決して簡単に、与えてはくれない人だから。
多分、付き合っている、ということで、いいのだろうと思う。
学内音楽コンクールが終わってからの、柚木と香穂子。
香穂子が想いを込めて弾いたヴァイオリンの音色を、柚木は受け取ってくれたし、告白めいた言葉ももらった。
登下校もきちんと送り迎えしてもらっているし、休日には柚木の方の都合が付けば、出来るだけ逢うようにはしているし。
おそらくは、彼氏彼女と呼んでいい関係……のはず、だ。
(でも、結局。はっきりとは言われてない気がするんだよね……)
柚木とメールのやりとりで待ち合わせた屋上。周りに張り巡らされた柵の上で頬杖をつき、香穂子は盛大に息を吐いた。
はっきりとは、言われていない。
……「好きだ」って。
分かりやすい、愛の言葉。
「……不細工なツラ」
香穂子より少し遅れて屋上に現れた柚木は、重い鉄製の扉を開けて、振り返った香穂子の顔を見た途端、開口一番にしかめ面でこう言い放った。
よくも悪くも柚木先輩だ……なんて実感しつつ、香穂子はどうせね、と爪先で足下のコンクリを蹴る。
「顔の造作はどうにもなんないです。親からもらったものだから。……柚木先輩は綺麗で、いいかもしれませんけど」
「誰も、そういうことは言ってないだろう?」
すたすたと香穂子に歩み寄った柚木が、きゅ、と香穂子の鼻を指先で摘む。痛くはなかったけれど、何となくその場の雰囲気で、ぎゅっと目をつぶった香穂子が「いひゃい!」と呟いた。
「いつも言うことだけど、お前は考えが顔に筒抜けなの。……何が御不満? 俺に言いたいことがあるなら、はっきり言えば?」
「えっ……と」
ずばりと核心を突かれて、香穂子が鼻の頭を指先で撫でつつ、戸惑って口籠る。……何で分かるんですか?と尋ねかけて、表情に筒抜けなのだと言われたことに改めて気付く。
(この人に隠し事……無理なんだな)
元々、柚木は人の気に聡い人だ。
そういう人でなければ、幾ら造り上げた優等生の仮面とはいえ、それを維持するに到らない。
結局、些細な他人の一挙一動に鋭い人だから、誰にでも等しい気遣いができる。
それを実感してしまえば、香穂子の取るべき選択肢は一つ。
隠せない、誤魔化せない。
そして、溜め込めないのであれば、ぶつけるだけだ。
「……先輩?」
「ん?」
上目遣いに香穂子が柚木を見つめると、怪訝そうな顔をした柚木が、長い髪をさらりと揺らして、首を傾げた。
そういう仕草も、柚木らしくて。
香穂子は好きだと思うのだけれど。
「先輩、私のこと、好きですか?」
柚木は、どうなんだろう。
間違いなく、心は通っているのだと信じたいけれど。
それでも、言葉にしてもらったことはないから。
「……何なの、急に」
特に慌てるでも、戸惑うでもなく、美眉をひそめて柚木が問う。
やっぱり唐突過ぎたかと思いながらも、一度堰を切った言葉は止まらない。
「だって、先輩に言われたこと、ないですよ。『好きだ』って……」
「お前だって言ったことないだろ」
ずばりと柚木に指摘されて、思わず香穂子はぐ、と息を呑む。そういえば、そういう雰囲気の言葉は使ったことがあるものの、はっきりと『好きです』と告げたことはなかったように思う。
口籠る香穂子に、柚木は小さな溜息をついた。
「だいたい、俺はあまり好きじゃないんだよ。そういう言葉をいちいち口にするの。……簡単に言えば言うほど、価値が薄れる気がするだろう?」
幾ら、それが本心の言葉だったとしても。
何度も簡単に、放っていたら、いつしかそれは挨拶と同じようなものになってしまう。
言うこと、言われることが当たり前で。
本当はとても、口にするのに勇気がいる、大切な言葉なのに。
その価値が、薄らいでしまうような気がする。
「おかげさまで、最近は『綺麗』だの『素敵』だの言われても、全く誉められた気にならないしね」
「うわっ、何かしれっと黒いこと言いましたよ!」
再度、わざとらしく溜息をつきながら柚木が呟くと、香穂子がぴしっと柚木を指差して指摘する。
そんな香穂子の指先を、柚木の手がそっと上から包み込む。
「人を、指差さないの」
ぎゅ、と香穂子の柔らかな手を握り締め、柚木がふわりと笑顔になる。
綺麗で優しい。
……嘘のない、笑顔。
「……ねえ。まさか伝わってない、なんてことじゃないよね?」
そのまま香穂子の手を引き寄せて。
もう片方の空いた手で、頬に落ちてくる邪魔な髪をかきあげて。
香穂子の頬に顔を寄せて、柚木は落ち着いた低い声……香穂子にしか、聴こえない声で囁く。
「勿体無いから、言葉にしないだけだろう? ちゃんと、別の方法で、お前にはちゃんと教えてあげてるじゃないか」
言い終えるなり、香穂子の頬にそっと片手を添えた柚木が、柔らかく香穂子の唇に口付ける。
軽く触れるだけの、優しいキス。
ただし、何度も繰り返して、触れる。
その甘さに酔わされて、立っている両足が、ふと覚束なくなって。
香穂子が咄嗟に柚木のジャケットに縋り付く。
他に何も入り込む隙間がないくらい、近付いて。
ふと、香穂子の唇から離れた柚木の唇が、香穂子の耳元に移動して。
ぽつり、と。
一言だけの残響を残していく。
一瞬動きの止まった香穂子が、次の瞬間、一気に桜色に頬を染める。
完全に膝から崩れそうになった香穂子を、咄嗟に柚木の片腕が抱きとめた。
「ゆ、ゆ、ゆ、ゆのきせんぱ……」
言葉にならない声を辿々しく発しながら柚木を見上げる香穂子に。
柚木は楽しそうに、笑ってみせる。
「……ね? 稀に与えてあげる方が、威力倍増だろう?」
だから、本当に大切な言葉は。
滅多に『言葉』にはしない。
もう一度、同じ言葉を彼女に与える時は。
また、今の残饗が薄れゆく頃に。
「だから、不安になる時には。今の言葉を、大事にしておいで」
細い身体をしっかりと抱き締めながら、香穂子の顔を覗き込んで、柚木は彼女に言い聞かせる。
たとえ、それが迷うことのない本心であっても。
その本心の重さに、見合うだけの言葉であるために。
望まれようと、そうそう簡単には、言葉にはしない。
だけど、その気持ちが。
決して存在しないわけじゃない。
(いつだって、どんな時だって。お前に抱く想いは同じ)
……香穂子。
愛してるよ。
あとがきという名の言い訳
渡瀬の頭の中で、柚木はどうもこういう人らしい(笑)今回は他の創作にほぼ甘さ要素がなかったんで、ここで凝縮したのかも。
でも、木日で甘い話って、案外私、好きなのかもしれません。書いてて楽しかった(笑)


