多分、別個のものとして、土浦のピアノを聴く方が心地よい。
だから、二人で練習をする時は、大抵香穂子がフローリングの床に直に座って、ちょっと高い位置から降ってくる、土浦のピアノの音色を浴びている。
(なんだよ、張り合いないな)
香穂子の練習に付き合ってくれようとしている土浦には、そんなふうに言われて、苦笑いされるけど。
張り合いがなくても、贅沢でも。
土浦の音には、多分頭まっさらにして、没頭する方がいい。
(だって、土浦くん。ピアノの音色の方が、正直だよ)
意地っ張りで頑固者の恋人は。
なかなか香穂子に、本心を教えてくれないから。
いつも、香穂子がヴァイオリンを弾く上で心に留めておく、土浦の一言。
『自分の演奏で、何を如何に語るべきか』
初めてヴァイオリンを手にして、魔法のヴァイオリンに導かれるままだった香穂子が、ただ音を辿っていくだけの演奏から、自分の思いを込める演奏へと、成長するきっかけになった言葉だ。
ピアノなんて、鍵盤押せば音が出てくると笑ったら、馬鹿にすんなよ、と叱られた。
ただ、楽譜通りに旋律を辿ればいいんじゃないんだって、初めに意識したのが、あの時の土浦の言葉。
それを気にかけながら、いろんな音色を聴くことで、少しずつ、少しずつ、香穂子にもその言葉が理解出来た。
同じ曲でも、解釈の仕方や、奏者の感情の乗せ方によって、出来上がる楽曲は、奏者らしい音楽になる。
音楽における『個性』というものを、そんなふうに表現するんだって、香穂子は土浦の言葉で知ったのだ。
香穂子自身の演奏が、ちゃんとそれが上手く出来ているのかは、正直いって、分からない。
こう弾きたい、こういう気持ちを表現したいという希望はあるけれど、それが表現出来ているかどうかの判断は、受け取る聴き手次第だ。
そして、それを香穂子に教えた張本人。
土浦の演奏といえば。
土浦梁太郎。
普通科2年、サッカー部所属。
面倒見がよくて、女の子が苦手。男の子からの信頼は厚い。
料理とピアノが得意で、理数系に強い。
外見のまんま、どちらかといえば体育会系。
(……こんなもんかな)
分かりやすい、土浦の解説といえば。
指折り数えつつ、香穂子は小さく笑う。
……でも、多分。
本当の土浦の魅力は、こんなものじゃない。
ピアノが紡ぎ出す土浦という人間は。
繊細で、優しくて。
……情熱的で。
淡々としているように見えて。
本当はすごく、熱を持っている人。
喧嘩っ早いところは、垣間見えているけれど。
そういうことじゃなくて。
感受性の強さを、表には出さない人だ。
土浦のピアノに、耳を傾け。
香穂子は、そっと目を閉じる。
少し高いとこから落ちてくる、土浦のピアノの音色。
彼の熱、優しさ、感情をその中に秘めて。
香穂子の頭上に降り注ぐ。
……こうして、土浦の感情を受け止めようとする香穂子を。
包み込む。
土浦の音は、柄じゃなくてかっこ悪いと意地を張りながら、決して香穂子には簡単に教えてくれない土浦の想いを表すもの。
優しく、穏やかに。愛おしい感情に満ちて。
香穂子へと届けられるもの。
言葉にはしない照れ屋な彼が。
香穂子へと想いを告げる、その手段。
(……気付いて、ないのかな?)
狭い室内。香穂子にしか聴かせない、香穂子のためだけに紡がれるピアノの旋律は。
イトシイ、イトシイと歌う。
だから、香穂子は。
二人でこうして時を過ごす時には。
土浦の音色に、自分の音色を混ぜ込まない。
純粋な、土浦の。
自分へと向ける感情が欲しい。
(ああ、でも)
(これって、めちゃめちゃ幸せ。かも)
土浦の音。
香穂子への、彼からの愛情に。
満たされる、一時。
包み込まれて、安心出来て。
その幸福の中を、たゆたう。
「……おいこら、寝るな」
いつの間にか、途切れたピアノの音色。
壁に背を預けて座り込み、目を閉じていた香穂子のすねを、スリッパの爪先が蹴りつける。
緩慢に瞼を持ち上げる、香穂子の視線の先で、呆れたように溜息をつく土浦が、腰に手を当てて香穂子を見下ろしていた。
「……素直じゃない」
「ああ?」
憮然として呟いた香穂子に、土浦が眉を上げる。
まあいいか、と、香穂子は土浦に向かって両腕を伸ばす。
「起こして」
「世話が焼けるな」
小首を傾げてねだると、苦笑する土浦が、両手で香穂子の両腕を掴んで、ひょいと立ち上がらせる。
勢いで、土浦の腰回りに抱きつきながら、香穂子は固い布地越しの肌に頬を寄せて、小さく呟いてみる。
「でも、いいよ。ちゃんと、分かるからね」
「……あ?」
香穂子の声が聞き取れなかった土浦が、怪訝に尋ね返すと。
満面の笑みで土浦を見上げる香穂子が、「何でもないよ」と言った。
土浦の、ピアノの音色と。
素直には現さない、彼の感情とは。
ものの見事に、直結で。
受け取る香穂子だけが、正しくそれを、理解する。
あとがきという名の言い訳
ホントに土浦は、同じようなお題が集まって、ね……(泣)ただでさえ土浦は書くのが苦手なキャラなのに、更に苦労をさせられたです……。
土浦に集中した「音」シリーズ(勝手に命名)は、最後に香穂子視点で締めてみました。土浦が相手の時は、若干うちの香穂子が甘えたです(笑)


