甘い恋をしよう

月森×日野

『恋』というものが、頭で考えてするものではないのだということは分かる。
 感覚的という言葉が苦手な月森だが、香穂子に『恋』をして、自分のヴァイオリンの音色が変わって来たことから、ほんの少し、頭以外で感じる何かというものを、知ったような気がするから。
 だが、自分以外の人間に特に興味を覚えてこなかったツケは、こんなところで巡り巡って来る。
 ……自分は、彼女が好きだと想う。
 彼女も、こんな自分を好きだと言う。

 そして、この先。
 自分は、彼女に何をしてやればいいのだろう?




「……何か、難しいことを考えてる?」
 帰り道、肩を並べて歩きながら、香穂子が怪訝な顔で月森の顔を覗き込む。そんな顔をしていただろうかと、困惑して月森が頬に指先を当てた。
「あ、でも! 月森くんが考える『難しい』ことは、意外に全然難しくなかったりするんだよね。ちょっと学習したんだよ!」
 誇らしげに胸を張って、香穂子が言う。
 聞きようによってはあんまりな香穂子の言動に、思わず月森は苦笑する。
 確かに、月森が難しい顔で悩んでいることは、ヴァイオリンのことでない限り、香穂子から見れば大したことではないことが多いらしい。
 この間も、初めて香穂子に連れていかれたコーヒーショップで、注文の仕方が分からずに思案していた時、それに気付いて月森の分も一緒に注文してくれた香穂子に、後から「どんな人生の難題に取り組んでるのかと思っちゃった……」と呟かれたことがあった。
 ならば、この疑問にも、彼女は簡潔に答えてくれるのだろうか。

「……香穂子、聞いてもいいだろうか」
「うん、何?」
 跳ねるように月森の前に数歩出て、くるりと振り返った香穂子が、小さく首を傾げて促す。
 ……可愛いな、と反射的に思ったことは内緒で。

「……俺は、恋人として、君とどう過ごしていけばいいんだろうか?」

 香穂子が、呆然とその場に立ち尽くした。



「ものすごく原点、って感じするけど、結構難題だね……」
 通りがかった公園のベンチに、自販機で購入したミルクティーとストレートティーの缶をそれぞれ持って、香穂子と月森は腰を下ろす。
 まだ時間が早い公園内には、遊具のある場所から子供達の歓声が聞こえていたが、二人が座る少し離れたベンチは、優しい静寂が満ちていて。
「君を好きだという気持ちに嘘偽りはないが、君の気持ちも同じなんだということを知ったところで、今まで一緒に過ごして来た日々の、何が変わるわけでもない気がして……それでも、想いが同じだということを知ったのはとても嬉しかったんだが」
「いや、ちょっと待ってね、月森くん。……あんまり恥ずかしいこと、あっさり言わないでね?」
 気持ちを整理しようと、つらつらと自分の内状を並べていると、何故か頬を赤く染めた香穂子が、片手を上げてそれを遮った。
「……すまない」
 よく分からないまま月森が詫びると、謝らなくてもいいんだよ、と香穂子が慌てた。
 ……難しい。
「とにかく、両想いだから何ってこともないと思うんだよ。今まで、一緒にいて嬉しかったし、楽しかったし。……それが、相手も同じ気持ちだっていうのがはっきりしたっていうだけで」
 片想いであっても。
 側にいれば、嬉しかった。
 幸せだった。
 その気持ちがひとりよがりではなかったこと。
 同じ幸せを、相手も共有していたことを、はっきりと知っただけ。
「だから、特に何かをしようとしなくてもいいと思うんだけど……でも、私、両想いならちょっとだけ、やってみたいことあったんだ」
 柔らかな笑顔で。
 楽しそうに、香穂子が言う。
 ……確かに、この笑顔が自分一人に向けられているのだということを実感出来るというだけで。
 もう、それだけで。充分なのかもしれないと思うのだけれど。
「……何?」
 月森が尋ねると、香穂子が照れくさそうに笑った。

「あのね。……月森くんを、思い切り甘やかすの!」


 いつだって。
 月森は、一人で立っているように見えた。
 周りの期待や重圧に潰されることなく、脅かされることなく。
 凛として、真直ぐに。

 それが『当たり前』ではないことを知った時。
 水面下で、彼が必死でもがいていることを知った時。
 香穂子の想いは、もしかしたら、そこから始まったのではないかと思っている。

 本当は、それが本意のことではなかったのだろうけれど。
 偉大な家族……本来なら、安らげて然るべき場所が、月森にとって決して安穏とできる場所ではないことを知った時。
 香穂子は、月森が安らげる、唯一の場所になりたいと願った。
 この強い人を。
 ……そう見せかけて、その裏側で傷付いている、繊細で脆い人を。
 守りたいと思った。

 烏滸がましいけれど。
 身の程知らずだけれど。

 月森が唯一、甘えられる相手になりたかった。

「月森くんが、私を好きでいてくれるなら。月森くんが唯一、気を張らなくていい、我侭いっぱい言って甘えられる、そんな人間になりたいんだ!」
 まだまだ理想なんだけど、と。
 香穂子は、小さく肩をすくめた。

 ああ、そうか、と。
 すとんと、香穂子の言葉が胸の奥に落ちていく。
 腑に落ちると言うのは、こういうことを言うのだと、月森は実感した。


 ……誰にも気を許せなくて。
 家族ですら、月森にとっては甘えていい存在ではなかった。
 もしかしたらそれを、両親や祖父母は淋しく感じていたのかもしれないが、ヴァイオリン奏者として生きていくことを目指す自分には、彼らは眩しい将来の指針だったから。
 でも、香穂子は違う。
 家族のように、月森が心を委ねる存在。
 眩しい存在。
 それでも、決して手の届かない夜空の星のような位置に在るものではなくて。

 寄り添える、触れられる。
 とても、とても近い存在。

 ……自分も、そうなれるだろうか。
 そんなふうになりたいのだと、香穂子の言葉で月森は実感する。

 恋人になったら。
 登下校を共にしたり。
 休日には一緒に過ごしたり。
 触れたり。
 繋いだり。
 そういう当たり前の関わり方があって。自分達も、そんなふうな関係を築いていくのだろうけれど。

 それでも、自分達が。
 恋人同士である意味は。

「……そうだな、それがいい」
 柔らかく笑って。
 一瞬、その月森の笑顔に見愡れた香穂子の額に、こつんと自分の額を押し当てて。
「俺も、君が唯一、甘えられる存在になれればいい」
 静かに月森は。
 香穂子に告げた。


 おそらく、月森にしろ香穂子にしろ。
 自分自身を堕落させる甘え方を、相手に求めることはないだろう。
 だが、ひたすらに前を見て、向上するために力を奮い続けるその時に、ふと疲れを覚えた時は。

 安らぐ甘さを、互いの存在のみに求める。

 二人で、そんな甘さの恋をする。

 これまでも。
 そして、これからも。




あとがきという名の言い訳 

ラブいのか、ほのぼのなのか、よく分からないが、楽しく書かせていただきました(笑)
渡瀬の作品が、読む人にどう取られているのかは分からんのですが、月日に関しては、互いが互いに甘やかす「だけ」の関係にならなくていいと思ってますので、「甘い恋」ながらも、そういうのが書けてればと思います。

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