009.おひるごはん

衛藤×日野

 海が見える公園のベンチに、衛藤と香穂子は二人で並んで腰掛ける。
 まだ寒い季節だが、今日は陽射しが暖かくて外にいても心地がいい。二人が並んで座る中心の、人一人分の空間に、衛藤は店から運んで来た紙袋を置いた。衛藤お気に入りのハンバーガーショップのロゴが派手に印刷された紙袋の中から、香穂子はいそいそと嬉しそうに、自分が購入したハンバーガーとドリンクとを取り出した。
 賑わしい環境は別に嫌いじゃないから、いつもなら人の多い店内の隅の方の席を選んで、二人で向かい合って食べるファーストフードの昼食だが、今日は香穂子のリクエストに沿って、テイクアウトした商品を公園のベンチへ持ち込んだ。「お天気いいし、きっと外の方が気持ちいいよ」と、いつもの無邪気な笑顔で言われると、衛藤は何故か上手く反論が出来ない。
「衛藤くんも食べようよ」
 包み紙を不器用な手付きで剥がす香穂子が、座ったまま自分のハンバーガーを手に取ろうとしない衛藤を訝しんで声をかける。「ああ」と反射的に返事をした衛藤は、開いた紙袋から、中に残っている自分のバーガーの包みを取り出した。
 視線の先の海を眺めながら、香穂子は美味しそうにハンバーガーを頬張っている。
 ……今更、二年の年齢差を気にするわけではないのだが、いつもコンビニやファーストフードで手軽に済ませてしまう自分たちの昼食を、ほんの少しだけ衛藤は、香穂子に申し訳ないと思う。
 香穂子が特に何か文句を言ったり、不満げな素振りを見せたりするわけではないから、彼女の本心は衛藤には分からないけれど、本当はもっとお洒落なレストランやカフェで食べたいと思っていても、まだ中学生という立場の衛藤に気を使って、そんな希望を呑み込むことだってあるのだろうから。
 衛藤自身は現状の自分に何ら不満があるわけじゃないし、香穂子に合わせて無理に大人ぶりたいわけでもないのだが、香穂子が関わる時だけはいろんなことを不安に思う。
 香穂子に出逢うまでは自分自身の立ち位置を迷ったり、悩んだりすることは一度もなかったのに。
「……難しい顔してるね」
 脇に置いたドリンクのカップに手を伸ばした香穂子が、ふと何か思案にふけっている衛藤の様子に気付いて眉をひそめた。「大丈夫?」と顔を覗き込んでくる彼女に、「あんたのせいだ」と言いたくなる衝動を、衛藤はそれなりの努力で押さえ込む。
 香穂子に出逢ってすぐの頃、これまで言いたいことを正直に吐き出して生きてきた衛藤は、自分の中のもやもやとした言葉に出来ない苛立ちをどう扱っていいのか分からずに、彼女に対して正直にぶつけてしまっていた。だが、何もかもをそうして彼女にぶつけた後に残ったのは、罪悪感と後悔だけだった。だから、もう二度と同じ愚行は繰り返さない。
「……別に」
 そう思って言いたいことを押さえ込んでみたら、唇から吐き出されたのは何とも味気ない一言だった。これも上手くないなと、衛藤は頭の片隅で後悔するけれど、肝心の香穂子は何も言わず、少しだけ困ったように微笑んだだけだった。
 そのまま二人で並んで黙り込んだまま、ハンバーガーをかじりつつ、同じように遠くの海を見つめていた。
 馴染んだ街の喧噪からは、逸脱している静かな空間。昔の自分だったら退屈で、つまらなくて、すぐに飽きてしまったであろう静寂。
 ……それを、少しだけ衛藤が心地よく感じるのは、おそらく隣に座っている香穂子という存在のおかげ。
 明か暗か、黒か白か。境界を綺麗に二分して生きて来た自分に、二者択一では選べないものがあると教えてくれた人。
 技術的には未熟で、決して上手いと誉められるような演奏ではなくても。
 確かに、言葉で現すことの出来ない、見知らぬ誰かを魅了する『引力』というものがあるということを教えてくれた、彼女のヴァイオリンの音色。
 彼女と過ごす時間には、いつだってそんな魅力的な欠片が含まれている。言葉で説明出来ない、これまでの自分が知らなかった小さな小さな心地よさ。

「……まだ食ってんの?」
 小気味いい食べっぷりで自分の手持ちのバーガーを完食し、包み紙を片手で丸めた衛藤が、まだ半分も食べ終わっていない香穂子の手元を覗き込んで呟く。むう、と香穂子が不服そうに頬を膨らませた。
「これでも一生懸命頑張って、急いで食べてるんです! ……男の子って、何でそんなに食べるの早いんだろう……」
「俺に言わせれば、女ってのはどうしていつまでもだらだらと食ってんだ?って感じだけどな」
 に、と笑って香穂子を眺めれば、どうせね、と拗ねた香穂子が懸命にぱくりとハンバーガーにかじり付く。
 ……見ていていつも思うことだが、香穂子は本当に美味しそうに物を食べる。そういう些細なことも、衛藤を心地よくさせる欠片。
「……あんた、何買ってたんだっけ? 旨そうに食ってんな」
「ん? 定番のチーズバーガーだよ。……衛藤くんはダブルバーガーだったっけ。男の子は食べる量も凄いよね」
「てか、ポテトかナゲットでも付ければよかった。足りない」
 メインのバーガーとドリンクしか購入しない香穂子につられて、衛藤もサイドメニューを買わなかったことを後悔した。胃の中がまだ物足りない。
「じゃあ、後でまた何か買いに行こうか。私も甘いもの食べたいし」
 デザートは別腹ですから、と香穂子が笑う。ぱちりと一つ瞬きをした衛藤が何かを思い付いたように香穂子に向き直った。ん?と首を傾げる香穂子のバーガーを持つ方の腕を、不意に衛藤が掴んだ。
「衛藤くん?」
 訝しがる香穂子を無視して、衛藤はぐい、と強引に香穂子の腕を引き寄せる。
 香穂子が止める間もなく、香穂子の手の中のバーガーに大口で食らい付いた。
「私のチーズバーガー!」
 香穂子の絶叫にわずかに顔をしかめ、衛藤は無造作に香穂子の腕を放り投げるようにして解放する。半分ほどに減ってしまった残りのバーガーを、香穂子がふるふると震えながら見つめた。
「……確かに旨いな。今度は、俺もこれ食おうかな」
 数回咀嚼して口の中のものを呑み込んだ衛藤が、香穂子の狼狽を気にすることなく、真面目な顔で空を睨んだ。衛藤くん、と恨めしげに呟く香穂子が、そんな衛藤の澄ました横顔を上目遣いでじとりと睨んだ。
「何だよ。あんたの胃袋なら、後で甘いもの食べるんだったら、それくらいで充分足りるだろ?」
「それもあるけど、そういうのじゃなくて……」
 どうするのよ、と香穂子は衛藤の歯形が残るバーガーを見つめる。
 今時、そういうのを気にするのも馬鹿げているというのは重々承知している。……だけど。
 頬を桜色に染めて、香穂子はそれ以上どうにも出来ずにバーガーを見つめる。何かに気付いた衛藤が、にやりと笑って香穂子の耳元に唇を寄せた。
「……今時、間接キスなんて気にする方が馬鹿げてるぜ?」
 瞬間、香穂子の顔が完全に真っ赤に染まる。反射的に近付いた衛藤の額を掌で押しやって、大声で叫んだ。
「そ、そりゃそうだけど! そこはやっぱり好きな男の子相手なんだから、余計に気になるの!」
 思わず叫んだ後、また自分の発言の恥ずかしさを再認識して、香穂子はますます赤くなって頭を抱える。
 香穂子に押しやられた額を片手で押さえた衛藤は、呆気にとられてそんな目の前の香穂子を見つめ。
 ……そして、嬉しくて笑った。

 年の差なんて、最初から気にしたことはない。
 彼女に合わせて無理をして、大人になろうと思ったことは一度もない。
 だからこそ、時折衛藤は不安になる。
 自分は、『自分』という存在を何一つ変えることなく、ちゃんと彼女を守れるのだろうか。
 年相応の幼い自分の振る舞いが、何か彼女に負担を与えることはないだろうか。
 ……でも、本当は。不安になる必要なんて、これっぽっちもないんだ。
 彼女はいつだって、正面から自分の事を見て、そうしてありのままの衛藤の事を好きになってくれたのだから。
 もし自分が、自分の心の幼さ故に、何かを失敗したとしても。
 年下であるために、何か出来ないことがあるのだとしても。
 彼女はそれを曲解することなく真正面から受け止め、衛藤に出来る範囲でしかまかなえないことをきちんと理解して。
 それでも、その衛藤が衛藤の手の届く範囲内で香穂子の為に努力することを、香穂子は心から、嘘偽りなく喜んで。
 その行為の裏側にある衛藤の気持ちを、きちんと正しく受け止めてくれる人だから。


「……あんまり怒るなよ」
 公園の備え付けのゴミ箱の中に食べ終わった紙袋等の残骸を放り込み、衛藤は苦笑しながら香穂子を振り返る。そっぽを向いたままの香穂子の片手を掴まえて、ぎゅっと握り締めながら、考え付いた妥協案を呟いてみる。
「後でケーキセット奢ってやるから」
「……そういう餌付けには騙されないもん」
 と言いつつ、今までだんまりだった香穂子が会話に応じてくれたことに、衛藤は必死で笑いを噛み殺す。
「ヴァイオリンの練習も見てやるぜ?」
「……ううう」
 基本的に怒りが持続しない香穂子は、もうとっくに内心では許しているのに、素直になるきっかけが掴めずに小さく唸る。
 ……そんな彼女の全てが可愛くて、愛おしいと想う時点で、自分は相当目の前の彼女にほだされているのだと衛藤も理解っている。
「……あんたが怒ったままだと、俺が楽しくない」
 正直に告げると、香穂子は少しだけ驚いたように目を丸くして。
 それから衛藤の方を見つめると、ふわりと笑って「しょうがないなあ」と呟く。
「ケーキセットと、ヴァイオリンの練習で、許してあげる」
 ……最初から、そんなに怒ってなかったクセに。
 窮屈な場所から解放されたみたいに安堵して笑う彼女に、聴こえないように衛藤は口の中で呟いた。



 春が来たら、今度は私がお弁当作って持って来るから。
 また、海の見える場所で。暖かい陽射しの中で。
 二人で一緒におひるごはん、食べようね、と香穂子が繋いだ片手を強く握り返して、衛藤を見上げて笑うから。

 期待しないで、待ってる。と。
 本心から180度離れた台詞を、衛藤は笑って香穂子に告げた。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.7.11 加筆修正:10.6】

2本目の衛藤創作なので、キャラ像がまだ手探りです……(毎度の悩み)
衛藤って帰国子女なので、スキンシップ取ることにあんまり抵抗なさそうなので、逆に香穂子の方が過剰に意識してたら面白いなあ、とか思いました。
あと、衛藤は年下って雰囲気じゃないんですけど、年相応の幼さは持ってる子だと思いますので、そういう幼さ故の葛藤があれば楽しいかと。個人的趣味で(笑)

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