子の友人でもある。
「こんにちは、天羽さん。……何やってるんですかって、普通に遊びに来ているつもりだけど。おれがここにいると、何か問題がある?」
 冗談のつもりで言ったのに、天羽は何だか真面目な顔で、大きく頷いた。
「大有りですよ、先輩! だって、香穂がどこかの施設か何かに、ボランティアで演奏しにいくの、今日だったでしょう!? 伝手で頼まれて、一人で何もかも準備しなきゃいけないからどうしようって言ってて。王崎先輩がこういうの慣れてるだろうから、手伝ってもらえるか聞いてみるって……」
 説明しながら、天羽は呆気にとられている王崎に気付く。眉根を寄せ、語尾のトーンを落とし、おそるおそる、といった具合に尋ねる。
「……もしかして、香穂、言ってないんですか?」
 困ったように笑い、王崎は頷いた。
「……昨日、電話で話したけど、一言も言ってなかったね」
「ええ……?」
 ますます困惑した表情で首を傾げる天羽に、王崎は小さく息をついた。
「……天羽さん。香穂ちゃんが、どこの施設に行ったのか、聞いている?」


 控え室と称されて、宛てがわれた倉庫の片隅で、香穂子は大きく深呼吸をしながら胸に手を当てて、激しい鼓動を落ち着けようと努力する。
 人前で演奏することは、学内コンクールのステージ上や、校内で繰り返した練習のせいで慣れているが、何もかもがお膳立てされていて、香穂子自身はただステージに上がってヴァイオリンを弾けばいいコンクールとは違い、「上手く弾かなければ」という切羽詰まった重圧感はないものの、香穂子の演奏を聴きに来てくれたお年寄りや子供達に、心和む演奏を披露すること。そのことは、別の意味で香穂子に何とも言えない緊張感をもたらすのだった。
(王崎先輩も、いつもこんな気持ちなのかな)
 ボランティアで、慰問やヴァイオリン教室の講師などを精力的に行っている、とても尊敬していて、大好きな先輩のことを思い出す。
(……やっぱり、手伝って下さいってお願いした方がよかったかな……)
 きっと、香穂子みたいに無駄に緊張せず、本当にたくさんの人に心地いい音楽を届けたいと言う気持ち一つで、ヴァイオリンを弾くだろう、あの優しい先輩のことを思い、そして香穂子は思い直して小さく首を横に振る。
 王崎が、香穂子が頼っても嫌だとは言わないことは知っている。
 それどころか、きっと曇りのない笑顔で、何を胸に秘めることもなく、嬉しそうに香穂子のお願いを聞いてくれるのだろう。……分かっているからこそ、香穂子は昨日の電話で、今日のこの話を王崎に切り出すことができなかった。
(久し振りの、お休みなのに……)
 普段の学生生活にプラスして、誰かからの頼まれ事、オーケストラ部の指導や、ボランティアやバイトや。
 笑顔で、嫌な顔一つせず、たくさんの物事をこなす王崎が、疲れていないわけがない。ようやく本当の意味で、何の予定も入ってない休日が訪れたのだと苦笑いで伝えてくれた昨日の電話では、少しだけほっとしたような感情が伝わって来た。
 香穂子が、王崎の気持ちを少しでも体感したくて引き受けた小さなステージだ。自分の都合で、王崎を振り回していいはずがない。
「うん……よし、頑張ろう!」
 たった一人で立つステージ。
 香穂子と同じ視点ではない、クラシック音楽にはあまり馴染みのないお年寄りや子供達。自分でも演奏出来そうな、童謡やアニメ音楽を取り混ぜて、ジャンルが片寄らないように曲目を選んでみたつもりだが、本当に今日この場に香穂子のヴァイオリンを聴きに来てくれた人達を、楽しませてあげられるだろうか。
 勇気を振り絞って、声に出して気合いを入れてみたけれど、不安で、膝が小さく震えるのが分かる。
 心の中でそんな自分を叱咤して、テーブルの上に置いていた今日の為に準備した楽譜を手に取るが、小さな震えが指先まで伝染して、香穂子は思わずその楽譜の束を取り落としてしまう。
「あ……」
 慌ててそれを拾おうと指を伸ばすと、香穂子より先に、その楽譜を取り上げてくれる指先が伸びる。香穂子はその指先を見つめて、息を呑む。

 見間違えようのない、香穂子の大好きな。
 優しい、ヴァイオリニストの指先。

 目を見開いて、香穂子が指先の持ち主を振り仰ぐのと、拾った楽譜でその持ち主が、軽く香穂子の額を叩くのが同時だった。
「こら。……わざと内緒にしてたね?今日の事」
 叱る口調なのに、声音は全く怒っていない優しい、穏やかな声。楽譜の陰から少し首を傾げるようにして、苦笑する王崎の顔があった。
「先輩……何で?」
「公園で、偶然天羽さんに会ったんだよ。せっかくの休みだけど、暇な方が慣れてなくて、気分転換に出かけてみたんだけど。……行って良かった」
 溜息のように呟く、柔らかな声。
 暖かな声。
 それは、不安で仕方がなかった香穂子の凝り固まった心に染み渡り。
 ゆっくりと、溶かす。
 じわりと浮かんでくる涙を隠せずに、潤んだ目で真直ぐに王崎を見つめ、香穂子が小さな声で言う。
「先輩、……ずっと、忙しかったし。逢えなかったし。……そりゃ、できるなら逢いたかったけど、疲れてるなら、無理して欲しくなかったし」
「うん」
「先輩みたいに、皆に楽しんでもらえるヴァイオリン弾きたくて。いろいろ先輩の意見聞いてみたかったけど、先輩だっていっぱい頑張ってるのに、私の事で負担かけたくなくて」
「うん」
「自分で頑張らなきゃ、先輩も頑張ってるんだからって……ずっと、そう思ってて……」
「……うん。ごめんね。気を使わせてしまって」
 安心して気が抜けて、ぽろぽろと香穂子の目尻から大粒の涙が溢れ出す。痛いものを見るように王崎が目を細め、片手を伸ばしてそんな香穂子の頭を撫でる。
 そんな些細な仕草も、何もかもが暖かくて。
 そして、一人気を張っていた香穂子に足りなくて、欲していたものだった。
「でもね、香穂ちゃん。おれは、そんなの気にしないで頼って欲しかったよ。……香穂ちゃんは、頑張り屋さんで。周りにいっぱい気を使う子だから、おれも気を付けてなきゃいけなかったけど」
 身を屈め、王崎は香穂子の潤んだ目の中を覗き込む。

 涙が鏡のように光を反射する香穂子の眼差に。
 穏やかな優しさを孕んだ、少しだけ細められた王崎の目の中に。
 互いが、互いの姿を映す。

「……君は、何でも一人で頑張ろうとするでしょう。……だけどね、どんなに端から辛そうに見えたとしたって、そんな君に頼られるなら、おれは逆に嬉しいよ。……香穂ちゃん、おれはこれまで深く考えずに、いろんなことをやってきたけど、最近思うんだ。……もしかしたら、周りに頼らずに頑張ってしまう君が、おれに頼ってくれた時、ちゃんと支えられるように、おれは今までいろんなことを頑張っていたのかもしれないって」


 頼まれごとを嫌とは言わない、誰も彼もに面倒見がいい王崎を、周りはお人好しだとか、物好きだとか、そんなふうに評価していた。それを不快に思ったり、居心地悪く思ったりしたわけではないが、そういう表現をされるたびに、王崎はいつもどこか見えない場所で、何かが本質からずれているような気がしていた。
 だが、今ここで。
 香穂子と出逢って、一緒に並んで立ち、背後を振り返ることで、どうにも収まりが悪い気がしていた自分の評価は、こういうことだったのではないかと、王崎は思うのだ。

 いつか、護りたいと思える誰かを。
 支えたいと思える誰かを、負担なく支えられるように。
 そんな自分になりたくて、今までの自分は『そうなるため』の生き方を、無意識で選んでいたのかもしれない。

「……君が、ただ甘えるだけの女の子じゃないって分かってる。だけど、君が頼っていいと思える人が、おれなら嬉しいって。……そんなふうに思うんだ」

 少しだけ照れたように笑う。
 いつも、優しく穏やかなばかりの王崎が、香穂子にだけ見せる、甘さを織り混ぜた笑顔。

 それが、嬉しくて。
 やはり、愛おしく思うから。

 香穂子も涙の残る表情に、同じ笑顔を浮かべて、指先を伸ばす。
 甘えるように、王崎のシャツの裾をそっと掴んだ。

「……先輩みたいに、優しいヴァイオリンを、皆に聴かせてあげたいんです。……手伝って、くれますか?」

 香穂子の可愛らしいお願いに、柔らかく笑んで。
 自分のシャツの裾を掴む香穂子の指先に、そっと片手のぬくもりを重ねて。
 嬉しそうに、王崎は頷いた。

「もちろん。……喜んで」




あとがきという名の言い訳 

先輩書くのが難しい……(><)!
何が難しいかと言うと、王崎らしい口調と言うのか…この人、白柚木、火原、月森を足して3で割ったような喋り方するんですよね(笑)
渡瀬の中でこの人は、お人好し故の多忙人のようです(笑)でも、この人はおそらくこれっぽっちも「嫌」という気持ちを持たないでいろいろ引き受けるんだろうなあ。

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