08.フワフワしてる

加地×日野

 微熱時のテンションは、高い位置で停滞する。
 地に足が付かないというのは、こういうことだ。まるで海綿の上を歩いているように、足元がふわふわして覚束ない。
 だけどそれが、不快なことじゃない。浮き足立っていて、いつもより口数も多く、はしゃぐ笑い声も高く響く。
「でも風邪の症状は、それだけじゃないからね」
 香穂子の上機嫌を余所に、心底心配そうな顔をした加地が香穂子の顔を覗き込む。こじらせれば悪くなる一方の体調を思い、香穂子もしょんぼりとして小さく頷いた。




「でも、今日一日くらいは大丈夫だと思うのに……」
「だーめ。お店は逃げやしないんだから、ショッピングは日を改めてでいいんだよ。それよりも、こんな状態の香穂さんを人込みに連れていく方がよっぽど怖いよ。今日は家に帰って大人しく寝てて」
 今日の放課後に予定していた寄り道を、楽しみにしていた香穂子が未練がましく惜しむ。そんな香穂子を加地は柔らかな、でもきっぱりとした口調で諌めた。
「もし無理をして風邪がひどくなって、明日教室で君が僕の隣にいない、なんてことになったら、どうしてくれるの?」
 学校に行く意味ないよ、と真面目な顔で言った加地に「……ないんだ……」と香穂子が驚愕してぽつりと呟く。そうだよ、と加地が事も無げに頷いた。
「だから、香穂さんには今日は大人しく休んで、風邪を完治してもらわないとね。『急がば回れ』という言葉もあるんだから、まずはしっかり風邪を治すことが、楽しいことをやるための第一歩だよ」
 加地の穏やかな声で諭されると、何となく「そうなのかな」という気持ちになる。がっかりする自分の心は脇に置いて、香穂子はようやく心の底から納得して頷いた。
「……うん、治す」
 神妙に答えて頷いた香穂子に、加地はふふ、と小さく笑って、香穂子の頭を大きな掌で労るように撫でてくれる。
「よしよし。香穂さん、いい子いい子」
「……うう」
 子ども扱いされて悔しいのに、その掌の暖かさが嬉しいと思ってしまうのも。
 ある種の惚れた弱味なのかもしれない。

「……なんか、ふわふわする……」
 歩きながら、香穂子がぽつりと呟く。
 自分ではしっかりと歩いているつもりなのに、どうにも足元が覚束ない。開いた目の前の世界が何だか水を通したようにぼんやりとしていた。
「熱が上がってきたのかな?」
 心配そうに表情を歪める加地が、そっと香穂子の額に掌を当てる。さっき、暖かいと思った加地の掌が、ひんやりと冷たく感じた。
「……ほら、やっぱり熱が上がってる。寄り道やめて、正解だったでしょう?」
 むしろ自慢するみたいに胸を張って、加地が言う。上機嫌のまま「何なら家まで抱いていってあげようか?」と尋ねられ、香穂子はぶんぶん、と首を大きく横に振った。
 普通の人ならばただの冗談だろうと笑い飛ばせるが、加地ならばやりかねない。
「でも、微熱時って何だか気持ちいいよね。足元、綿の上歩いてるみたいにふわふわするし、妙にテンション上がるし……」
 気遣うように差し出された加地の手を掴み、香穂子は甘えるように加地に寄りかかりながら呟く。その声も掠れて、どこか舌足らずな喋り方になっていることに、香穂子は気付いていない。
「……って、私、おかしなこと言ってるよね。変なこと言って、ごめんね」
「ううん」
 香穂子と繋いだ手を、しっかりと握り返して。
 加地は小さく笑ってみせる。

「そういう感覚は、僕にも分かるよ」

(僕は今、生涯冷めないであろう、微熱をずっと心に宿していて)

 いつだって、足元は覚束なく。
 ふわふわと雲の上を歩いているような心地よさ、心許なさで。
 突然夢から覚めて、地上へとまっ逆さまに落ちなければいいと。……そんなことを、願っているんだ。

(燻る熱で、現実と夢の狭間が分からなくなる、その心地よさを)
(僕は、知ってる)

 君が、そこに。
 僕の目の前に存在する限り。
 冷めることはない熱がある。
 心を浮かれさせ、足元をふわふわと覚束なくする。

 そんな恋心から生まれる微熱が、ずっと僕の平常心を狂わせているんだ。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:08.11.16/加筆修正:2010.7】

浮かれ加地(笑・一言で終わった)
某キャラソンもしかりですが、浮かれる加地ってのいうのは、何よりも加地像にしっくり来るような気がします(笑)でも黒いのも捨て難い(笑)

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