はい、とも、どうぞ、とも応じないうちから遠慮なく開かれたドア。そこからひょっこり顔を覗かせた人物に、金澤の方も遠慮も何もなく、しかめ面で盛大な溜息を吐いた。
「……随分な反応じゃない? 金やん」
「お前さんが来ると、ろくな話じゃないだろ……天羽」
ずかずかと音楽準備室に踏み込んできた天羽に、金澤は素っ気無く言い放つ。失礼だな、と膨れて腰に手を当てた天羽は、一瞬後には、まあそれはいいとして、と開き直った。
「私が何でここに来たのか、気にならない?」
気を取り直したように、にやにやと笑う天羽が、机の上に手をついて、椅子に座ったままの金澤の顔を覗き込む。回転椅子の背もたれに体重を預けた金澤が、再度溜息を付いて天井を仰いだ。
「さっきも言ったろ。お前さんが持ってくるのはろくな話じゃないって。……取材以外の用件でお前さんがここに来る理由があるのなら、是非お聞かせ願いたいもんだ」
学内コンクールが始まって以後、天羽は頻繁に金澤の常駐している音楽準備室に現れるようになった。
それまでも、校内のありとあらゆる雑事を取材する報道部の天羽とはそれなりの面識があったが、こんなふうにしょっちゅう顔を合わせるようになったのは、やはりコンクールが始まってからだ。
元々金澤は音楽科で担任を持っている教師であるし、普通科の授業枠は持っているが、天羽は音楽の授業を選択していない。
学内コンクール以外での接点はこれと言ってないのだから、その取材以外の用件で天羽がわざわざここまで足を運ぶ理由もなかった。
「そりゃそうだけどさ、それじゃ身も蓋もないじゃない。もうちょっと変わったリアクションしてみようよ!」
ね、と首を傾げた天羽に、金澤はこれ見よがしな三度目の溜息を付く。
「何と言おうが、取材なんて面倒なもんには付き合わねーぞ。用がないならとっとと行った」
あっち行け、とばかりにしっしっと片手を振った金澤に怯むことなく、天羽は片手に持った紙片で口元を覆い、根性悪く、ふっふっふ、と意味ありげに笑う。
「……邪見にしていいのかな?金やん。今世紀最大と言っても過言じゃないスクープを私は握ってるというのに……」
「……あん?」
怪訝に片眉を上げ、椅子を鳴らして天羽の方に向き直ると、天羽は平手で机の上をぱしんと叩き、ゆっくりと掌を挙げる。
そこに残されたのは、味気ない事務用の洋2サイズの封筒だった。
「まあ、私もそこまで情のない女じゃないし? 金やんのためというより、あの子のために、それをどうこうするつもりはないんだけどね」
「天羽?」
「見えてないようで、周りは意外に見てるってことかな。……この先、どうなろうが私は気にしないけど、それであの子が迷惑被るようなら、その時は容赦しないからね。報道部、なめるなよ、金やん!」
ぴし、と指先を金澤の胸元に突き付け、天羽は堂々と宣言する。
呆気に取られた金澤に、にやりと笑い、天羽は来た時と同様、足早に準備室を後にする。ドアの向こうに身を滑らせて、顔だけ覗かせて、
「その視線の先にあるものが何なのか。……それは、今は私の胸の中だけに収めておいてあげるからさ。感謝しなよ」
言いたいことを全て言って、天羽はひらりと片手を振って、完全にドアの向こうに消えた。
すたすたと小気味いい足音が遠ざかって行って、室内には沈黙が戻る。
「……何だったんだ?」と金澤がひとりごちた。
(……視線の、先?)
天羽が言い残したことのほとんどが、意味不明だった。机の上に置いた片手の側に天羽が残して行った封筒を、ちらりと横目で見る。
これを見れば、その答えが分かるだろうか。
指先で摘んで、封筒を持ち上げる。重さも厚さもない。中空で透かしてみるが、はっきりと見えるはずもなく、全く見当もつかない。
首を傾げつつ、封のされていない封筒を開いてみた。中には一枚の紙片。
(写真、……か?)
指先で引き抜いて、くるりとひっくり返す。
……写っていたものをじっと眺めて。
ゆるゆると目を見開く金澤は。
微かに、息を呑んだ。
そこに写っていたのは、金澤本人だった。
周りの風景は森の広場。木陰に腰を下ろし、いつものように広場に住み着いた猫を撫でていて。
でもその視線は、猫でも他の身近にあるもののどれでもない、遥か遠くに向けられていて。
「あ……あのヤロ……!」
思わず赤くなった金澤は、小さな声を漏らす。
天羽が言い残していった言葉の全ての意味を理解した。
(その視線の先にあるものが何なのか)
そう……この写真を撮ったのが天羽なら。
金澤の視線の先にあったものが何なのか、当然知っているはずだった。
拙くて、危なっかしい。
だけど、暖かくて、優しくて。
そして、どこまでも真直ぐな。
森の広場一帯に広がるヴァイオリンの音色。
心地いい音を生み出す、その根源。
天羽のカメラのシャッターが切り取った。
無防備な金澤の視線。
何かを優しく見守るような。
……愛おしむような。
そんな、真直ぐで穏やかな視線の先には。
その根源が、確かに存在していたはずだった。
あとがきという名の言い訳
ちょっとやってみたかった。香穂子が出てこない金日話。そして、天羽ちゃんと金やんのやりとり(笑)
最初は逆バージョンで書いてみようかと思ってましたが、対象キャラが全く出てこないのもどうなの?
と思い直して、実際には有り得なさそうなこんな話を。(天羽ちゃんに気付かれることはまずなさそう。上手いこと金やんが誤魔化すと思います)。
どうでもいいけど、うちの天羽ちゃんってつくづく香穂子ラヴですね(笑)


