保健室のベッドを仕切ったカーテンを、何の断りもなくジャッと音を立てて開き、柚木はまるで、面白いものを見るかのような笑顔で、ベッドに横たわった香穂子を見下ろした。
熱発中の香穂子は、そんな柚木の様子にいちいち反応する余裕もなく、反射的に起き上がりかけた身体を、また力なくベッドに沈ませた。
いつもだったら、壁に跳ね返るゴムボールみたいな勢いで(ゴムボールゆえに、柚木を脅かすほどの威力はないけれど)何かしら反論してくる香穂子なのに、さすがに今日はそんな勢いもない。その張り合いのなさに、柚木は少し美眉を上げる。苦笑しながら、ベッドの端に浅く腰を下ろした。
「……もうすぐ迎えの車が来るから、そうしたら家まで送ってやるよ。もう少しここで休んでろ」
うっすらと汗に濡れ、額に貼り付いた香穂子の前髪を指先でかき上げ、柚木が低い声で告げる。香穂子は焦点の定まらない潤んだ眼差しを上げ、小さく頷いた。かろうじて、掠れた声が「ありがとう……ございます」と礼を告げた。
「どういたしまして」
にっこりと笑い、柚木が首を傾げる。肩にかかった長い髪が、さらりと乾いた音を立てて落ちた。
いつもと変わらない柚木のそんな仕草を、香穂子は熱に浮かされた頭でじっと見つめている。
行動の一つ一つが洗練されていて、本当に綺麗な人なんだと、香穂子は改めて思った。
「……何? そんなにじいっと見て」
そんな香穂子の真直ぐな眼差に照れることもなく、柚木が微笑みながら尋ねる。
ぱちり、と香穂子は緩慢な瞬きをする。取り繕う余裕も、強がる元気もないせいか、いつもだったら口にしない素直な言葉がぽろっと唇からこぼれ落ちた。
「先輩って……綺麗な人だなって思って……」
香穂子の言葉に一瞬虚を突かれた柚木が、整った輪郭を持つ唇を引き結び、香穂子を見下ろす。自分が言ったことが自分でもよく分かっていないまま、香穂子はぼんやりとその視線を受け止めた。
やがて、そんな彼女を見つめていた柚木が、唇の端を歪めるようにして、笑う。香穂子の枕元に片手を付き、彼女を覗き込んだ。
「……病気のお前に言うだけ無駄かもしれないけどね? あまり、そういう無防備なところを他の男の前で見せるんじゃないよ。どうなっても知らないからね?」
「無防備……って?」
「……ああ、いいよ。深く考えなくても」
潤んだ瞳に上気した頬。
自分を見つめてくる、真直ぐな視線。
それは、他の誰の為でもなく。
柚木の為にあればいい。
「……先輩?」
香穂子もさすがに自分たちを取り巻く空気が変化したことに気付く。ベッドを軋ませて枕元に腰掛け、のしかかるようにして距離を縮めてくる柚木から、反射的に逃げようとした香穂子は、そこが他でもないベッドの上で、逃げようがないことを悟る。せめてもの抵抗で、ぎゅっと身を縮めて、目を瞑る。
近付いてくる、人の気配。暖かな呼吸が、唇に触れる。
「あの……先輩? う、うつりますよ……?」
受験生でしょ? と小さな声でたしなめる香穂子に、柚木は小さく笑う。
「お前に心配されるほど、落ちぶれちゃいないさ。……それに、別に移してくれたって構わないぜ」
それで、お前がいつもの元気なお前に戻るなら。
その柚木の呟きは、まるで夢の中の出来事のように、香穂子の意識から遠い場所で聴こえていた気がする。
強引に奪われた唇、その口付けの熱に浮かされて。
その後の事は、香穂子の記憶の中にはまともには残らなかったから。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:08.11.16/加筆修正:2010.7】
あとがきという名の言い訳/柚木は黒いのが標準装備だから、何やっても「ああ、柚木だからネ」で納得出来ちゃう気がする(笑)
嫌がったり遠慮したりすると、嬉々としてそれをやってくれそうな気がします。柚木だからネ!(笑)


