期待してもいいのかな

月森←日野

「「……あ」」

 昼休みのエントランス。昼食を買い求める生徒達がひしめき合う場所。
 この時間帯に顔を合わせることは滅多にない、そんな場所で月森と香穂子は顔を合わせ、同時に同じ言葉を発した。
 顔を合わせることがないのは、月森がこの時間帯に購買に現れることが少ないからだ。持参するかどうかはまちまちのようだが、弁当持参でない時は、彼はカフェテリアで昼食を取ることが多いということを、香穂子は知っていた。
 ちょうど、香穂子が食後のデザート用に、ブルーベリー入りのヨーグルトを購入して、人だかりから抜けて来たところで、通りがかった月森の目の前に飛び出してきた形になる。
 少し驚いたような表情で香穂子を見た月森の手には、珍しく購買の味気ない茶色の袋が抱えられていた。
「……あ、えっと……こんにちは……?」
 咄嗟のことで、何を言っていいか分からない香穂子が、語尾に疑問符をつけて上目遣いに月森を見ると、一瞬虚を突かれた月森が、苦笑するようにして「ああ」と応じた。
「君も、今から昼食か?」
「あ、うん。……君もってことは、月森くんもなんだね。購買で買ってるの、珍しくない?」
「ああ、そうかもしれない。……いつもはカフェテリアに行くんだが、今日は外で食べたくて」
 視線をエントランスの入口に向けて、月森はそう呟く。そういえば、お天気がよさそうで、暖かそうだったなと、ここに来るまでに通った渡り廊下の景色を香穂子は思い出していた。
「外かあ。気持ちよさそうだね」
 にこにこと笑って香穂子が言うと、ふと頬を緩める月森が、少し躊躇いがちに口を開く。
「……屋上に、行こうかと思うんだが。食べ終わって、時間があればヴァイオリンを弾くこともできるし」
 言われて、月森を改めて見ると、紙袋を抱えた反対側の手には、しっかりとヴァイオリンケースを握っていた。
「君に、もし誰かと一緒に昼食を食べる予定がないのなら」
 一旦言葉を切って。
 それから、月森は。
「……一緒に、食べないか?……屋上で」
 周りの喧噪に、かき消えそうな静かな声で。
 そう、香穂子に問いかけた。


「いただきます」
 屋上のベンチに腰掛けて、膝の上で持参の弁当を広げ、香穂子は丁寧に両手を合わせて、ぺこんとお辞儀をした。
 その様子を眺めていた月森は、既にサンドイッチの封を開きかけていたのだが、香穂子に視線で促され、渋々といった感じで「……いただきます」と呟いた。
「ちょっと風は冷たいけど、陽射しは暖かくていい感じだね」
 小さな弁当箱に箸を刺しながら、香穂子が空を仰ぎ見てそう言った。つられるように空を見上げた月森が、「……そうだな」と応じる。
「月森くんにあそこで逢って、誘ってもらえてよかった。ありがとね」
「……いや、俺は、別に……」
 困ったように言う月森に、ただ香穂子は笑う。
 何となく、居心地が悪い気がして、月森は香穂子から視線を反らした。
 
 屋上には他に人影がない。
 こういう季節だから、室内やカフェテリアで昼食を取るものが多いのだろうが、これだけ天気が良ければ、逆にここまで上がってくるのは悪くないと月森は思う。
 自分が思うほど、周りは自分のことなど見ていないと知っているのだが、どうしても、周りに人がいると落ち着かない。
 たった独りになれるのなら、幾分その方が気が楽だった。
 ……ここにくれば、望み通り独りになれると分かっていたのに、あえて彼女を誘ったのは自分でも理由が分からない。
 それでも、彼女が側にいることは、特に苦にはならないような予感がしていた。

「月森くんは、いつもはお弁当じゃないの? よくカフェテリアにもいるよね?」
 それだけで足りるんだろうかと、月森から見れば、余計なお世話ながらも心配になってしまう小さな弁当箱を抱える香穂子が、小さく首を傾げるようにして尋ねた。
「ああ、割合で言えば半々だ。家政婦さんの都合がつく時には作ってもらうんだが」
「お母さんは……って、駄目だよね! 指、大事にしなきゃだもん!」
 月森の母親が著名なピアニストだったことを思い出して、香穂子が慌てたように言った。
 そんな香穂子に苦笑しながら、月森は小さな溜息をつく。
「『作りたい』とは言ってくれるんだが、さすがに周りに止められるな。俺も、俺のために無理をされるより、ピアノのために指を大事にしてくれていた方が嬉しい」
 月森の横顔をそっと盗み見た香穂子は、何も言えずにまた自分の弁当箱に視線を戻す。
 ……一見、一般的な観点から見れば淋しいように思えることでも、決して月森の家族は淋しくもないし、愛情がないわけじゃない。それどころか、それは家族それぞれが自分の家族を愛するが故の現状で。
 それはきちんと分かるから、余計に香穂子には言える言葉がないのだ。
「……君は?」
 月森の静かな声が響いて、香穂子がはっと我に返る。慌てて顔を上げると、月森の穏やかな眼差が、真直ぐに香穂子を見ていた。
「え?」
「君は、きちんとお弁当を持ってくるんだろう? お母さんに作ってもらうのか?」
 遠目に小さな弁当箱の中身を覗き見て、月森が尋ねる。
 そんなにボリュームがあるわけではないし、取り立てて珍しいものが入っているわけではないが、女の子らしい、彩りのいい中身だと思えた。
「あ、ううん。私が作るよ?」
 きょとんとして、香穂子が言った。
 月森が少し意外そうに眉を上げた。
「君が?」
「うん。うちでお弁当必要なの、私だけだから」
 父と姉は職場に社員食堂があるし、姉に至っては、お洒落なレストランで手頃な価格のランチを楽しむのもOLの嗜みだと常日頃から言っている。専業主婦の母は面倒くさがって夕飯の残り等で簡単に済ませてしまうから、きちんと弁当を準備しなければならないのは、日野家の中で香穂子一人だ。
「もちろん、簡単なものしか入れてないけどね」
「いや、でも……すごいな」
 本気で感心したように月森が言うから、香穂子はちょっとだけ誇らしいような、逆に恥ずかしいような、複雑な気持ちになる。
 心持ち、月森の視線から隠すように、膝の上で弁当箱を抱え込んでみた。
「だが、大丈夫なのか?」
「え、何が?」
「先程の話じゃないが、指とか。料理をするんだろう?」
 一瞬、馬鹿にされてるのかなと怒りかけて。そして、月森が真剣な顔で尋ねていることに気付いて。
 それが、何だか彼らしくて、香穂子はふと嬉しくて笑う。その嬉しさのまま、少しだけ胸を張って、言ってみた。
「ヴァイオリンより、料理歴の方が長いんだよ、私。こう見えても」
 そして香穂子はおもむろに、月森の目の前に自分のお弁当箱を差し出す。
 香穂子の突然の行動の意味が分からない月森が、反射的に後ずさった。
「どーぞ」
「……え?」
「お裾分け。食べてみて。そんで、月森くんの舌で、腕のほどを確かめてみて下さい」

 あんまり、意外そうな顔をするから。
 ちょっとだけ、からかってみようかな、なんて。
 こんな申し出をしてみても、月森が困るだけだって、ちゃんと分かってるから。
 少しの押し問答をしてみたら、「こんなに美味しいのにねえ」、なんて。
 笑って、終わらせるつもりで。

 月森の反応を上目遣いに伺いながら、彼の出方を待っていると。
 息を呑むようにして、どうしていいのか分からないと言ったような、途方に暮れたような顔をしていた月森は。
 一つ、瞬きをして。
 何か、意を決したように。

 あの、ヴァイオリンを奏でる、綺麗な指先をそっと伸ばして。
 香穂子の抱えた弁当箱の中から、卵焼きの欠片を一切れ摘まみ上げて。
 整った輪郭を持つ、薄い唇の奥へ、躊躇いなく押し込んだ。

 香穂子は、ぽかんと口を開けて。
 その一部始終、ちょっとだけ自信作な、甘くないだし巻き卵の行く末を。
 馬鹿みたいに見送った。

「……なるほど」
 しっかりと味わって、時間をかけて、咀嚼して、呑み込んで。
 月森は少し考え込むような素振りで、中空を見据えて。
「確かに、得意なようだ。……とても、美味しかった」
 ありがとう、と。
 はにかむような柔らかな笑顔で、香穂子に感想を述べた。




 結局はヴァイオリンを弾く時間もなく、次は移動教室だから先に行くと言って、早々に退散してしまった月森のいない屋上で。
 香穂子はそれ以上自分の弁当に手をつけることが出来ずに、まだ熱の引かない頬を、両手で押さえている。

 本当は。
 本当は、一緒に食事をする、なんて。
 相当に気を許してないと、出来ないよね、なんて。
 そんな期待が、押さえきれなくて。

 他の、人当たりのいい男子生徒ならともかくとして。
 相手が、あの月森だから。

(私、……期待しても、いいの……かな?)

 こんなふうに、月森にはまだ見せられない、香穂子が彼に向ける感情と同じものを、持っていて欲しいとは願えなくても。
 それでも。
 人と関わり合うことが苦手な彼が、無防備な食事時に一緒にいてもいいと思えるくらい。
 香穂子の手料理に、躊躇いなく手を伸ばせるくらい。
 心を開いていてくれる。そんなふうに。

 自惚れていても、許されるだろうか。


 腕時計を確認して、もうすぐ授業が始まる時間だということを自覚して。
 香穂子は食べかけの弁当箱を片付ける手を、ふと、止めた。

 少し迷って、躊躇って。
 それから、先程月森に分け与えたのと同じ、自作の卵焼きをそっと摘んでみる。
 人のいない屋上で、他に誰が見ているわけでもないのに、念のため、周りをきょろきょろと確認して。
 先程の月森と同じように、指先で自分の口元に、その欠片を運んでみた。

 ちょっとだけ、濃い味で。
 甘味を押さえていたはずの、香穂子好みの味付けの卵焼きは。
 何故だか、自分が意図していたよりも。

 ずっと、ずっと甘い味がするような気がした。




あとがきという名の言い訳 

甘いものよりちょっと辛めなものが好き。よってうちの卵焼きは醤油で味付けすることが多い。……単に渡瀬が醤油ラーだという話もあるけど(←何にでも醤油かける)だしで作るのは年に何回かあるかなあ……?(その前に、九州の醤油がそもそも甘目なんだということに後から気が付きました。多分関東の方と味が違う……)
私的な感覚ですけど、手作りのアレコレを食べる場合、実際ものすごく気を許してないと怖いような気がします。月森みたいな性格してると特に。

Page Top