01.声変わり

志水×日野

「……香穂先輩。何か、おかしくないですか?」

 心配そうに眉根を寄せた志水が、数日前から香穂子に繰返し尋ねていた。
 普段と何も変わらないように思える香穂子は「そうかな?」と首を傾げる。おそらく、志水にもはっきりとしたことはよく分からないのだろう。「おかしい」と繰返す割に「何」がおかしいのだとは、志水は言わなかった。根拠があるのならば、志水ははっきりとその点を指摘していただろうと香穂子は思うから。
 だが今は、志水の繊細な感覚が香穂子のほんのわずかな変調も見逃さず、気に止めてくれていたのだと分かる。
 ……できれば、もう少し明確に指摘していてくれたならば、予防の仕様もあって、ありがたかったと思うのだが。
(でも私自身が自覚してなかったんだから、いくらなんでも無理だよね……)
 自答しつつ、香穂子は苦笑する。
 けほ、と乾いた喉で、小さな咳をした。

「風邪……」
 だったんですか、と志水がまるで、自分が痛いような表情でぽつりとそう呟いた。うん、と香穂子が頷く。
「まだ熱はないから、学校には行くんだけど。放課後に一緒に練習するのはちょっと難しいかも。こじらせたくないし」
「そうですね。……はい、それが、いいと思います」
 いつもの練習が数日間出来なくなることを、申し訳なさそうに告げた香穂子に、志水は一瞬残念そうな表情を見せながらも、事情が事情だけにすぐに気を取り直したように真面目な顔で、大きく頷いた。
「でもすごいね、志水くん。私自身でも風邪引きかけてることなんて全然気付かなかったのに、私が調子悪いって分かったんだ?」
 手袋をはめた片手と片手を、どちらからともなくゆるく繋いで、いつもの通学路を二人は歩き出す。冷たい風に、香穂子はわずかに身を縮めながら、庇うように首に巻いた柔らかなマフラーを口元まで引きずり上げた。
「……調子悪いかどうかなんて、分からなかったんですけど」
 落ち着いた、いつも通りの志水の声が答える。
 ここ数日の香穂子の様子を思い出しているのか、志水の視線が冬の薄い灰色の雲が広がる空を見上げた。
「香穂先輩の声が……ちょっと、違うなって……」
「え? 声?」
 そういえば、と香穂子は思い返す。
 暖房で乾燥するせいだと思っていたが、確かにここ数日の間、若干喉の奥が痛んで言葉尻が掠れている感じがした。完全に風邪を引き込んだ現時点では思い切り鼻声になってしまっている声だが、もう数日前から変化の兆候はあったということだ。
 ふむふむ、と一人頷き納得する香穂子の隣で、少しだけ目線が高い細身の後輩は、驚くべき言葉をぽつりと告げた。
「少し鼻にかかったような……。そうですね、……してる時の声みたいな」

 強請るような。
 甘えるような。
 そんなふうに、鼻にかかったような、これ以上になく甘い声。

 香穂子が思わず盛大に咳き込んだ。
 足を止めた志水が繋いだ手を解いて、身体を曲げて咳き込む香穂子の背中をゆっくりと撫でながら、心配そうな表情で香穂子の顔を覗き込む。
「……大丈夫ですか? 先輩」
「し、し……して、るって……!」
 涙目のまま、あわあわと言葉を吐き出しながら、目を丸くして頬を染めた香穂子が、志水を振り仰ぐと、最強最愛の後輩はこともなげににっこりと笑ってみせる。

「僕だけしか知らない、香穂先輩の、あの声。……簡単に曝け出しちゃうから、何かおかしいなって。……ずっと、そう、思ってたんです」

 原因が風邪でよかったです、とさらりと言ってのけた志水に、香穂子は盛大な溜息をつく。
 せっかく、軽い咳だけで済んでよかったと思っていたのに。
(こんなに頭に血がのぼっちゃったら、どうしようもなく発熱までいっちゃうのかも……)
 そんなふうに考えながら、赤くなった頬に触れると。
 そこには火照る肌の、熱が上昇する気配。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:08.11.16/加筆修正:2010.7】

志水が果たしてこんなこと言うの?と賛否両論(?)だった話(笑)
渡瀬の中で、志水というのはこういう感じの子です。エロいんでも、黒いんでもなくて(笑)思い付いたからそのまま口に出してみる、という子。一応、相手が香穂子だから言っても大丈夫だろう、という境界線は持ってるんでしょうけどね。拍手創作は一発書きが信条なので、書いた後何となくすっきりしていなかった部分の文章を、まとめなおしてみました。

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