10.朝目が覚めたら

王崎×日野

「大丈夫? 香穂ちゃん」
「……はい」
 普段はあまり、繋がない手と手を、珍しく香穂子と王崎は繋いで歩いている。
 でもそこには照れも恥じらいもなく、色っぽい空気はない。王崎はただ、心配そうに香穂子の顔を覗き込む。
 高い熱を宿したままの香穂子の足元が、あまりにも覚束ないから。




「本当にすみませんでした……」
 玄関先で、深々とお辞儀をして、香穂子が詫びる。
 本当は、王崎は金曜日である今日はオーケストラ部の指導があったはずなのに、部室に行く前に会った香穂子が、ぐったりと森の広場のベンチに座り込んでいたことで、急遽そちらを断わって、香穂子を家まで送ってくれたのだった。
「大丈夫だよ。オケ部の皆も、そんな状態の香穂ちゃんを放っておけとは言わないし」
 優しく微笑み、王崎はそれより、と少し真面目な顔になる。
「練習もいいけれど、体調を崩しちゃ本末転倒だよ。……今日は無理せずに、大人しく休んで」
 身を屈めた王崎が、ひそめた低い声で香穂子の耳元に囁く。
「明後日、逢えなくなったら寂しいし。無理せずに早く治してくれると、嬉しいな」
「……はい」
 王崎の言葉に、香穂子ははにかみながら頷く。
 そして、風に身震いをして、小さなくしゃみをする。
「ああ、いつまでもごめんね。……もう、家の中に入った方がいいよ」
「……はい」
 名残りは惜しいけれど、ここでずっとこうしていて風邪をこじらせて、明後日のデートを台無しにするなら、王崎の言葉じゃないが、それこそ本末転倒だ。
 後ろ髪を引かれる思いで香穂子はそろそろと、王崎と繋いでいた手を離す。与えられていた彼の温もりが一瞬で奪い取られるような心地。
 寂しくなった片手の指を、香穂子がぎこちなく動かしてみる。
「……香穂ちゃん?」
 自分の片手を見つめている香穂子に、穏やかな王崎の声が語りかける。ふと、我に返って顔を上げた香穂子の顔に、影が落ちる。
 近付いてきた王崎の唇が、ゆっくりと香穂子の唇に重なる。
 それ以上に深くはならない口付けは、香穂子の中に燻る熱をゆっくりと、奪うように。
 ただ、何度も繰り返し、香穂子の唇に触れた。

「……明日の朝、目が覚めたら」

 君の不調が、少しでも和らいでいるように。
 君の辛さを少しだけ、おれがもらっていくよ。

「……で、でも。そんなことして、もし王崎先輩に移しちゃったら……」
「大丈夫だよ、おれは。君よりも抵抗力も体力もあるし。……それに」
 にっこりと笑って、王崎は伺うように、首を傾げる。
「君が辛い時には、少しでもおれがその辛さを引き受けられたらいいって。……そんなふうに思うからね」


 明日の朝、目が覚めたら。
 この熱も、けだるさも、少しは良くなっているのだろうか。
 そうして、香穂子自身は少し楽になって。
 次の日の待ち合わせ場所に現れた王崎が、もし鼻声で、咳き込んで、辛そうにしていたりなんかしたら。
 ……香穂子も、分け与えてもらおう。
 その辛さや、苦しさを。
 それが、本当に些細な苦しみや辛さであったとしても。
 王崎が言うように、香穂子だって、王崎と同じ苦しみや痛み。
 そして、同じ幸せを。
 きっと、知りたいと思うから。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:08.11.16/加筆修正:2010.7】

渡瀬自身で甘いと分類する王日創作の中でも、こういう甘さの作品は珍しいのかな、とも思います。でも、何となく王崎の優しい面を活かしつつ、甘い話が書けたかな、と自己満足(笑)

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